第34話 ピンチに現れた王子 side千織
『千織ちゃんの家に泊まったってことにしてほしいんだけど、無理かな……?』
土曜日の夕方、陽ちゃんからかかってきた電話の内容には正直ビックリした。
陽ちゃんが宇野君の家にいるって聞こえて、一瞬、聞き間違えかと耳を疑いたくなったけど、冷静だけど少し切羽詰まった感じの陽ちゃんの声に私はにんまり微笑んだ。
『うふっ、なんか楽しい展開になってきてるじゃん! 月曜に詳しく聞かせてくれるならオッケーだよ~』
どうしてそうなったのか詳しく知りたくてうずうずしたけど、電話で追及するよりも直接聞いた方が情報量が多いと判断して、詳しいことは月曜に聞かせてもらうことにした。
まあ、実際には大したことは聞けなくて、というか、二人の間に大した出来事がなかったというのが正解かな。
土曜は宇野君と飛鳥君と一組の篠山さんと四人で出かけるっていうのは陽ちゃんから聞いていたし、天候があの台風のような豪雨だ、どういう成り行きで宇野君の家に行くことになったのかは安易に想像できるけど、なぜ飛鳥君と篠山さんがいなくて宇野君と二人きり? とか。 どういう心境の変化で泊まることに? とか疑問も尽きない。私の情報では宇野君って確か一人暮らしだったはずだ。泊まるってことは本当に一晩二人っきりということで。
飛鳥君と篠山さんが付き合ってることも、陽ちゃんの気持ちも、宇野君との関係も知っている。初めは宇野君に対して苦手意識むき出しだったのが徐々に緩和されていることも、見ていた私は知っている。
私の予想では、宇野君はたぶん――……
そこまで考えてふぅーっと吐息をこぼして、唇をひねって微妙な表情になる。
陽ちゃん、宇野君、飛鳥君、それから篠山さん、四人の関係は微妙なバランスで保たれている。人間観察が趣味の私としては、そのバランスが崩れるところを見てみたい気もする。でも……陽ちゃんには傷ついてほしくない、とも思う。
自称人間観察が趣味の私は、情報収集のため情報網は広くいく通りも持っているし、顔見知りは多い。でも、周りの人間はいつだって観察対象であって、深く付き合うことはなかった。なのに、なんだか陽ちゃんのことは放っておけないというか、側で見ていたいというか。陽ちゃんはいままでの子とは違う気がする。そんな想いに駆られて、あの庭掃除の時、陽ちゃんに声をかけていた。
※
火曜、教室に入った私の視界に入ってきたのは、窓際の席で机の上に顔を伏せて寝ている陽ちゃんの姿だった。いつもはだいたい本読んでるか、友人と話していて、陽ちゃんの寝てる姿が珍しくて、僅かに目を見張る。人のちょっとした変化を気に留めるのが私の特技というか趣味だから。私は陽ちゃんの様子を注意深く見ていた。っといっても、窓際後ろから二番目の席の陽ちゃんを、真ん中の列、前から二番目の席の私は授業中に見ることはできないんだけど、陽ちゃんの微妙な変化の理由はすぐに分かった。
話しかけても相槌を打つことが多く口数の少ない陽ちゃん。いつもが雄弁なわけじゃないけど、それがほんのちょっとの変化。なによりも実験大好きの陽ちゃんが実験中にぼぉーっとしてるなんて……考えついたのは具合が悪いんじゃないかってこと。そう考えれば納得がいく。
いつものポーカーフェイスで具合が悪いことを上手く隠しているけど、私には分かる。それからあと二人ほど、陽ちゃんの変化に気づいていたな――
そう思って、さっきの実験で一緒の班だった男子二人の顔が脳裏に浮かぶ。
一学期の途中で席替えをして席は遠くなっても、実験とか班分けの時は出席番号順だから、私と陽ちゃんと飛鳥君と宇野君は実験の時も同じ班だった。
「陽ちゃん、大丈夫? なんか顔赤いけど」
四限目の化学の実験が終わって教室に戻る時、廊下を歩きながら陽ちゃんに尋ねれば。
「赤いかな? 今日、暑いもんね」
と誤魔化された。赤いという表現がよくなかったか……
「具合悪いんじゃない? なんか朝から調子悪そう」
言い直しても、陽ちゃんはなんでもないという口調で「大丈夫」と言い張る。その表情は微笑んでいるけど、うっすら額に汗が浮かんでいるのが見える。暑いからなんじゃなくて、熱があるんじゃない……?
「ちょっと、体調悪いかも」
そう言って眉根を下げた陽ちゃんは、平気なふりしてるけどわずかな表情の変化から必死に辛さを隠しているのが分かった。
相当辛いのかな、そろそろ限界なのか……
陽ちゃんは五限の英語の小テストを気にしているみたいだから、昼休みだけでも保健室に無理やり連れて行くか、小テスト後の六限を保健室に連れて行くか。そんなことを考えながら階段を上がっていたら、先を歩く陽ちゃんが階段を登りきって振り返りながら大丈夫と言った時。
角をすごい勢いで走って曲がってきた男子と陽ちゃんが正面衝突、ぶつかった拍子に陽ちゃんは後ろに突き飛ばされる形になって、頭から体が後ろに傾いで廊下に倒れそうになって。
私の背後から視界を人影がかすめて飛び出して、その人物は一目散に陽ちゃんに駆け付けると、陽ちゃんの体が廊下の床にぶつかる直前に両手で抱きとめた。
私はただ驚いて目を見開くばかりで、微動だに出来ない。
なぜなら、駆け付けてきたのが予想外の人物だったから――
彼は、ちょうど私達の後ろを歩いていたらしく、陽ちゃんが角から飛び出してきた男子とぶつかったのに気づいて、一緒にいた友人に自分の教科書を押し付けると倒れる陽ちゃんに駆け寄ってその体を抱きとめた。
遅れて陽ちゃんと彼の側に駆けよてきた彼の友人が。
「お前、急に教科書押し付けるからビックリしただろ」
「それにしても、すごい早さだったな」
とか言っている会話が聞こえて、そう分析した。
驚きからだんだんと思考が動き始めて状況を理解して、私は陽ちゃんに駆け寄った。
「陽ちゃん? 大丈夫?」
心配して声をかけながら、私は返事が返ってこないことをどこかで悟っていた。
もうそろそろ限界だって。
「陽……?」
陽ちゃんを助けた彼も心配そうに陽ちゃんの顔を覗き込み、声をかけるが返事はない。
体調不良で眩暈もしていたみたいだし、ぶつかった衝撃で気絶してしまったのだろう。
片膝を床につき、未だに陽ちゃんを抱きかかえるようにしている彼を視線だけでちらっと見て、ちょうどいいからそのまま保健室まで運んで、そうお願いしようとしたら、先を越されてしまった。
「陽、具合悪いのずっと我慢してたのか……?」
「うん、陽ちゃんは大丈夫って言ってたけどそうとう辛かったと思う」
「じゃあ、このまま保健室連れて行く」
そう言って彼は、軽々と陽ちゃんを横抱きのまま抱き上げて、周りに出来た野次馬の生徒達をかき分けて、保健室に向かうため今さっき登ってきた階段を降り始めた。
まるで、ピンチに現れる白馬の王子様みたいだな――
お姫様抱っこされた陽ちゃんと彼の後姿を見て、ぼんやりとそんなことを思う。
これは後でちゃんと意識のなかった姫君に語って聞かせなければ。内心にやりと笑んで思うと同時に、胸が酷くざわついた。
倒れた陽ちゃんを囲むように出来ていた野次馬のその奥から、刺すように冷たい視線を感じて、私は顔を上げる。
微妙だったバランスが崩れる音が聞こえた気がして、他人事なのに、ぎゅっと唇を強くかみしめた。
倒れた陽を助けたのは翼? それとも――
※ 安部千歳の名前を安部“千織”に変更しました。 2013.1.28




