第39話 放火魔襲来!燃やされた資材
泥靴村の塀の作業が二日目。
湿地の北側から続く細い道を、一台の馬車がゆっくりと近づいてきた。
「旦那様、馬車が向かって来てますぜ」
「そうか、何処の馬車だ」
見張りに立っていた男の報告にアルベルトが頷くと、現場に活気のある声が飛ぶ。
「おーい、そこの馬車、止まれ!」
泥まみれになりながら作業の様子を観察していたカイトは、見慣れない馬車に首を傾げた。
「パパ、あの人は?」
「積んでいる荷物を見ると行商人っぽいな」
「へぇ」
「そうか、カイトは行商人を見るのは初めてなのか。そうだな、いつも来ているモーガン商会は、広場ではなく村の真ん中に店を広げているからな」
アルベルトが優しく教えていると、馬車が塀の前で止まった。
御者台に座っていた二人のうち恰幅の良い一人の男が、ベルノー子爵から借りている護衛の男と何かを話している。
二言、三言話した後、護衛がアルベルトの方にやってきた。
「男爵様、モーガン商会と名乗る商人が、行商に来たと言っています。
「モーガン商会?いつもの店主と違うようだが?」
「あの男たちは、その商会の手代と申しています。なんでも店主が体調を崩しているため、代わりに来たとか」
「分かった。割符を持っているか確かめてくれ。こっちの割符は村長の家にあるが、店主の代わりなら割符を預けてるだろう」
アルベルトが指示を出すと、近くで泥を運んでいた村の若者が「俺が走ってきます!」と泥だらけの手を拭いながら村の奥へ駆け出していった。
馬車は門の前で足止めとなり、御者台の男たちは愛想笑いを浮かべたまま待機することになった。
(行商人のう。それにしては、騎士や護衛の奴らばっかり気にしとるのう。まあ騎士が居たら気になるもんかの)
しばらくして、息を切らした村の若者が木札の半分を握りしめて戻ってきた。護衛の男がそれを受け取り、手代の提示した割符と重ね合わせる。
「男爵様。村長から預かってきた割符と合わせました。……ピタリと一致しました」
「そうか。本物のモーガン商会の者で間違いないようだな。よし、通してやれ。店はいつも通り、村長の家の裏手で広げるように伝えろ」
「はっ!」
行商が村に入って行った後、カイトが塀の作業現場に戻って柱の具合を確かめていると、湿地の方から泥だらけになったガンタが小走りでやってきた。
「監督、ちょっとマズいっす。湿地の深いとこに出ちゃったすよ。いつもよりマットを何枚も埋めてるんですが、いまだに水面に出てこないっす」
「……ふむ」
「で、次のマットを沈める前に、監督の意見を聞こうってことになったっす。無駄に沈められないっすからね」
(なるほど。局所的に支持層が深い『すり鉢』になっとるんじゃな。そこは力技で埋めるより、マットの組み方を変えて浮力を稼がにゃいかんか)
カイトは一瞬だけ鋭い「親方の目」になったが、すぐに幼児の笑顔を作ってアルベルトを振り返った。
「じゃ、ぼく見にいく! パパ、道を見てくるね!」
「ああ、構わないが……深いところなら落ちないように気をつけるんだぞ」
「はーい!」
カイトが元気よく返事をして歩き出すと、背後に控えていた護衛の騎士がスッと進み出た。
「私も一緒に参ります。若様、足元にご注意を」
「うん! ありがとう、ラインハルトおじちゃん!」
伯爵家から派遣された騎士ラインハルトは、カイトの只者ではない風格を無意識に感じ取っているのか、昨日の夜から「若様」と呼び、敬意を持って接してくれていた。
カイトとガンタ、そしてラインハルトの三人は、連れ立って湿地の奥へ続く粗朶道の方へと向かっていった。
***
一方、割符の確認を終えて村の中に入った『商人の手代』は、案内役の村人と共に歩きながら、鋭い視線を周囲に走らせていた。
「ん、そっちじゃないですよ? いつもは村長の家の裏側に店をだしてもらっているんですが?」
歩みを止め、湿地に近い村の外れ――広場の方へ向かおうとする商人に、村人が不思議そうに尋ねる。
手代は愛想笑いを浮かべ、大仰に手をもみ手した。
「いやあ、今日はいつもより多く品物を運んできているものですから、店の商品を大きく広げたいんですよ。村長の家の裏手では少し手狭かと思いましてね」
「ああ、なるほど。そうかい、じゃあこっちの広場を使ってくれ」
案内した村人もあっさりと納得し、男たちを広場へと導いた。
そこはまさに、密偵が求めていた絶好の場所だった。
広場からは湿地へ続く道が一望でき、何よりその手前には、大量の資材が山積みにされていたからだ。
(……あれが、泥を沈めるという道の材料か)
密偵は荷台から商品を降ろすふりをしながら、横目で資材置き場を観察する。
そこには、木の枝を組んだ巨大なマットの作りかけや、運搬用の大八車に乗せられた大量の砂利や石が置かれていた。
(ただの枝の束じゃないか。あんなガラクタで道を作っているとはな。……だが好都合だ。よく乾燥した枝葉など、火をつけてくれと言っているようなもの)
密偵は、警備が手薄になる瞬間をじっと待った。
やがて、さっき村の入り口にいた領主の息子と思しき子供と、厄介そうな鎧を着た騎士が、人足と何やら話しながら湿地の道の奥へと歩き去っていくのが見えた。
広場の資材置き場周辺には誰もいなくなり、今、密偵の周りにいるのは、安売りの品を買いに群がってきた数人の村の女たちだけだ。
「さぁさぁ奥さん方! いつもご贔屓にしてもらっているから、今日は特別ですよ!」
密偵は、女たちが差し出した沼鉄や泥炭を受け取ると、それと交換で干し肉や布切れを、相場を無視して多めに袋へ押し込んだ。
「えっ……こ、こんなにいいのかい?」
「ええ! 私の気が変わらないうちに、さっさと持っていってください!」
「そうかい。あんた、気前がいいねぇ。助かるよ!」
ホクホク顔の女たちは、気が変わらないうちにとそそくさと広場を後にした。
周囲から完全に人払いが済んだ。
二人の密偵は顔を見合わせると、人の良い商人の仮面を完全に投げ捨てた。
「手早く済ませるぞ」
「応」
二人は懐から火打ち石と、油を染み込ませたボロ布を取り出し、素早く手分けをして標的へと向かった。
一人は砂利を積んだ大八車と作りかけの粗朶マットへ。もう一人は、山積みにされた乾燥した木の枝へと容赦なく油を撒く。
「泥靴どもめ。大人しく泥でも漁っていればいいんだよ」
冷たいつぶやきと共に、二箇所で同時に火が放たれた。
油を吸った布は一瞬で炎を上げ、それはよく乾燥した粗朶のマットや木の枝、そして大八車へと瞬く間に燃え移っていく。
パチパチという木が爆ぜる音が、あっという間に轟々(ごうごう)という炎のうねりに変わった。
「……火事だぁっ!!」
遠くで誰かが叫ぶ声が響いたが、もう遅い。
二人の密偵は燃え広がる炎には目もくれず、行商の馬車へと走った。
彼らは手際よく手綱を刃物で切り裂き、馬を馬車から切り離す。
そして燃え盛る資材の山を背に、素早く二人で馬の背へと飛び乗った。
「行けっ!」
手綱を握る男が腹を強く蹴り上げると、馬が鋭くいななき、猛然と駆け出した。
二人の密偵を乗せた馬は、煙が上がり混乱し始めた広場を抜け、塀の建設作業が続く村の入り口へと全速力で突っ込んでいく。
「な、なんだ!? おい、止まれ!」
アルベルトの傍に控えていた護衛の男が異常を察知し、「貴様ら、待て!」と叫んで後を追ったが、歩兵の足で全力疾走する馬に追いつけるはずもない。男たちはあっという間に門を抜け、北の道へと姿を消してしまった。
「旦那様、村の奥から煙が……火事です!」
「なんだと!?」
アルベルトが慌てて振り返ると、村の奥の広場の方角から、空を焦がすような黒い煙がもうもうと立ち上っていくのが見えた。
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