第32話 命懸けの拒絶!至宝より大事な物
改訂:ハルバート→ハルバードに変更
(……ふぅ、ようやく全六家の挨拶が終わったわい。これで本日のメインイベントは終了じゃな。あとは隅っこで美味いもんでも食いながら、親父の名刺交換を眺めて……)
安堵と同時に、頭の芯がふっと軽くなる。
視界の端がわずかに滲む。まぶたが重い。
昨夜、ベッドの中で延々と繰り返した“反撃計画会議”のツケが、今ごろになって回ってきたらしい。
(思考はジジイでも、体は五歳児か。睡眠は削れんらしいのう)
「さあカイト。次はお色直しの時間よ」
安堵したのも束の間、ママ、エレナの白く美しい手が、逃れられない重機のような正確さでカイトの肩を掴んだ。
「えっ……お、おきがえ? ママ、カイト、つかれちゃった、このままでいいよ……?」
「ダメよ。おじい様との勝負で決まったでしょう? 挨拶の時はおじい様の選んだ服、歓談になったら私の選んだ服に着替えるって」
(……うっ、あの執念のコイントス! 現場監督たるもの、一度決まったスケジュールを勝手に変更することは許されん……。じゃが、あのフリルだけは勘弁してほしいんじゃがのう……)
連行された控室でカイトを待っていたのは、リーザだった。
彼女は片手でミレーヌを抱え、もう片手にフリル付きのシャツを持っている。
腕の中のミレーヌは、その揺れるフリルを掴もうと、きらきらと目を輝かせていた。
「さあ、これに着替えて。このフリルが、カイトの柔らかい頬のラインを強調して……ふふ、やっぱり最高に可愛らしいわ」
有無を言わさぬ手際で、ジルじい様自慢の「蒼い魔石のアスコットタイ」が外されていく。そして、代わりに首元を埋め尽くしたのは、空気抵抗を極大化させたような純白のフリルだった。
「あ、そうだわ。この『バッカスのバングル』も無くしたら大変ね。外しておきましょう」
エレナの指先が、先ほど伯爵が仰々しく嵌めてくれた「国宝級の魔道具」に掛かった。
(……おお、ママ、それは伯爵に喧嘩売っておらんか、それ!? 『領地の至宝』として皆の前で授与された看板商品を、たった数分で『邪魔だから』と外すとは……。これじゃあまるで、社長の特別ボーナスを、専務が『使いにくいから没収』するようなもんじゃぞ!)
「ママ、これ、えらいひとがくれたんだよぉ……? はずしちゃって、いいの……?」
不安げな五歳児を装ってカイトが尋ねると、エレナは聖母のような微笑みを浮かべたまま、あっさりとバングルを外して宝飾箱に納めた。
その宝飾箱をリーザに渡すと、エレナは耳元で何かを囁く。
リーザはミレーヌを抱いたまま控室から出て行った。
「ママ、どうしたの?」
「何でもないのよ。だいたい、大の大人がお披露目する子供に、家宝だの国宝級だのと重たいものを持たせて、何がしたいのかしら? この可愛いカイトちゃんは、そんな物付けなくても輝いてるの。そんな金ピカの腕輪より、この白いフリルの方がよっぽど価値がありますよ」
(……ママ、それは親バカじゃぞい…)
カイトは内心で溜息をついた。が、ママの目をみた時に本心ではないと気づいた。
(……ん。ママが怯えている……? この震え方は尋常じゃない。だが、ダメじゃ、思考がまとまらん。昨晩の徹夜が響いとる……脳がまともに動かんわい……)
会場に戻ったカイトを、ハルバード伯爵の鋭い視線が射抜いた。
自分の手で嵌めたはずの『バッカスのバングル』がカイトの腕から消え、代わりに真っ白なフリルの袖が覗いていた。それを見た伯爵の眉間に、深い溝が刻まれた。
「……エレナ夫人。説明してもらえるか。私が授けた至宝を、なぜ外している?」
伯爵の声には、隠しきれない不快感が混じっていた。
「せっかくの好意を無下にしたのか?」
「なんで?」
周囲の貴族たちも、ざわつき始める。
「……っ、そ、それは、閣下……。あ、あまりに……あまりに貴重なものですから……」
ママの顔からは、みるみる血の気が引いていく。ワシを抱く腕は、折れそうなほど強く震えていた。その時だった。
「か、閣下! お待ちください!」
脇から飛び出してきたのは、パパ、アルベルトだった。パパは震える膝を必死に抑え、ママの前に立ちはだかって伯爵を遮るように頭を下げた。
「エレナ、どうしたんだ? ……閣下、お待ちを。これには、これには深い訳があるはずでして……。な、エレナ、そうなんだろ? 訳があるんだよな?」
必死にママを庇いながらも、パパの目は泳いでいる。パパ自身、なぜママがバングルを外したのか、その真意が全く分かっていないのだ。
「……エレナ」
さらにもう一人、人混みを割って出てきたのはジルじい様だった。
子爵は不機嫌そうな顔のまま、しかし娘の窮地を見過ごせず、アルベルトの隣に並び立った。
その威圧感はさすが子爵だが、じい様もまた、娘がなぜこのような危険を犯してまで至宝を外させたのか、測りかねているようだった。
男二人が前に立ち、伯爵の不興を必死に逸らそうとする。
だが、それが逆に「重大な不祥事」を隠しているような不自然な空気を生み出していた。
(……おいおい。パパもじい様も、ママを助けようとして余計に伯爵を刺激しとらんか? 伯爵の目がどんどん据わってきとるぞ。ママ、どうしたんじゃ? 早く何か言わんと、フェルメール家が……)
カイトは必死に思考の歯車を回そうとした。だが、昨晩の徹夜のシミュレーションが、今になって最悪の形で牙を剥いた。
(……くっ、ダメじゃ。頭の中に霧がかかって……思考が全くまとまらんわい。さっきからママの腕がガタガタ震えとるのも、伯爵が何に怒っとるのかも、理屈では分かっとるはずなのに……繋がらん。脳ミソのブレーカーが落ちかかっとる……)
視界がわずかに熱を持ち、思考は泥濘に足を取られたように鈍い。
目の前では、冷徹な追及を続ける伯爵と、必死に食い下がるパパとじい様。
現場なら「崩落の予兆」を察知して即座に指示を飛ばすべき局面だが、今のカイトにできるのは、ただママの腕の中でこぼれ落ちそうになる意識を繋ぎ止めることだけだった。
「理由を、正確に述べよ。不服だと言うのか?」
伯爵の追及が、逃げ場を塞ぐ。
鋭い言葉の刃が、震えるエレナを真っ向から貫こうとしていた。
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