表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編

きっと春になったら

作者: 雨咲まどか

 あれは何ていう花だったっけ。もう思い出せないや。

 芽さえ出なくて庭先に立ちつくした時のあの気持ちは、いつまでも覚えているのに。





 大学受験が近付いている。でも勉強したって焦る一方だった。だって、受かる気がしない。


 用事を終えると外はすっかり夕方になっていた。想像以上に寒くって、指先をセーターの袖にしまう。

 校門までの道をとぼとぼ歩いていると、花壇に色とりどりのコスモスが咲いているのに目が止まった。

 私の学校には花が多い。そこかしこに花壇があって、四季に合わせて色んな花を咲かせている。

 コスモスの前で私はしゃがみ込んだ。よく見るとしおれている。見頃は終わったんだなあ。

 それでも自分の使命を全うしたコスモスはなんだか誇らしげで、もっと綺麗な時期にじっくり見ておけば良かったと後悔した。


「綺麗でしょ?」


 ふいに声を掛けられて顧みると、小林先生が立っていた。四十代後半くらいの男の国語の先生で、喋り方が静かだから、この先生の授業は眠くなる事で有名だった。


「はい、綺麗です」


 素直に頷いたけど、先生の言い方には少し引っかかる。

 私は、嬉しそうな表情を浮かべる小林先生が、手にシャベルやら軍手やらを持っていることに気付いた。


「もしかして先生が世話してるんですか?」


 花壇を指さして言うと、小林先生は照れたように笑った。


「実は、うちの学校の花壇はほとんど。手伝って貰いながらですけど」


「えっ! すごいです。知りませんでした」


 用務員の人がやってるとばかり思ってた。大変だろうなあ。


「趣味なんです。こうやって花壇いっぱいに花が咲くの、いいでしょう」


 彼の眠くなる声色は受験生の天敵だけど、今は心地良い。普通に話すにはいい人なんだな、知らなかった。三年間この高校に通ってきたのに知らないことばっかりだ。

 コスモスが風に揺れる、音がする。

 せっかくだから、少し話をしてみようか。

「なんで生物じゃなくて国語にしたんですか? 植物が好きなのに」


 小林先生は眉根を寄せる。


「苦手なんだよね、生物。物理とか化学はもっと苦手だけど。でも教師の仕事には興味あったから、得意な国語でいいかなあと思って。そんなに好きじゃないですけど」


 そんなもんなのか。――そんなもんなんだな。

 肩の力が抜けてしまった。私は、自分の将来に期待しすぎている。立派な考えを持った、立派な大人に、なりたいと思っていた。けどそれが、そんなに大事なのかな。夢を追いかけて、叶えて見せた人が、この世界に何人いるのだろう。


 面接の練習で訊かれた「どうしてうちの大学を選んだんですか」が頭から離れなかった。偏差値で選びました、とは言えない。それが本音だけど、もっと格好のいい理由が欲しかった。


「昔、好奇心で花を育てようとしたことがあるんです。なんていう花かは忘れたんですけど、種をまいて水をやって。……でも、芽も出ませんでした。花って、難しいんですね」


 掘り起こした種は、死んでるみたいに見えた。あの種は、私が殺したんだ。


「ちゃんと調べて、世話の仕方を守れば大丈夫だよ」


「そうですよね。あの時は、水さえやればいいって思ってたんです」


 私が苦笑すると、先生は手に提げていたビニール袋から球根を一つ取り出した。


「僕、これからチューリップ植えようと思ってるんです。アンジェリケっていう種類なんだけど、冬を越えて春になったら、綺麗な花が咲くんですよ。毎日真剣に世話したら絶対答えてくれるから、育てがいがあります」


「へえ。春が楽しみですね」


 自然に出た自分の台詞に、びっくりした。春が楽しみ、なんて受験生になってから一度も考えなかった。


「球根って、球根自体に養分があるから初心者でも育てやすいんです。よかったらこれ、ひとつあげる」


 鼻先に突きつけられた球根に、私は目を瞬かせた。私に出来るかな。また殺してしまったら、どうしよう。

 小林先生は首を傾ける。


「あ、受験忙しいだろうし、いらない?」


 私ははっとして首を横に振って球根を受け取った。


「ありがとうございます、頑張ってみます」


 そのままじゃ持って帰りづらいから、と小さなビニール袋を一枚貰った。立ち上がって、私はコスモスを見下ろす。大きく息を吸うと、冷たい空気に背筋が伸びた。


「詳しい育て方も教えましょうか?」


 先生の質問に、私は授業の時じゃありえないくらい得意げに答える。


「大丈夫です。自分で調べてみます」


 小林先生はにっこり微笑んでくれた。挨拶を交わして、私は歩き出した。

 球根を両手で包み込む。この花は、私が咲かせる。

 春になったら、きっと綺麗な花が咲くだろう。


アンジェリケというチューリップの花言葉は、夢です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ