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第10話  ビブロフィリア



 下りのエスカレーターの左側に、春馬、杏樹、私、翼の順に縦一列になって乗っている。

 付き合いだした発言で、当事者よりもそわそわしている春馬と杏樹の視線もいたたまれないけど、不機嫌オーラを出している翼も怖くてしようがない。

 気づいたら不機嫌になってて、理由が分からないから困ってしまう。

 ちらっと後ろを振りかえれば、私の視線に気づいた翼ははぁーっとこれ見よがしに呆れたような大きなため息をつく。

 ちょうど六階について、さらに下へ降りるエスカレーターへと歩きながら、翼に小声で話しかける。


「なに?」

「なんで本屋行くって言ったんだよ?」


 なんで不機嫌なのって問いかけたら、質問で返されてしまった。


「だから、参考書を買いたいっていってるでしょ」


 人の話ちゃんと聞いてなかったの?

 翼が苛立ちを露わにして言うから、さすがにむっとする。


「本屋ならここじゃなくて駅前にもあるだろ」

「あそこは小さいじゃない。折角だから大きな本屋でいろいろ見たいし」


 実は……私は愛書家だったりする。とにかく“書籍”が好きで、内容は関係なく本がたくさんある空間が好き。図書館とか本屋とか何時間でもいれる、むしろ寝泊りしたいくらい。見上げるほど高い本棚にずらりと書籍が並んでいるのなんて、ゴクリと喉を鳴らすほど魅力的。そんなくだらない妄想をしていたから。


「……せっかく離れようとしたんだぞ」


 ぼそりと漏らされた翼の言葉を聞き漏らしてしまった。


「えっ、なに?」

「なんでもない」


 聞き返したら素っ気なく返されてしまった。

 ほんと、なんなの……

 コロコロ機嫌が変わるし、人の会話無視だし、翼って俺様だよね。

 私、こんな人と仮とはいえ、ちゃんと恋人できるんだろうか……

 同盟は始まったばかりなのにさっそく後悔し始めている私って……

 落ち込んでいたけど、本屋についた瞬間、ぱっと顔を上げて輝かせる。

 鼻をくすぐる印刷の香り、本棚に綺麗に並べられた書籍たちを見て、私はふらぁ~っと書架の間に吸い寄せられるように歩いていく。

 普通のお店だったら、「私はなになにを見てくるね」って断ってから別行動するけど、本屋に限っては断りも入れずに本屋に吸い込まれていく。

 一緒に出掛けるたびに本屋に寄りたがり、呼ばれなければなかなか本屋から出てこないことを杏樹と春馬は知っているから、この時も無意識に足を目的の場所に進める。

 完全に自分の世界に入っていて、書棚に並んだ参考書の中からいいなと思ったものを片っ端から手に取り広げてみては本棚に戻しを繰り返し、参考書の本棚の前を何往復もうろうろしていて。


「陽、まだ決まらないのか?」


 ふいに背後からかかった声にビクっと飛び上がるくらい驚いてしまった。

 肩をすくませて恐る恐る振り返れば、真後ろには苛立たしげに眉根を寄せている翼の姿。

 ついいつもの感覚で本屋に吸い込まれて、すっかり翼の存在を忘れていた……

 なんでここにいるのと疑問にも思ったけど、問うまでもなく答えは分かっている。

 翼は本屋には用事はなくて、いちお偽とはいえ恋人だから私と一緒に来たんだろうけど……

 真後ろで、早くしろとでも言うような威圧的なオーラで睨まれては、ゆっくり本屋を満喫することが躊躇われる。ってか、さっさと済ませないとだめだよね……?


「えっと……」


 私は歯切れ悪く答えて、手に持っていた本に視線を向ける。

 一通り参考書の内容を確認して二冊にまでは絞ってあるけど、まだそのどちらにするかで迷っているんだ。


「これかこれにしようと思うんだけど……」

「どれ?」


 迷っていることを伝えると、ひょいっと翼が私の肩越しに本を覗き込むから、頬に翼のさらさらの髪が触れてビックリする。

 ちっ、近い……

 ぱっと翼から身を引いた私には気づかず、翼は二冊の本を見比べてぱらぱらと中を確認する。


「ああ、こっちのが詳しく載ってていいんじゃないか?」


 そう言った方の本を翼から受け取り、翼がこっちを見て怪訝そうに眉根を寄せる。


「なに?」

「なにが?」


 そのまま聞き返すと、翼の瞳の鋭さが一瞬増して、はぁーっとため息をつく。


「変な顔して見てんなよ」


 変な顔って……、どんな顔してたっていうのよ……

 だいぶ翼の横暴な態度にも慣れてきたのか、変な顔って言われイラってすることもなく、ただ首をかしげてしまった。

 慣れって怖い。


「こっちの本は棚に戻していいのか?」


 尋ねられて、私は慌ててコクコクと首を縦にふる。

 きっと一人じゃ決められなかったと思うし、これ以上待たせたらさらに翼の期限が悪くなりそうだから、翼に薦められた方を買うことに決める。

 頷いたのを見て、翼は買わない方の本を片手で器用に書棚に戻す。

 その仕草があまりにも優美で、イケメンなだけにそれだけの動作さえ絵になるなぁ~なんて眺めてしまった。

 レジに向かって歩いていると。


「参考書選ぶだけでそんなに真剣に悩むなよな」


 呆れ気味に呟かれて、私は苦笑する。

 翼がそう言ったのは、きっと私がかなり長い時間参考書の前でうろうろしていたからだろう。悩んでたのもあるけど、ただ単に本屋の空間にうきうきしていたっていうのもあるんだ。

 完全に自分の世界に入っていて翼の存在に気づかないくらい。

 でも、真剣に悩んでたように見えるくらい待たせちゃったってことだよね。


「ごめん、長くて……」

「別にいいけど、春馬達は待ちくたびれてるんじゃないか?」

「あっ、それはない」


 私がきっぱりとした口調で言い切ると、翼は瞠目して私をじぃーっと見た。


「本屋に来るとすごい時間かかるの知ってるから」

「いつもそんなに悩むのか、お前って決断力ないのか?」


 憐れむような眼差しに、慌てて否定する。


「そうじゃなくて、本屋とか図書館とか本がたくさんある空間が好きでつい時間を忘れちゃうっていうか」


 愛書家のことをなんて説明したら分かってもらえるかなって、言葉を選びながら言ったんだけど。


「ああ……」


 って、どこか納得したような翼の声に、私は顔をあげる。


「なんだ、お前もビブロフィリアか……」


 忌々しそうにつぶやいた翼の瞳には影が落ちていて、私は首をかしげる。

 ビブロ……なんて言った?

 なんのことか分からないけど、無表情か不機嫌な翼しか見たことがなかったから、苦々しそうに唇をかみしめている表情は見ているこっちの方が痛くなる。


「あっ、次だ」


 なんとか話題を変えようと思った時、タイミングよくレジの番になって、私は翼から離れて一人、レジに向かった。

 お会計を済ませて、レジの横に立っていた翼の側に近づくと、さっきまでのほの暗い空気はなくなっていて、内心ほっとする。

 春馬と杏樹もタイミングよく本屋の外に出てきて四人揃ったところで、またこの後どうするって会話になったんだけど。


「本屋には付き合ったんだし、もういいだろう。この後は別行動だ」


 そう言ったのは翼。さっきはまだ提案ぽかったのに、今度の口調は完全に断言。さすが俺様。

 慣れているっていっても春馬と杏樹もさすがにちょっと困った顔でお互いに顔を見合わせている。

 私はなんで翼が別行動したがるのか分からない。どうせ、電車も一緒の方向なんだし……

 そんなことを考えていたら急に腰を引き寄せられて、気がついたら翼の腕の中に抱きしめられていた。


「なっ……」


 突然のことに驚いて声もでなくて。翼を仰ぎみたら、見下ろした翼の瞳が妖艶な光を増す。

 息がかかりそうなくらい近い距離に抱きしめられているんだって思い知らされて、恥ずかしさに顔が一気に赤くなるのが自分でも分かった。その様子に、翼は意地悪な笑みを私だけに見せ。


「陽も早く二人っきりになりたいよな」


 至近距離で耳に甘く響くバリトンボイスで囁かれて、私は文句言おうと口を開いたけど。

 翼の口が動いて“同盟”と声を出さずに喋る。

 正確に翼の唇の動きを読み取って、文句を言おうとしていた口が止まってしまった。「同盟」と言われれば大人しく従うしかないじゃない。

 納得いかないけど渋々口を閉ざすと、翼は満足げにほくそ笑んだ。

 俯いて、翼に体重を預けるように寄り添えば。


「じゃ、そういうことで」


 そう言って翼が歩き出す。

 一瞬、視線だけで春馬と杏樹を見れば、すごく驚いた顔で固まっていた。杏樹なんて林檎みたいに真っ赤な顔をしていて目を大きく見開いていた。

 絶対勘違いした……

 翼は杏樹のことが好きなのに、どうしてこういう行動をするかな……?

 理解できない翼の行動に、私は内心首を傾げたんだけど。

 翼に振り回されるのはまだまだこれからだって、気づいていなかった。




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