第33話 母の心!領地を救う最強の盾
「あら、あなた。……エレナ夫人も、少しお疲れのようですわ」
冷ややかに、しかし場を支配する圧倒的な優雅さを持って割って入ったのは、ハルバード伯爵夫人、ベアトリスだった。
彼女は夫である伯爵の鋭い追及を遮るように、震えるエレナの肩をそっと抱き寄せた。
「ここでお話しするようなことでもありませんわ。……ベルノー子爵、マルグリッド夫人。少しあちらの小部屋で、静かにお茶でもいかが?」
ベアトリスは、パパ(アルベルト)の困惑をも包み込むような手際で、一同を別室へと促した。カイトは、エレナの腕の中でこぼれ落ちそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら、重い扉が閉まる音を聞いた。
「お入りなさい」
ベアトリス夫人が静かに扉の向こうへ声をかけると、そこにはミレーヌを抱き、緊張で顔を強張らせたリーザが立っていた。彼女は震える手で、カイトから外された宝飾品が収められた箱を抱えている。
「あなた、そしてジル様。……事情はすべて、彼女から聞きましたわ」
ベアトリス夫人は、リーザが差し出した箱の中身――国宝級のバングルと、ジル子爵自慢の蒼色のアスコットタイ――を冷ややかな目で見下ろした。
「あなたも、ジル様も。お二方はこのバングルと蒼色タイを、フェルメール家への信頼の証として授けました。ですが、それを受け取って帰る道中、彼らに何が起きるか想像なさいましたか? 今のフェルメール家には、これほどのお宝を守るための護衛騎士など一人もおりませんのよ」
「……あ」
「賊にしてみれば、ハルバードの名よりも目の前の黄金の方がよっぽど信じられるものですわ。贈り物が、この子やこの一家を殺す標的になっても良いとおっしゃるの? エレナ夫人は、それを防ぐために、あえて不興を買うことを承知でこれを外したのです」
ベアトリス夫人の一喝に、伯爵は絶句し、ジルじい様もがっくりと肩を落とした。
「……わしも、魔石の格ばかりを考えておった。エレナ、すまなかった」
(……あ、あぁ……そういうことか……)
ママの腕の中で、カイトの冷え切った脳にようやく「答え」が流れ込んできた。ベアトリス夫人の言葉が、その薄れゆく意識を最後に一度だけ強く引き戻した。
(……ワシは何を……何を考えとったんじゃ……。昨晩はバルドの鼻をどう明かしてやるか、そんな『遊び』のことばかり……。だが、肝心の『現場の安全』を完全に失念しとった……)
エレナの心臓の音が、トクン、トクンと耳に響く。
それは、愛する息子と家族を守るために、孤独な戦場に立っていた母親の鼓動だった。
(……そうか……ここは現代日本じゃない……。一歩街を……街を出れば、お宝一つで一家皆殺しに遭う……剥き出しの世界……。現場に戻ったら……まずは4RKYを……)
ママたちが命がけで固めてくれた「安全」の温もりに包まれながら、カイトの脳内のブレーカーが、ついに音を立てて落ちた。
「……すう、……すう……」
「あら……カイトちゃん?」
先ほどまで大人たちの舌戦の渦中にいたはずの五歳児が、エレナの腕の中で、まるで電池が切れたようにすとんと眠りに落ちていた。
「よっぽど疲れていたのね。……見て、この寝顔。天使のようですわ」
「ああ。……本当に、この子を危険に晒すところだった。エレナ、許してくれ」
アルベルトが、眠る息子の柔らかい頬を愛おしそうに撫でる。
さっきまでの殺伐とした空気はどこへやら。純白のフリルに包まれ、無垢な寝息を立てるカイトを中心に、部屋の中には穏やかな時間が流れ始めた。
カイトがエレナの腕の中で穏やかな寝息を立て始めると、別室の空気は「謝罪」から「具体的な対策」へと切り替わった。
「……アルベルト。カイトにもしものことがあったら、どうするつもりじゃった!」
まず口を開いたのは、ジルじい様だった。その声は低く、息子(義理だが)に対する真剣な怒りが籠もっている。
「お披露目で浮かれるのも大概にせよ。今のフェルメール領は、お主が考えている以上に『価値』が出てしまっておるのだ。護衛の一人も付けずに、出歩くなど無防備にも程がある!」
「全くだ。ジル子爵の言う通りだぞ、アルベルト」
伯爵も腕を組み、厳しい表情で追随した。
「我が家の家宝を贈ることで後ろ盾を示したつもりだったが、貴殿の家がこれほどまでに『守り』を疎かにしているとは思わなんだ。……今回の件、私にも非はあるが、領主としての貴殿の危機管理の甘さは否定できん」
「……申し訳ございません。返す言葉もございません」
アルベルトは深く頭を下げた。エレナの震え、そして伯爵夫人の一喝。それらを見て、ようやく自分の「平和ボケ」を痛感したのだ。
「さて、ベアトリス。このバングルとタイだが……」
伯爵が、リーザの持つ宝飾箱に視線を落とした。
「このままフェルメール家に持たせるわけには参りませんわね。ですが、返却したとなれば『ハルバード家が後ろ盾を辞めた』と良からぬ噂が立ちます」
ベアトリス夫人が、扇で口元を隠しながら名案を口にする。
「こうしましょう。『カイトちゃんが成人し、自ら守る力を得るまでは、ハルバード家の宝物庫にて大切に保管・管理する』と。
これは貸与ではなく、既にカイトちゃんの所有物。
ハルバード家はあくまで『管理を委託された』という形にするのです。これならあなたや閣下の面目も立ちますし、賊がフェルメール領を狙う理由もなくなりますわ」
「ふむ、良き案だ。ジル子爵、それで構わんな?」
「異論はございませんな。むしろ、それが一番の安全策ですな」
「だが、お宝を預けたところで、あの領地自体の価値が上がっている事実は変わらん。……ジル、貴殿の飼っている『犬』を数匹、フェルメール家に貸し出してはどうだ?」
伯爵の言葉に、ジルじい様がニヤリと笑った。
「既に考えております。わしの直属の中から、隠密と守護に長けた数名を、道路建設の『技術指導員』という名目でフェルメール家に移籍させましょう。アルベルト、拒否は許さんぞ」
「……は、はい! ありがとうございます!」
さらに伯爵が追い打ちをかける。
「我が家からも、騎士団の精鋭を数名、半年の期限で派遣しよう。
名目は『バイパスルート開通に向けた治安維持』だ。これで周辺の野盗も、フェルメール領が『ハルバードの庭』になったことを思い知るだろう」
「ふむ、期限を切るのは良いな。ウチの技術指導員は、風呂を作る技術を習得するまでは絶対、帰るなと言っておこう」
「ん…? ジル、待て。それはズルくないか?」
「身内特権じゃ!」
室内に、抑えきれない笑いが広がった。
先ほどまでの緊張がほどけ、空気がやわらぐ。
だが伯爵は咳払いひとつで場を整えた。
「よし、この件はこれで決まりだ。詳細は後ほど詰める。……客を待たせるわけにはいかんからな」
全員が頷いた。
こうしてカイトが眠りに落ちている間に、場の空気は落ち着きを取り戻し、別室では一連の騒動についての説明が行われた。
始まりは、震える手で宝飾箱を抱え、伯爵夫人のもとへ駆け込んだリーザの報告だった。あの一歩がなければ、事態は違う形になっていただろう。
派閥の二大当主である伯爵家と子爵家が公に後ろ盾を示したことで、フェルメール家の立場は事実上、格上へと引き上げられた。
翌日。
「……ふぁ、よくねた〜!」
翌朝。宿泊所のベッドで目を覚ましたカイトは、驚くほど体が軽いのを感じた。昨晩の徹夜の疲れも、五歳の若さあふれる肉体には敵わなかったらしい。
(……ワシ、あの後どうなったんじゃ? 確か別室へ運ばれて……ママの心臓の音を聞きながら、そのまま意識をシャットダウンしてしもうたか。情けない……。現場の重大局面で居眠りこくとは、現場監督失格じゃわい)
内心で頭を抱えながらも、宿で朝食を摂ったカイトは、エレナに手を引かれ、自領へ帰るための馬車が待つ中庭へと出た。
「……あれ?」
カイトは思わず足を止めた。
そこには、自分たちが乗ってきた見慣れたフェルメール家のボロ馬車のすぐ前に、もう一台、銀色の装飾が眩しい重厚な馬車が鎮座していた。
ハルバート伯爵家の紋章が刻まれた、まさに貴族の移動要員といった趣の車両だ。
さらに、その周囲を固めるのは八人の武装集団がいた。
実戦慣れした風貌の男たちが四名。
そして、ハルバート家の鎧を纏った騎士が四名。
完璧な陣形で馬車を包囲するその様子は、一切の隙がなかった。
「……パパ。だれか、いっしょに、行くの?」
カイトはアルベルトを見上げて、不思議そうに尋ねた。
これだけの馬車と精鋭たちが揃っているので伯爵家の誰か重要な人物が、自分たちの領地まで視察にでも来るのかと思った。
すると、アルベルトは少し誇らしげに、カイトの頭を撫でて答えた。
「いや、違うんだカイト。この馬車も、この人たちも、みんな今日からうちの仲間なんだ。ハルバード閣下がな、『我が家の騎士を同行させるのに、その馬車では体面に関わる。この馬車はもう使わんから、譲ってやる』と仰ってくださったんだよ」
(……は? 「譲る」だぁ!? 伯爵家にとっちゃ旧型かもしれんが、ワシらにとりゃ最新鋭のVIP仕様じゃぞ。サスペンションも装甲も、大八車とはダンチじゃわい……!)
「そこの四人はジル様が選んでくれた凄腕の護衛だ。そして騎士の人たちは半年間、ウチに派遣で来てくれることになったんだ」
行きは泥靴領の田舎貴族だったのに、帰りは伯爵家公認の“重点支援対象”になった。評価というものは、あっさり書き換わると思うカイトだった。
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キャラに名前を付けてサクサク書いてるうちに元の名前をすっかり忘れる癖
自分も4RKYやらなきゃだなぁと痛感しました。あ、4RKYとは、4ラウンド危険予知という
頭文字をとっているそうです。
「ハルバード伯爵、表記統一ヨシ! ご安全に!」




