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第43話 静かに迫る、防諜の罠

ハルバート領の北西、霧の立ち込める森の奥。

狩猟小屋の扉を固く閉めた伯爵は、薄手の夏服のまま粗末な椅子に腰を下ろした。


ベルノー子爵は扉に背を預け、しばらく外の気配を確かめてから、ゆっくりと息を吐く。


伯爵は窓を開け放ち、湿った夏風を入れながら口を開いた。


「……で、ジル。例の『ネズミ』の正体は掴めたか?」


子爵は羊皮紙をめくり、密偵からの報告を忌々しげに吐き出した。


「……例の『ネズミ探し』の結果じゃ。まずはアルデン男爵だが、王都へ向かうフリをして引き返しおった。誰とも接触した形跡はない。押収したメモも、単に己の序列が下がったことへの恨み言を書き殴っただけじゃったわ。


馬を飛ばした例の二名も同様だ。領地に戻るなり家族へ手紙を送りおったが、中身は街道の詳細どころか、『序列が変わって不満だ』という、度し難いほどつまらん愚痴に終始しておった」


伯爵の眉がわずかに上がる。

「……では、本命は?」


子爵はさらに声を潜め、一枚の紙を指で叩いた。


「……バルド男爵じゃ。奴はパーティの翌日、領地に戻るなりボルドー子爵の使いと思しき男を屋敷に引き入れおった。その使いが夜半に馬を出し、ボルドー領の境界へと消えたのを、ワシの密偵が確認しておる」


伯爵はテーブルの上で揺れる、蝋燭ろうそくの炎を見つめ、重い息を吐いた。


「やはりバルドか。序列変更で最も顔を歪めていた男だ。……あの男が、街道の情報をボルドーに売ったのは、もはや疑いようもなかろうな」


子爵は静かに、だが殺気をはらんだ動作で頭を下げた。


「これ以上泳がせれば、詳細が完全に敵の手へ渡ってしまいますぞ。あそこにはワシの娘のエレナと、何より可愛い孫のカイトがいるのじゃ。これ以上、あの子たちを危険な目に遭わせるわけにはいかん」


「……すまんな、ジル。だがワシも、腕利きの騎士隊を派遣しただろう?」


「それとこれとは話は別だ! もしカイトに何かあったら、ワシはハルバード城ごと貴様を燃やしに行くからな!」


旧友のあまりに本気な脅しに、伯爵は思わず苦笑を漏らした。


「……分かった、安心しろ。フェルメール領の外縁にもすでにこちらの手の者を潜ませてある。向こうもいきなり人を狙うような真似はせんだろう。それこそ国を二分する戦争になりかねんからな」


「ワシ一人でも戦争を始めてやるわい!」


「だからやらんでいいと言っておる。……まったく、貴様もすっかり孫バカになりおって」


呆れたような伯爵の声に、子爵はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

伯爵はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓の外、深い霧に包まれた夜の景色を睨み据えた。


その瞳の奥には、裏切り者のネズミをどう始末し、ボルドーの鼻をどう明かすか、冷徹な計算が光っていた。


***


フェルメール家の屋敷では、領主アルベルトが王都の別宅を守っている忠臣、ロバートへ宛てた手紙を書き終えたところだった。


内容は、ロバートに王都での代理人を至急雇い入れ、引き継ぎが完了しだいフェルメール領へ帰還せよという召還命令だ。帰還後は、新たに設立する『工兵隊』の指揮を執るとともに、拡大する屋敷の取り仕切りを任せたい――。そんな切実な期待が綴られていた。


さて、この重要な書状をどうやって届けるべきか。アルベルトが筆を置き、考え込んでいたその時、執務室の扉が控えめにノックされた。


「……失礼いたします。ロラン様への言伝、確かに届けてまいりました」


入ってきたのは、ベルノー子爵から護衛として貸し出されている手練れの男だった。


「おお、戻ったか。……すまないな、本来の護衛任務とは違う伝令のようなことまで頼んでしまって」


アルベルトが申し訳なさそうに労うと、男は表情を変えず、静かに首を振った。


「お気になさらず。子爵様からも、フェルメール領で進められている事業は我が派閥にとっても最重要ゆえ、いかなる助力も惜しむなと厳命されております。……して、旦那様。そちらは王都への手紙ですか?」


「ああ。王都にいる私の部下を呼び戻そうと思っているのだが……この手紙を出す手段に悩んでいたところだ」


アルベルトの言葉に、男の鋭い視線が机の上の手紙に注がれた。


「……もしや、ボルドー領の宿場を経由して送ろうとはされていませんな? であれば、お止めになった方がよろしい」


「何? 蜜蝋で厳重に封印はしているが……それでもか?」

アルベルトが問い返すと、男の口端がわずかに歪んだ。


「旦那様、蜜蝋などは何の気休めにもなりません。熱した刃を差し込み、印章を割らずに剥がすなど造作もないこと。あるいは、透かして読む手法もあれば、割れた蝋を溶かし直して、偽造した印章で再封印する専門の者さえおります」


「……そこまでやるのか。ボルドーの目はそこまで……」


「街道の拠点を握る者は、情報の流れをも支配します。不用心にボルドーの宿駅を頼れば、王都に届く前に中身はすべてボルドー子爵の知るところとなるでしょう」


男の冷徹な指摘に、アルベルトは背筋に冷たいものを感じ、手紙を握りしめた。


現場の安全ばかりか、紙一枚のやり取りさえもが戦場なのだと、改めて思い知らされたのだ。


「……弱ったな。となると、どうすれば……」



「それでしたら、私に伝手がございます。ベルノー家が密かに使っている『裏の便』に乗せれば、ボルドーの検閲に触れることなく、安全に王都まで届けましょう」


アルベルトは深く息を吐き、男に手紙を託した。


「……助かる。恩にきる」


「ハッ。すぐに向かわせます」


その護衛の男が立ち去るのと入れ替わるように、エレナが幼いミレーヌを連れて執務室に入ってきた。


「おお、エレナ。ミレーヌも、こっちへおいで」

張り詰めていたアルベルトの表情が、家族の姿を見てわずかに和らぐ。


「あなた、ロバートに手紙を出されたのですね」


エレナが傍らに歩み寄ると、アルベルトの膝の上でミレーヌが「ぱーぱ、ぱーぱ!」とはしゃぎながら、小さな手で父親の頬をペチペチと叩き始めた。


それを慈しむような目で見守りながら、アルベルトは静かな声でエレナに向き直った。


「……ああ。だが、最近は手紙一通出すのにも、常に敵の影を意識しなければならんようだ。……本来、領主が守るべきは領民の笑顔であって、こうした姑息な情報戦ではないはずなのだがな。この先ずっと、このような生活が続くのかと思うと、正直、気が滅入ってしまうよ」


アルベルトは、自分の顔を叩くミレーヌの柔らかな小さな手をそっと包み込んだ。


「せめて、この子が大人になる時までには……。こんな小細工に神経を尖らせることのない、誰もが胸を張って、安心して暮らせる場所に変えてやりたいものだ」



いつもお読みいただき、ありがとうございます!

おかげさまで、今作は前作(SF作品)の時よりもさらに早いペースで、多くのブックマークや評価をいただけております。日々更新を続ける中で、皆様の反応が何よりの執筆の励みになっています。

前作はじわじわと応援の輪が広がり、最終的に100万PVを突破することができましたが、今作もその大きな目標に到達できるよう、一層気合を入れてカイトたちの活躍を描いていきたいと思っております。

⭐︎でも⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎でも、率直な評価をして頂けると嬉しいです。


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