第41話 馬車は再利用でしょ!専属商人誕生
ボルドー領の関所で、すべてを失った。
「身に覚えのない宝石」が馬車の下から見つかったという、あまりに稚拙で、それゆえに抗いようのない罠。
「……クソッ、ボルドーの犬どもめ……!」
行商人モーガンは、泥にまみれ、破れたシャツとドロドロになった靴を引きずりながら、湿地の縁を這うように歩いていた。
馬車を奪われ、商品を奪われ、店を出す資金も奪われ、長年築き上げた「モーガン商会」の看板すら奪われた。
本来なら、そのまま野垂れ死ぬか、絶望して首を括る距離だ。
だが、彼を動かしていたのは、フェルメール領(泥靴村)に行く度、いつも感謝され、必要とされていたという絆と、すべてを奪った者たちへの煮え返るような怒りだった。
直径三十キロにも及ぶ底なし沼。その外縁を食べる物もなく半周する過酷な旅路。
道なき道を歩き続け、泥水をすすり、ようやく視界に「新しく作られた塀」が入ってきたとき、彼の意識は途切れた。
***
「……おい! 誰か倒れてるぞ!」
塀の作業を終えようとしていた村人たちが、北の道から這い寄ってきた「動く泥の塊」に気づいた。
「……フェルメール……男爵……閣下……」
「お前は……まさか、モーガンか!?」
アルベルトが驚愕して抱き起こした。
「誰か、水を持って来い!」
アルベルトの叫びに、カイトがすかさず腰に提げていた竹の水筒を差し出す。
「おじちゃん、これ飲んで!」
モーガンは震える手でそれを受け取ると、狂ったように中身を煽った。口端から溢れた水が泥だらけの顔に白い筋を作る。必死に飲み干し、ようやく一息つくと、彼はひび割れた唇を震わせた。
水を得て少しだけ生気を取り戻した目で、モーガンは泥と涙が混じった顔を歪め、ボルドーの関所で起きた理不尽を絞り出すように語り始めた。
「宝石を括り付けられ、密輸の疑いで馬車を没収されました……。奴らは私から全てを奪って行ったんです。この村に届けようと思っていたもの、私の人生、その全てを無くしてしまいました……っ!」
「……そうか。合点がいった。やはり、あの放火魔どもはボルドーの差し金だったか」
アルベルトは拳を固く握りしめ、西の空を睨みつけた。
その隣で、カイトは無言でモーガンの姿を見つめていた。
(……にしても、情報の回るのが早すぎやせんか。伯爵の時は、ここに水準器を運ばせたワシも悪かったが、まだ繋がってもいない道の情報をこうも簡単に突き止められてしまうのは、正直、薄気味悪いのう。村人か人足の誰かが喋っとるのか、あるいはそれほどまでにワシらの動きが目立っとるのか……)
カイトは、モーガンのボロボロの足元を見つめ、静かに息を吐く。
(……どちらにせよ、これからは隠すだけじゃ足りん。誰が来ようと撥ね退けるだけの『盤石な地盤』を、経済もろともこの泥の中から築いてやるわい。情報が漏れるなら、漏れた先で震え上がるほどの『力』を持たにゃならんのぅ)
(……よし、決めたわい。この商人も、その『力』の一部になってもらうぞ)
「おじちゃん。お馬さんも馬車もないなら、もう商売できないの?」
「……ああ。……もしかして若様ですか? お初にお目にかかります。申し訳ありません。馬車も商品も、ボルドーの連中に奪われました。……私はもう、ただの無一文の男です。ここへは、せめて謝罪だけでもと……」
「ううん! ぼく、いいこと思いついた!」
カイトはパッと顔を輝かせ、あざといほどの幼児スマイルを浮かべた。
「あのね、おじちゃんの ばしゃ(馬車)は、わるい人がここに おいて行ったの。だから、パパ! あそこにある お馬さんのいない ばしゃ(馬車)、おじちゃんに返してあげようよ!」
「えっ……? だがカイト、あれは証拠品として……」
「しょうこなんて、どうせボルドーの人は「うん」と いわないでしょ? だったら、おじちゃんに かえしてあげるの! お馬さんはパパのところのをかしてあげる。……そのかわり! おじちゃん、この村に『おみせ』を作って!」
「なっ……店をか!?」
モーガンが驚愕に目を見開く。カイトは逃がさないと言わんばかりに畳み掛けた。
「おうちも 空いてるのが一けんあるから、そこに住めばいいよ!
おじちゃんは、この村とハルバードおじちゃんや、ベルノーじいちゃんのところを 行ったり来たりして、お買い物してくるの! それなら わるいボルドーの道は とおらないですむよね?」
(……ふん。馬車という『ハード』は工作員が残してくれた。商人という『ソフト』は今、向こうから歩いてきた。あとは村を拠点にして『専属物流』を組むだけじゃ。ボルドーの関所を避けた『フェルメール直送ルート』の開拓……その第一号店に、これほど相応しい人材はおらんわい)
カイトの言葉に、アルベルトもハッとしたように顎に手を当てた。
「……なるほど。ボルドーに奪われたなら、うちがパトロン(後援者)になって再興させる……。いい考えだ、カイト。モーガン、どうだ? 行商人ではなく、この村に根を下ろした『フェルメール御用商人』として、再出発してみないか?」
モーガンは驚きと感激に震え、泥だらけの顔を地面に擦り付けた。
「私が店を持てるなんて……いつか自分の夢である店を構えるのを目標にしてきましたが、まさかこんな絶望の中から救ってくださると言うのですか……! フェルメールの旦那様、そして若様……。このモーガン、この恩、死んでも忘れません! あのボルドーの鼻を明かすためなら、この命、どこまでも泥に染まる覚悟です……!」
(……泥に染まらんでもええわい! 清潔な店にして領民を喜ばせてやるのが商売人の仕事じゃろうが!)
カイトは内心で毒づきながらも、頼もしい物流パートナーの誕生に、ニヤリと笑った。
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