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第90話 摩擦が守るブランドの証明

数日後。


泥靴村の広場には、一台の馬車が出発の準備を整えていた。


「アルベルト殿、カイト若様。この度は大変お世話になりました。魔法技術の開示から、我が領の我儘である人員の『入れ替え制』の承諾まで……オデール伯爵領にとって、実り多き滞在となりました」


一足先に南部の領地へと帰還する内政官ウォルターが、頭を下げた。


「ウォルター殿も、道中お気をつけて。竹の件、無理はなさらないでくれよ」


アルベルトが労うと、ウォルターは微笑んで首を振った。


「いえ、必ずや素晴らしい『竹の苗木』を手配し、フェルメールへお送りします。ついでに、南部の特産である美味い『タケノコ』も一緒にお届けしましょう。温泉の景観造りに役立ててください。若様も、楽しみにしていてくださいね」


「わーい! タケノコ、たのしみ!」


カイトが喜んでいると、ウォルターは傍らで見送りに来ていたマルコへと向き直った。


「マルコ殿。私は一足先に帰還し、領主様へ顛末をご報告した上で、治水工事の受け入れ準備を進めておく。こちらの実習の総仕上げと男たちのことは、引き続き任せますよ」


「ハッ。我々も、持ち帰る技術に泥を塗らぬよう、きっちりと仕上げてみせます。ウォルター様も、どうか道中お気をつけて」


現場の責任者であるマルコと、内政官であるウォルター。互いの役割を全うすべく頷き合った、その時だった。


そこへ南部の百人衆たちが押し寄せてきた。


「ウォルター様! どうかお願いです、地元の村に頼んで『竹のザル』を至急、大量に送るよう手配してくだせえ!」


「俺たちも早く『プロの男』になりたいんです!」


彼らの声に、ウォルターは苦笑した。

視線を向ければ、すでに何人かの男たちが、黄色のヘルメットを被って立っている。


「……若様。実は、私もあの帽子の作り方は彼らから教わりました。そこで一つ、提案があるのですが」


ウォルターはカイトを見下ろした。


「あの帽子のベースとなる『竹細工』は南部の特産品です。どうでしょう、あの帽子を我が領の竹細工の村で『直接』作らせてはいただけませんか? ザルを編む工程に組み込んでしまえば、手作業とはいえ、ここへザルを送ってから改造するよりも安く、大量に生産できます」


(……なるほど、南部の村を工場代わりにする『OEM(委託)生産』の提案じゃな。輸送コストも下がるし、量産体制も整う。さすがは有能な内政官じゃわい)


カイトは内心で頷きながら、幼児スマイルをした。


「うん、いいよ! ウォルターのおじちゃんのところで、いーっぱい作って!」


「おお! ありがとうございます、若様!」


ウォルターと南部の男たちが顔を輝かせた、その直後。


「あ、でもね!」


カイトは小さな人差し指を立てて、笑った。


「おぼうしの アゴの ヒモは、ぜったいに『モーガンおじちゃんのヒモと、木のスライダー』をつかってね! それでおぼうしを作ってくれるなら、いいよ!」


「……!」


その条件を聞いた瞬間、ウォルターの背筋に冷たい汗が流れた。

帽子そのものの生産(箱)は譲るが、その心臓部である『スライダーと専用紐』の利権(規格)は絶対に渡さないという、意志。


「……恐れ入りました。純正の『フェルメール規格』を使用すること、我が領の職人たちに徹底させましょう」


ウォルターは一礼し、試作用の紐とスライダーのセット、そして見本としての巾着袋を懐へ収めると、馬車に乗り込み南へと旅立っていった。


***


一方その頃。ハルバードの市場では、モーガンが久しぶりに店頭に立っていた。


「さあ皆様、どうぞお立ち寄りください! こちらが今、湿地で道路建設をしている職人たちの間で普及している、全く新しい袋の閉じ方が出来る革袋と巾着袋……その名も『フェルミエール・スライダー』付き巾着袋と、革袋です!」


新調した商人の服に身を包んだモーガンが、道行く人々に笑みを向けていた。


彼の屋台には、ゴドーの工房で量産された『木製スライダー』と、ベルノー領で規格化された『リネン紐』を組み合わせた様々な小袋が並んでいる。


特筆すべきは、その紐の結び目付近に堂々と「F」の文字が描かれていることだ。


これは出来上がった試作品を見たマダム・ゴンザレスから受けた強烈な『指導』によるものだった。


『ちょっとモーガン! この袋、アタシの最高級泥パックを入れる容器にバッチリじゃないの! いいこと? これを売る時は王都で大流行中の『フェルミエール』ブランドとして売り出しなさい。ここにイニシャルを入れておけば、嫌でも本物って分かるわ!』


王都の貴婦人たちから荒稼ぎしている女将の、えげつなくも完璧なブランディング戦略。モーガンはそれをちゃっかりと自分の商品全体にも流用し、高級感と信頼性を底上げしていたのである。


「普段の開け閉めがスムーズに可能な『シングルスライダー』。貴重なものを保管するために、安全性が自慢の『ダブルスライダー』。用途に合わせてご用意させていただきました。さあ、そちらの紐を片手で軽く押し上げてみてください」


「……なんだこれ!? 片手で閉まって、緩まねえぞ!」

「へぇ!楽じゃん、 俺の腰袋もこれにしてくれ!」

「私は、この貴重品用のダブルスライダーの巾着をもらうわ!」


過酷な現場でプロが認めたという実績と、その利便性に、市場の職人や兵士、買い出しの女たちが殺到し、モーガンの商品は売れていった。


だが、儲け話の匂いを嗅ぎつけた他の商人たちが、これを黙って見ているはずがなかった。


「ふん、あんなもの、ただの木の玉に穴を開けて紐を通しただけじゃないか」

「うちの工房でもすぐに作らせろ! こんな木の端材に穴を開けただけのものならウチだってすぐ出来る!」


数日もすると、ハルバードの市場には、他商人が作った『模倣品(コピー商品)』が半額ほどの値段で大量に出回り始めた。


モーガンの屋台から客足が引き、他の商人たちは「モーガン商会もこれまでだな」と笑っていた。


しかし――その天下は、たったの三日で崩壊した。


「おい! ふざけんな!!」


安物の革袋(財布)を掴まされた客が、顔で模倣品商人の屋台に怒鳴り込んできた。その手には、『底が切り裂かれた革袋』が握られている。


「いざ会計しようとしたら、この玉がキツすぎてビクとも動かねえ! 結局、金を払うために革袋の底をナイフで切って小銭を出す羽目になったじゃねえか! 金返せ!」


「ひぃっ!? そ、それはお客様の使い方が……」


商人が言い訳しようとしたその時、今度は果物屋の親父が殴り込んできた。


「おうおう! どうしてくれるんだ!! お前んとこで買った巾着袋に果物を入れて運んでたら、入り口が勝手に開いて中身が全部地面に落ちちまったじゃねえか! 見ろこの果物、地面に落ちたせいで潰れて商品にならねえ! お前が弁償しろ!!」


「ひぃぃっ!?」

模倣品を売っていた商人たちの屋台に、客からのクレームが次々と殺到した。


無理もない。スライダーという機構は、ただ穴に紐を通せば良いというものではなかったのだ。


ベルノー領の規格化された『リネン紐』の毛羽立ちと、カイトの指示でゴドーたちがミリ単位で調整した『木玉の穴のサイズ』。その二つが組み合わさって初めて生み出される『摩擦係数』は、見た目だけを真似た素人に再現できるものではなかった。


自滅していくライバル商人たちと怒号の嵐を尻目に、モーガンは顔で『本物』を売り続けていた。


「やっぱり、袋は『フェルミエール』じゃないとダメだな」


「ああ、あの『キュッ』っていう手応えは、他所じゃ絶対に真似できねえ」


客たちは安物の銭失いを悟り、結局はモーガン商会へと戻ってくる。

模倣品の存在が、逆に「フェルミエール」の品質とブランド力を証明する結果となったのだった。


それから数日後。


ハルバード市場での成功を収めたモーガンが、フェルメールの屋敷へ報告にやってきた。


「若様にして頂いたアドバイスのおかげで、模造品を作る者が軒並み失敗しております。客足もすっかりウチに戻ってまいりました」


頭を下げるモーガンを前に、カイトは無邪気に「よかったね!」と笑いながら、内心でほくそ笑んだ。


(ククク……物理法則(摩擦係数)で機能する商品には、厳密に規格化されたパーツが不可欠じゃ。見た目だけパクっても、品質管理のノウハウがなけりゃ自滅するだけじゃ。これぞ先行者利益と規格化の勝利じゃな!)


こうして、カイトが生み出した「小さな木の玉」は、着実に、この大陸のライフスタイルを変え始めていた。


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