第26話 どうしようもない苦しさ
黒い靴に足をすぽっとすべり込ませて、編みこまれた靴紐を持った両手できゅっと絞って、つま先を浮かせて靴を調整する。
両足とも履き終えて、私はぱんっと気合を入れるように太ももを軽くたたいてベンチから立ちあがった。
ダーツして、テニスして、カラオケもして、今度はローラースケートをしようってことになった。正確にはローラーブレードね。
室内には、黒い壁で囲まれた楕円形のローラーブレード専用のリンクがある。
ローラーブレードなんてすごい久しぶりで、小学生ぶりかな? 小学生の時、春馬と杏樹とよくローラーブレードで遊んだ記憶がよみがえってきて、懐かしくてうきうきしてくる。
靴から履きかえて意気揚々とリンクに向かおうとして、私は振り返った。
ベンチには、ローラーブレードを履き終えているのに動こうとしない翼がいて、私は首をかしげる。
「翼?」
私の声に気づいた翼ははっと顔をあげ、なぜか視線を逸らした。
なに……?
すでに春馬と杏樹はリンクで、颯爽と滑っている。春馬は運動神経良いから上手で納得だけど、運動が苦手な杏樹もローラーブレードは滑れる。まあ、多少、よたよたしてるけど、子供の時に滑った記憶が体にしっかり浸みこんでいるみたい。
春馬達の様子を見ていて、私はもしかして……と思う。
「もしかして、翼ローラーブレードできないの?」
「…………」
無表情のままちらっと私を見て無言で視線を逸らした翼に、私は苦笑して近づく。
「何も言わないのは、肯定ととるけど?」
そう言った私を、翼を氷雪のような鋭い瞳で睨んできたけど、そんな視線怖くもない。
だって、なんでも涼しい顔してこなしていた翼がよ?
さっきダーツで、スローラインで立っているだけでも絵になるように決まってて、流れるようなフォーム、ただダーツボードからダーツを抜き取る仕草一つも慣れた手つきですごくかっこよくて、隣でやっていた大学生くらいの人すらうっとりと見とれてしまうような洗礼されたかっこよさだったのに。
ローラーブレードが出来ないなんて……
「ぷっ……」
思わずでてしまった笑い声に慌てて手を口に当てたけど、こみあげてくるんだから止めようがない。
「あははは、滑れないんだ? 意外~」
くすくす笑いながら言うと、翼はすっごく不機嫌そうに下からギロッと私を睨みあげたんだけど、そこから立つことも出来ないんでしょって思うとおかしくて仕方がない。
「滑れないわけじゃない、ただやったことがないだけだ」
仏頂面でぶすっとした口調で言う翼がなんだか可愛く見える。
「じゃあ、私が教えてあげる」
翼には運動でも料理でも敵わないって思ってたからか、ちょっと優位に立った気分に、私はいまだにベンチに座ったままの翼の手を引いて立たせた。
その時、翼が何か言いたげに私を見ていた気がしたけど、きっと気のせいだろう。
翼がいうには、小学校の時は野球ばかりやっていてローラーブレードで遊んだことがないらしい。
ふーん、そんなもんなのかな。
ローラーブレードを履くのもはじめてで、最初はどこかぎこちなく歩いていた翼だけど、教えてあげるって言ったほど私が教える前に、翼はすぐに滑れるようになってしまった。
私と杏樹がダーツに対してやったことがなくて苦手意識を持ってたみたいに、翼もローラーブレードに対して同じような意識だったのかも。
もともと運動神経がいいからバランス感覚はバッチリだし。
だけど、すぐに上手になってしまった翼をヤなやつって思うより、私はただ素直に順応性が高くてすごいと感心した。
これ人間性の方の順応力がもうちょっとあったらいいのに、とか思ったり。
すっかり滑れるようになった翼と春馬と杏樹とローラーブレードのリンク内で鬼ごっこしようってことになって、じゃんけんで負けて鬼になった翼に追いかけられながら、そんなことを考えて、私の気分は絶好調だった。
久しぶりにやるローラーブレードは楽しいし、翼ともなんだか上手くやれてる感じだし、今日はここ最近不安定だった心が穏やかでちゃんと親友として春馬と杏樹に接して、楽しすぎて。だけど。
そんなふわふわの楽しい気分は、目の前の光景でガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
ローラーブレードのリンク内は私たち以外にはほとんどいなくて空いていたこともあって、かなりスピード出して滑っていたのでけど、無意識に、私はきゅっとブレーキをかけていた。
ちょうどリンクの入り口から一番奥側で、杏樹がバランスを崩して転んだところを春馬が助けていて、私はぎゅっと下唇をかみしめた。
心みださずにちゃんと親友できていたのに、春馬と杏樹がリンクに座り込んで、頬が触れそうな距離で見つめ合って笑っているのを見て、胸が苦しくなる。まるで鷲づかみされたような息苦しさに、呼吸することも忘れて、目の奥からなにか暑くて苦しいものがこみあげてくる。
見たくない、その気持ちと。
これが現実なんだから受け止めなきゃ、っていう気持ちと。
ぐるぐると渦巻く気持ちが自分でもよくわからなくて、目の端に浮かんできたなにかがぽろっとこぼれそうになった時、私の視界が閉ざされた。




