第37話 夏と恋心と、サヨナラ
『たまには二人で』
そう誘われたものの、翌週には期末試験があって、試験が終わった週末は杏樹の誕生日。
杏樹の誕生日に杏樹を差し置いて私が春馬とは出かけるわけにはいかず、そうこうしているうちにあっという間に夏休みがやってきてしまった。
学生にとっては待ちに待った夏休み。
だけど私にとっては、なんだか不安ばかりが募る夏休み。
出かけようと誘った春馬はあの日以来、その約束のことを話題には出さない。ただ単にタイミング的な問題なのかもしれないけど、あれは気まぐれだったのかな、私に早く元気になれって言う意味で言っただけなのかもしれない、そう考えて気分は沈んでいく。
だいたい、春馬には杏樹がいて、私には翼がいる――偽の彼氏だけど――ことになっているんだから、私と春馬が二人で出かけるのはおかしいよね。
それとも親友だからおかしくないのかな……?
思い返してみれば、春馬と杏樹と三人で出かけることはあっても春馬と二人で出かけたことはなかった。やっぱり、私と春馬が二人で出かけるなんておかいしいよね。
それに。
私の心を揺さぶるのは春馬の事だけじゃない。
昼休みに倒れた日以来、なんだか翼の態度がよそよそしい。というか、いつにも増して不機嫌オーラをびしばしと放っていて近寄りがたい。
席替えして席が隣ではなくなったから、教室ではそんなに話しかけないし、金曜日のお昼ぐらいしか一緒にいる時間はないんだけど、その時間すらピリピリした空気を遠慮なしに放っている。
理由を聞いても「なんでもない」って不機嫌極まりない顔で素っ気なく言われるだけだし、聞くだけ無駄だって、翼が不機嫌なのはいつものことって思うことにしたけど、それが何日も続けば、さすがにおかしいと思うでしょ?
メールは相変わらず送られてくるし、内容もいつも通りで、話しかければそれなりに会話するのに、要件がすめば会話をすばやく打ち切ってどこかに行ってしまう。とにかく態度がよそよそしい。
私が何かしたかな……?
考えてみてもやっぱり、翼の不機嫌ポイントは分からなくて、深く悩むのはやめた。これも学習能力です。
夏休みになってすぐの週末は弓道の試合があり、平日も部活の練習はあるけど、七月の終わりの一週間とお盆明けの一週間だから、部活三昧で遊べないってわけではない。
以前、デートしようと翼に誘われても部活で忙しいって断ってばかりで、デートは結局してない。お弁当の作り方を教えてもらったのと、ボックスワンに行った日に翼の家に行ったのがデートに含まれるなら、二回はしたってことなのかな……?
とにかく、今までは私の用事で断っていたけど夏休みは出かけられそうだから、メールで夏休みにどこか一緒に行くか聞いてみれば、「バイトで忙しい」って冷たく断られてしまった。
『俺は陽の都合に合わせるって言っただろ、一緒にするな』
忙しいのはお互い様って言ったら、翼はバイトのシフトは変更できるって言っていた。それなのに、バイトが忙しいという理由で断ってきた翼の真意は他にある気がしてならない。
私なんかと出かけたくない――
それとも本当にバイトが忙しいのかもしれない。前にバイトのことを聞いたら、翼はカラオケ屋のバイトとそれ以外にもいくつかバイトを掛け持ちしていると言っていた。
その時はお小遣い稼ぎにしてはそこまでバイトばかりすることが不思議だったけど、翼が一人暮らしをしていることを知ってしまった今、生活費……なのかなと考えられる。
それに、カラオケ屋の夏休みは稼ぎ時、人手が足りなくてシフトが変更できないとも考えられる。他にも、夏休みは短期のバイトを増やすとも言っていたし、本当に忙しいのかもしれない。でも。
長い夏休み、一日くらい暇な日があってもいいじゃない。
そんな拗ねる気持ちが私の胸には生まれていた。
別に偽物の恋人なんだから、春馬と杏樹の目がないところでデートする必要ないとか思っていたはずなのに。
自分で自分の気持ちがよくわからなくて、そのもやっとする気持ちを誤魔化すように、昼間は部活に打ち込み、帰ってきてからは夏休みの宿題に打ち込んで、七月が終わる頃には夏休みの宿題の大半を終えた私の元に一通のメールが届いた。
『来週、一緒に出かけよう』
それはすっかり忘れられていると思った、春馬との約束の誘いだった。
※
自分でもどうしようもないくらい動悸が激しくて、心臓の鼓動に体が震えてしまうくらいドキドキしていた。
白いチュニックにデニムのショートパンツ。チュニックはやわらかなシフォン生地、胸の上で切り返しになっていて、上の部分は透ける素材、切り返しから下は細かいひだがふんわりと広がっていていて、スパンコールが刺しゅうされた丸襟がついてちょっと華やかな印象。ふわりと裾の広がったAラインは女の子らしいけど、無地だから甘くなり過ぎないカンジ。
いつも買うお店の店頭にあるのを見つけて即買いしてしまった。
姿見に映ったちょっと大人っぽい格好の自分。そこに斜め掛けの茶色いバックをひっかけて、私は自室を出た。
玄関から外に出れば、照りつける日差しの眩しさに額に手をかざして目を細める。
夏は嫌いじゃないけど、強い日差しにはちょっと憂鬱になる。
肌は敏感肌ってわけじゃないのに、少しでも日に焼けると真っ赤になってしまう。美白にこだわっているわけじゃないけど、何もしないとすぐに赤くなってヒリヒリとした痛み酷いから、二の腕出しスタイルの今日は念入りに腕にも足にも日焼け止めを塗ってきた。
私は自宅の横から自転車を引き出して跨り、一漕ぎ二漕ぎして勢いをつけると、駅を目指して自転車をこぎだした。
待ち合わせ場所はいつもの駅――じゃなくて複数の路線が通る接続駅。今日の目的地に行くにはこの駅で待ち合わせするのが便利だからっていう理由なんだけど、ちょっと後ろめたい。
それにその目的地っていうのが水族館だから、まるでデートみたいで落ち着かない。
春馬と二人っきりで出かけるっていっても、場所が水族館だとしても、デートなんかじゃないのに、変に期待してドキドキしている自分に呆れてしまう。
昨日の夜までは不安と後ろめたさが交錯していたのに、今は待ち合わせの駅に向かうのをすごく楽しみにしていることに気づいてしまって、複雑な気持ちになる。
なんで春馬が二人だけで出かけようと言ったのか、そこに隠された春馬の考えに少しの不安を覚えるけど、楽しみな気持ちが上回ってしまっている。
だから私は、心に決める。
今日は思いっきり楽しもう、と。
春馬が杏樹の彼氏だからとか、仮とはいえ翼と付き合っているとか、私と春馬は親友でしかないとか。
そんなことは関係なく、ただ、春馬は一緒に出掛けることを楽しもうと。
そうして、今日一日を目一杯楽しんで、春馬への恋心にサヨナラをしようと――




