第36話 防壁急造!現場の安全を確保せよ
騒がしかった荷物の片付けを終えた食堂のテーブルには、ハルバードの市場で吟味した瑞々しい果物と、湯気を立てる肉料理が並んだ。
「肉の焼き方は二種類用意した。泥炭の煙でじっくり燻してから焼いたものと、香りを軽く纏わせた後に手早く仕上げたものだ。フライパンで焼き、香辛料と塩で味付けしてある。どちらが好みかわからないから、好きな方を選んで食べてくれ。添えてあるのは、クレソンや水菜に似た湿生植物を川魚の燻製と和えたものだ」
アルベルトがそう言って皿を勧めると、ハルバード伯爵領から派遣されてきた騎士たちは、並べられた料理と厨房に立つアルベルトを交互に見比べ、少し戸惑ったような顔を見せた。
無理もない。今の主君である領主自らが厨房に立ち、客人のために料理を振る舞うなど、彼らにとってはまずお目にかかれない光景だ。
リーダー格の騎士が、少しだけ姿勢を正して手元の皿を見下ろした。
「野営の焚き火料理ならともかく、領主殿自らがこれほどの趣向を凝らして厨房に立たれるとは……。皆、領主殿が直々に焼いてくださった肉だ。心して味わわせてもらおう」
その言葉に他の者たちも頷き、泥炭の煙を吸って黒光りする肉へとナイフを入れる。独特のスモーキーな香りと塩気が、肉の旨味をしっかり引き立てていた。付け合わせの湿生植物も脂をさっぱり流してくれた。
「…なるほど、素晴らしい。泥炭の香りがここまで肉を引き立てるとはな…」
彼らは感心しながら、次々と皿を空にしていった。
和やかな空気の中で食事が進み、やがてテーブルの上が片付き始めた頃。騎士たちの纏う空気が、ふと「もてなされる客」から「プロの仕事師」のそれへと切り替わった。
「さて、この素晴らしい夕食への礼というわけではないが。少し、本題の警備の話をさせていただきたい」
食後の水で喉を潤し、騎士は真剣な眼差しをアルベルトへ向けてくる。
「先ほど二階へ荷物を置きに行った際、窓と扉の鍵の状態を検分させてもらいました。寝静まった後に外から容易に外せます。夜間は内側から閂を足すべきです」
さらに彼は、屋敷の周囲へ目を向けるように首を振った。
「それと、気になったのは裏手です。湿地特有の雑草が腰の高さまで伸びている。あそこまで深いと、不審者が潜んでいても外からはまず分からりません。早いうちに刈り取っておくか、足元に鳴子を仕掛ける必要があります」
すると別の護衛からも声が上がった。
「窓から見える射線を確認しましたが、その雑草がなくなれば隠れるところがなくなります。刈り取ってしまった方が良さそうです」
さっきまでの夕食の余韻は心地よく残りつつも、食堂には彼らがもたらすピンと張り詰めた緊張感が漂い始めた。アルベルトは騎士の指摘に対し、静かに頷いた。
「二階の施錠については了解した。実は今、貴殿らの詰め所となるところを急ピッチで進めている。二、三日で終わるはずなので、それが終わったら修理させよう」
今は彼らの拠点作りを優先させているという内情を明かすと、騎士は納得したように一つ頷き、姿勢を正した。
「承知いたしました。ならば、裏手の雑草については私たちの方で刈っておきましょう。これも警備の一環ですので、どうかお気遣いなく」
「分かった。では、遠慮なくお願いします」
そう答えた後、アルベルトはどこか肩の荷が下りたような顔で、少しだけ困ったように眉を下げた。
「しかし、今まで何もなかったこの土地に、急に八人もの警護の方が増えてしまって……。下賜されたバングルやアスコットタイも、今は伯爵様に預かっていただいていますし。正直なところ、少々過剰なのではと考えてしまいます」
アルベルトは信頼できる伯爵に宝を預けたことで、この領地の危険要素は排除されたと思い込んでいた。
そんな父の呑気な言葉に、カイトは内心で深く溜め息をついた。
(それは違うぞ、親父。例えばあの『水準器』一つ取ったって、市場に出れば金貨三枚の値が付く。そんな道具が次々と運び出される場所を、防壁すらない村に放置しておけるわけがない。……いや、それに気づかなかったワシも人のことは言えんわい)
カイトの脳裏に、お披露目パーティーで震えながら至宝を外した母・エレナの姿が浮かぶ。
(ワシ自身、昨日まで肝心の現場の安全を完全に失念しとった。一歩街を出れば、お宝一つで一家皆殺しに遭う剥き出しの世界……。今回の件で思い知らされたわ。うちの陣営は、ワシも含めて至る所で危険予知が決定的に不足しとるんじゃ)
カイトが自戒を込めて沈黙を守る中、騎士がアルベルトの言葉を遮るように、静かだが重みのある声を放った。
「恐れながら、アルベルト殿。決して過剰などではありません。たとえ宝を預けたとしても、狙われる理由は他にもあるのです」
騎士の眼差しは、先ほどの戸締まりの指摘よりもさらに一段、鋭さを増していた。
「伯爵様が危惧しておられるのは、特産品だけではありません。今後、この湿地帯を通って開拓される『道』そのものが、巨大な標的になる可能性が高いのです」
「道、ですか?」
「ええ。現在、王都との主要な街道を結んでいるのは、ボルドー子爵を含めた王都の南に領地を持つ『ヴァロワ侯爵』の派閥です。彼らはその街道の通行権を握ることで、莫大な利権を得ています」
騎士はテーブルの上に視線を落とし、水滴で地図を描くように指を滑らせた。
「ですが、もしこの湿地のど真ん中を突っ切る新たなルートが出来上がってしまったらどうなるか。……侯爵らが黙って見過ごすはずがありません。彼らは利権を守るため、あの手この手で工作を仕掛け、この道が完成しないよう邪魔をしてくるでしょう。我々がここに派遣されたのは、その妨害からこの地を死守するためだと、伯爵様は仰っていました」
自分たちが作った道具の価値だけでなく、村を通る「道」までもが、大貴族の派閥争いの火種になっている。
「宝を預けたから安心」という次元を遥かに超えた、泥沼の利権闘争。
「……そう、ですね。仰る通りです。 ……道を作る村人達にも危険が及ぶかもしれないのか……」
アルベルトはなんとか領主としての威厳を保とうと頷き返したものの、その声は隠しきれない動揺で独り言すらも口に出していた。
やがて、護衛たちは二手に分かれ数名が屋敷の外周へと見回りに出ていき、残りの面々は、開放された広間へと移動していく。
食堂に親子二人だけが残された。
頭を抱え込むようにして黙り込んでしまった父を見て、カイトは内心で腕を捲り上げた。
(嘆いていても現場の安全は確保できんぞ、親父。危険が予測できたなら、次に行うのは『対策の立案と実行』じゃ! 今のこの村に決定的に足りないのは、外敵の侵入を遅らせる物理的なハード……つまり『防壁』だ)
とはいえ、この泥靴村には木材も、防壁のような大規模建築を素早く組み上げられるだけの人手も足りない。
頼みの綱である職人三人衆のゴドーやバルカス、ダンは、今まさに騎士たちの詰所を突貫工事で作らせている最中であり、とても手が回らない。
(資材と人手……。待てよ、うってつけの『資材の山』が隣にあるじゃないか!)
カイトはパタパタと短い足で駆け寄り、アルベルトのズボンの裾をグイッと引っ張った。
「パパ! ロランおじちゃんにお手紙かこうよ!」
「……カイト? ロラン殿に、手紙を?」
虚を突かれたように顔を上げたアルベルトに、カイトは無邪気な、しかし確信に満ちた瞳を向けた。
「うん! おじちゃん、前に言ってたでしょ。『困ったときは恩返しする』って! おじちゃんのところには、おっきな木がいっぱいあるし、力持ちのおじちゃんたちもいっぱいいるよ! パパがお手紙で『おうちの周りに、ドロボウさんが来ないようにおっきな塀を作りたいから、木と人を貸して!』ってお願いするの!」
「防壁の木材と、人手を……ロラン殿から借りる……?」
アルベルトの目が、ハッと見開かれた。
ロランの領地は林業が盛んであり、木材の扱いに長けた領民が多くいる。それに、フェルメール領とロラン領は今やあの『湿地の道』で結ばれた強固な同盟関係だ。
王都での利権争いに巻き込まれている詳しい事情を伏せたとしても、「野盗対策」という名目なら、義に厚いロランは間違いなく力を貸してくれるだろう。
「カイト……お前は本当に、我が家の救世主だな」
アルベルトの顔から先ほどの絶望が消え、領主としての強い光が戻った。彼はカイトの頭を力強く撫でると、勢いよく立ち上がり執務机へと向かった。
「すぐにロラン殿へ親書をしたためよう! それから、防壁を建てるとなれば村の周囲の測量が必要になる。ゴドーたちは詰所の建設で手が離せないから、明日の朝一番で村長のモズ爺さんに頼んで、手の空いている村人を見繕ってもらおう。護衛の騎士殿たちにも、防衛に最適なラインの助言をもらわねばな!」
ペンを走らせるアルベルトの背中からは、先程までの迷いは消え失せていた。
(ククク、その意気じゃ親父。図面を引き、資材を調達し、人を手配する。現場監督の血が騒ぐわい!)
こうして、何もない村だったフェルメール領は、この夜を境に怒涛の建築ラッシュへと突入していくのだった。
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