第38話 秘密のデート
揺れる水面と光を反射してキラキラ光る泡。
青や黄色、色とりどりの魚が透き通る青の世界を優雅に泳いでいく。
ほんものの海の一部分を切り取ったような水槽をいくつも見て回って、巨大な回遊魚が群れを成して泳ぐ大水槽、それから迫力のあるイルカショー。
中学校の遠足ぶりにくる水族館に、罪悪感も不安も吹き飛んで子供みたいにはしゃいでしまった。
「陽はほんと水族館好きだな」
ちょっと呆れたような口調で、でもとびっきり優しい笑みを浮かべて春馬が言うから、私は自然に顔が綻んで微笑む。
「そういえば、小学校の時はよく一緒に水族館行ってたね」
「ああ、懐かしいな」
小学校の時に住んでた市には県立の水族館があって、市に住む小学生は水族館の入館料が無料だった。自転車で二十分ほどの距離、海に面した場所に立つその水族館に、放課後、私と春馬はよくその水族館に行っていた。初めて行ったのは友人に連れられてで、その中に春馬もいた。
私はその頃から魚が大好きで、持って行ったスケッチブックを取り出しては水槽の前に陣取ってひたすら魚のスケッチをしていた。
あまりにも長い間、一つの水槽の前から動かない私を友人らは呆れて、最後には私を置いて先に帰ってしまった。私も「待たせるの悪いから、先に帰ってて」って普通に言ってた気がする。夢中で魚のスケッチをして、もう友人たちは帰ってしまったと思っていたのに春馬がそこにいた。
「えっ、春馬、まだいたの?」
「うん」
「ごめん……」
「なんで? 俺も魚じっくり見てただけだけど?」
待たせてしまって退屈な思いをさせたと思って謝ったら、そんな予想外のことをキョトンとした顔で言われた。その時の春馬の純粋な瞳を思い出して胸がくすぐったくなる。
それからというもの、私と春馬は二人で水族館に通い詰めたのだった。
幼い日々の懐かしさにくすりと笑みを漏らせば、春馬がからかうような口調で言う。
「もうスケッチはしないの?」
「あの頃いっぱいスケッチしたから、さすがに最近はしないよ。でも、スケッチブック持ってこればよかったかな」
あの頃、特別、絵が上手だったわけじゃなったけど、自分の感じまま描くのは好きだった。それは今でも変わらなくて、今度、開館から来て、閉館までじっくりスケッチするのもいいかななんて考えていたら。
「じゃあ、今度開館から水族館行くか? ここはちょっと遠いから、地元の。小学生の時行ってた水族館」
まるで私の心を読み取ったような春馬の言葉に、嬉しさがこみあげてくる。
「そういえば、こっち戻ってきてから行ってないから行きたいかも。あの頃と変わった? 変わってない?」
そう尋ねながら、自分の目で確かめたいという気持ちが強くなる。
うん、お盆前の来週あたりに行ってみようかな。
でも、それは一人で。
「いつ行く?」
春馬のそう問いかけを私は曖昧に笑って流した。
水族館をゆっくり時間をかけながら一回りして、水族館に併設のレストランで遅めの昼食をとって、もう一度水槽を見てから駅に向かい、駅前の喫茶店でお茶していくことになった。
私も春馬もアイスコーヒーを頼んで、出てきた細長いグラスに注がれた茶色い液体の中で、大きめの氷がカラコロと解けていく音が聞こえる。
大好きな水族館。大好きな春馬と一緒に過ごして、楽しくて幸せな一日になった。
好きでいるだけには限界を感じて、千織ちゃんや樹生先輩に話を聞いてもらって、この恋を忘れよう、諦めようって思いながら、未だに一歩を踏み出せないでいる私。
気持ちは気づかれちゃいけないし、伝えるつもりもない。
私がしなきゃいけないことは、春馬と杏樹の幸せを願うこと。親友としてそばで心穏やかな気持ちで見守ること。そのために、少しずつでも、ゆっくりでも春馬への恋心をなかったことにしなければいけない。
だから、今日の思い出を一歩を踏み出す勇気に変える。そのつもりだったのに。
「杏樹に……好きなやつがいるみたいなんだ」
アイスコーヒーを一口のんで、掠れた口調で呟いた春馬の言葉が耳にこだまする。
誰か、恋の忘れ方を教えてください――……




