第28話 豪雨の静けさ
今まで室内にいたから気づかなかったけど、外に出たらすごい土砂降りだった。
むしろ、台風? って思うくらいすごい大粒の雨と強風に、私だけじゃなくて隣に立つ翼もちょっと呆然としている。
「すげえ雨……」
ボソっと漏らした声に、私は鞄の中に折りたたみ傘を入れていてことを思い出す。
「傘あるよ」
そう言って傘を取り出した私の手元を見た翼は、ぎゅっと眉間に皺を寄せる。
「この風じゃ、折りたたみなんかすぐ折れるぞ?」
「じゃあ、翼は傘持ってるの?」
馬鹿にするような言い方にムッとして言い返す。もちろん、翼が傘なんて持ってないのは知っているし、折りたたみ傘とか準備してるなんて想像できなくて。翼はきまり悪そうに小さな声で「ない」って言った。
「天気予報で雨降るって言ってたのに、傘持ってきてないの?」
非難めいた言葉を言ってから、苦笑する。
まあ、持ってないのは仕方ないし、一本あれば二人くらいが入れるし。
「とりあえず折りたたみしかないけど、我慢して」
ぱらぱらと折りたたまれた傘を広げて、翼と自分の間にさしかけると、翼がおもむろに傘を掴んで。
「走るぞ」
言うと同時に私の肩をぎゅっと力強く抱き寄せられて、心もぎゅっとつかまれてしまったような感覚に息をのむ。驚きに翼を振り仰いだけど、翼は土砂降りの雨を睨むように目元を細めてまっすぐ前を見ていて。小さな折りたたみ傘だから、肩がはみ出さないようにしてくれてるんだって頭では分かるのに、頬が熱を帯びてきて、それを誤魔化すように私は俯いて、とにかく足を動かした。
なんとか駅の屋根があるコンコースまで辿りついたけど、傘なんてぜんぜん意味をなさなくて全身ビショ濡れ。ここまで綺麗に濡れてしまうと、逆に笑えて苦笑が漏れる。
「ねっ、ねっ、絞れるよ~」
小花柄のシャツの裾を手繰り寄せて絞ればボタボタと水が絞れて、ちょとはしゃいでいたら、バサっと肩から藍色のシャツを着せ掛けられた。
いつの間に脱いだのだろうか、翼はシャツの下に来ていた黒いVネックのTシャツになっている。
「着てろ」
「えっ、でも……」
翼は細身だけど身長が高いからLサイズなのか、私にはすっごく大きくておしりまですっぽり包まれてしまう。でも、濡れてるけど……?
私のシャツもビショビショだけど、翼がかけてくれたシャツも負けないくらいビショビショで絞りがいがありそうで、翼の行動の意図が読めなくて首をかしげて下を向いた時、小花柄のシャツが濡れてブラジャーが透けていることに気づいてはっとする。
シャツの下にはキャミソールも着ているけど色が白だから、下着が完全に透けてる。
自分の意志とは関係なくかぁーっと頬が熱くなってくる。
うわぁー、恥ずかしい。下着見えてるとか、ほんと恥ずかしすぎる。
羞恥心に泣きそうになって、だけど、翼はそんなこと気にしていないかのように淡々といつもの抑揚のない口調で尋ねてくる。
「そのまま帰るの嫌だろ? 俺の家、ここから近くだから、うちに行くぞ」
そう言われて深く考えずに、というか返事する前にぐいっと腕をとられてタクシーの乗り場に連れられてきていた。
この雨で、タクシー乗り場は行列ができていたけど、タクシーもずらっと並んでいてすぐに自分たちの番が来た。
タクシーに乗り込むと、翼は慣れた仕草で運転手に住所を告げて、座席に深く腰を掛けた。
私は言われるままタクシーに乗ったけど、タクシーにこんなビショビショで乗っていいの? とか思考は現実逃避。翼の家と私の家は路線が同じだけど、その電車が強風の影響で止まっているから電車で家に帰ることはできそうにない。このまま翼の家に行って、雨がやむのを待って歩いて帰る? むしろタクシーで家まで送ってもらった方がいい? そんなことをぐるぐる考えているうちに翼の家についてしまった。
翼の最寄駅が私の最寄駅から数駅離れたところだっていうのは知っていたけど、なんか高そうなマンション……
公道からマンションの入り口までに五十メートルほどの並木道があって、エントランス前には天使像が並んだ噴水なんかあるし、もちろんエントランスはオートロックのセキュリーティーばっちりのマンション。
あまりにも立派なマンションを見上げながら、翼の家ってお金持ちなんだなって思った。
いきなりお家にお邪魔して、ご両親になんて挨拶したらいいだろうとか、こんなビショビショの格好が初対面とか最悪とか、緊張しながら翼の後について六階の部屋へと案内された。
ポケットから鍵を取り出してガチャガチャなる金属音に、どんどん緊張感が高まっていったんだけど、開いた扉の先が真っ暗なことに、緊張の糸がふっと途切れる。
あっ、今は誰もいないんだ……
そう思ったけど。
「入って」
いつも通り無表情の翼に促されて「お邪魔します」って言って玄関で靴を脱ぐ。
ぱちぱちっと電気がついて、長い廊下の先まで照らされる。一畳以上はある広い玄関、廊下の両側には扉がいくつかあって、奥のガラス扉の先はリビングかなと予想をつける。
先に部屋に上がっていた翼がタオルを持って戻ってきて、私の頭の上から大判のバスタオルをかぶせた。
「突き当りの右側の扉が風呂場だから、先に使え」
「えっ、でも……」
靴がビショビショだから靴下もビショビショで、玄関を上がったところでそれ以上進むことをためらって止まっていた私の腕をつかんでぐいぐい奥へと連れて行き、有無を言わせる前に洗面所に押し込まれてしまった。
翼の家で、翼よりも先にシャワー使っていいのかなって思って困っていたら、コンコンって閉めた扉が叩かれて、扉越しに翼が声をかけてきた。
「いま、開けても大丈夫か?」
「えっ、あっ、うん。大丈夫」
ガチャリとドアノブの回される音がして、ほんの少し開いた扉の隙間から翼が上半身を覗き込ませる。
「風呂ももうすぐ入るから、湯船もつかって温まれよ」
「でも……」
「いいから、言うとおりにしろ」
ギロっと鋭い目つきで睨まれて、私は怖くてコクコクと首を縦に振った。
「分かればよろしい。濡れた服は乾燥機かけるから」
「ありがと……」
「とりあえず出たらこれ着て」
「うん」
翼は私にシャツを渡して洗面所から出て行った。
扉を閉める直前、翼の黒髪から水滴がしたたり落ちたのを見て、先にいいのかなとかぐだぐだ考えてないで、さっさと入っちゃおうと覚悟を決める。私が入らないといつまでも翼は濡れたままで風邪ひいちゃうかもしれない。だから私はそれまでの戸惑いを一切振り切って体に張り付いたビショビショの服を脱いで、軽く絞ってから畳んで置き、お風呂に入った。
体を洗い終わって浴槽のお湯につかりながら、私はほぉーっとなんともいえないため息を吐き出した。
洗面所も十分に広かったけど、お風呂場もすごく広い。洗い場なんて寝転がってさらに転がれそうだし、浴槽も足を延ばしてもまだ余裕がある。
だけど私の思考を占めるのは豪華なお風呂よりも、翼の家に入った瞬間からの違和感。それが洗面所と浴室を使わせてもらって、徐々に確信に変わっていく。浴室にはシャンプーボトルが一組しかないし、女物の洗顔料なんてないし、洗面台にも歯ブラシは一本しかなくて、もしかして……




