第31話 恋人たちの夜
「で、土曜はどうだった? 進展はあったのかなぁ~」
前にも聞かれたような質問を、教室に入って真っ先に私のところに駆け寄ってきた千織ちゃんがにやにやした笑顔で聞いてきた。私は自分の席に座って本を読んでいて、突然の質問攻めに驚いて顔を上げた。
「ええっと……」
たじろいで答えに困っていると。
「口裏合わせたんだから、たっぷり聞かせてもらうわよ?」
にやりとほくそ笑んだ千織ちゃん。
確かに千織ちゃんには借りがあるから話さなきゃいけないし、約束だから話すけど。
「分かった、話すから。でも教室はちょっと……」
視線を教室内に向けると、まだ春馬も翼も来ていないみたいだけど、教室の中では誰に聞かれてしまうかわからない。
「じゃあ、昼休みに屋上行こう!」
勢い込んで行った千織ちゃんは瞳を好奇心にキラキラ輝かせて期待たっぷりな表情に、私は若干引き気味に苦笑する。
きっと、っていうかたぶん、千織ちゃんが期待するような展開ではないと思うけど、聞いても怒らないよね……?
心の中で首をかしげた。
※
「翼、今日はずっと一緒にいよう――」
私はゆっくりと翼に近づき、未だに電話の前で立ちつくす翼の胸にそっと腕を回して優しく抱きしめた。硝子に触れるように力を入れすぎず、でも大切なものを包み込むように。
首だけを回して振り返った翼はこれ以上はないというくらい瞳を大きく見開いて瞠目していた。それからその瞳をわずかに揺らして視線をそらす。
その仕草がなんだか切なくて、胸がざわつく。
私はにっこりと笑顔を作って、わざと明るい声で言う。
「一緒にテレビ見て、ゲームもして、一晩過ごそ?」
そう言った私に、翼は伏せていた視線を私に向けてなんだか呆れたような複雑な苦笑を浮かべた。だけどその笑みはいつもの威圧感も覇気もなくて、まだどこか弱弱しい姿に胸をつかれる。
なんでそんな顔するの――?
以前にも抱いた疑問が喉までせりあがってくる。
しばらくの沈黙を挟んで、翼が小さく唇を動かす。
「いいのか……? 泊まったりして」
「んー、この雨だし女の子の友達の家に泊まるって言えば大丈夫だと思う」
考えながら視線を斜め上に向けて言った私に、翼がぎゅっと苦しそうに眉根を寄せる。
「それって杏樹……?」
険しい表情で問いかけてきた翼に、私はへらっと笑って見せる。
なんで翼がそんな顔するの――
そう思う反面、私のことを心配してくれている翼の優しさが分かるから。
「千織ちゃん。電話して聞いてみるよ」
翼の腰に回していた腕を解いて、鞄はどこに置いたかなって考えて洗面所に置きっぱなしだって気づいて顔をあげると、翼は口の端をねじらせて微妙な表情をしていた。
「俺、安部って苦手……」
千織ちゃんの名前を聞いて微妙な顔をしてたんだって気づいて、私は声を出して笑ってしまった。
「あはは、翼に苦手な人とかいるんだ?」
「あいつ、何考えてるか分からないだろ。なんでも見通されていそうで、あんま関わりたくない」
「あはは」
翼の言葉は言いえて妙。確かに、千織ちゃんは自称人間観察が趣味のちょっと変わった子だけど、学校の噂のほとんどを網羅している情報通。クラスが違う子だけじゃなくて学年が違う一年生も三年生の名前を顔もほぼ知っているんだからすごいとしかいいようがない。
それに、鋭い子だっていうのは私自身、身を以て体験済みだから。
翼の言葉に苦笑してしまった。
それから私は、洗面所に置いたままだった鞄を取りに行って、携帯で千織ちゃんに電話した。
「もしもし、千織ちゃん?」
『あれ~、陽ちゃん、どうしたの?』
「ちょっと千織ちゃんにお願いがあって……、いま家にいる?」
『この雨だからね~、家だよ~。お願いってなに?』
「実はかくかくしかじか――千織ちゃんの家に泊まったってことにしてほしいんだけど、無理かな……?」
簡単にいま翼の家にいること、この雨で帰れなくて、アリバイ工作に協力してほしいと頼んだんだけど、私の話を千織ちゃんは黙って聞いてくれてたんだけど、好奇心全開でうきうきしている千織ちゃんのオーラがなぜか電話越しにも伝わってきて怖い……
『うふっ、なんか楽しい展開になってきてるじゃん! 月曜に詳しく聞かせてくれるならオッケーだよ~』
きゃっきゃはしゃぐ千織ちゃんの声がちょっとうっとおしくて、私は携帯から耳を外して苦笑して、交換条件でアリバイを作ってもらうことになった。
その後、お母さんに電話したら、お父さんは雨の影響で会社に泊まることになって、お母さんは運転できないから向かいに行けないから、帰ってくる方が心配だからそのままお友達の家に泊めてもらいなさいってあっさり外泊の許可がおりた。
こんなことなら千織ちゃんに頼まなくても大丈夫だったかなって思ったけど、後で誰の家に泊まったかとかは聞かれるかもしれないから、これが最良の選択だったということにした。月曜日にどんなに好奇心全開で千織ちゃんに問い詰められることが想像できても、今は考えないように思考から追い出した。
それから私と翼は一晩を一緒に過ごしたけどストイックな関係で。まあ、お互い好きな人は別にいる偽物の恋人を演じているだけなんだから当り前だけど。
一緒にバラエティ番組見て、映画見て、見る番組がなくなったらゲームして。カーテンと窓の隙間からうっすら光が差し込んできた頃、私と翼はテレビの置かれた居間でそのまま寝てしまった。