第3話 未知の技術との出会い
表題を追加しました。
(……ふん。今日も今日とて、平和なこっちゃな)
ゆりかごに揺られながら、じいちゃんは天井を見上げて鼻を鳴らした。
生後数ヶ月。ようやく視界がはっきりしてきて、あの「タワシ髭」の正体が、やたらとガタイの良い、だが目は笑っている父だと分かった。母も、驚くほどの美人だ。
だが、じいちゃんの心はまだ「ストライキ中」である。
(……死ぬ間際に、あんなにサッパリした気分で「あぁ、いい人生だった」なんて仏様みたいな顔で逝った気がしたんじゃが、いざ赤ん坊に逆戻りしてみりゃ、どうだ。
腹は減るのに自分じゃどうにも出来ん、オムツは気持ち悪い、言葉は出ん。
せっかく丸くなってたワシの性根が、また角が立ち、トゲトゲしくなっていくのが自分でも分かるわい。
(……さっきまで、あのお嬢さんがニコニコ笑って『いないいないばあ』を執拗にやっていったが、ワシは笑わんぞ。あんな子供騙しに屈してたまるか。ワシは人生を上がり切った男。今さら赤ん坊のフリなんて、自分への裏切りじゃ……。)
不貞腐れた顔で、わざと明後日の方向を見る。
ようやく「いないいないばあ」の嵐が去り、静かになった部屋でじいちゃんが意固地になっていると、一人の若い女中が入れ替わりでやってきて、山のように積まれた洗濯物の前に立った。
(お。女中さんか?。あの大量の汚れたおしめを、一日がかりで洗うんじゃろ。難儀なことやのぅ。ワシがもう少し動けりゃ、効率的な洗い方を教えてやるんじゃが……)
じいちゃんは、かつての知恵を披露できない不自由さを呪いながら、冷めた目で彼女をぼーっと見ていた。
だが、次の瞬間。じいちゃんの「常識」は粉々に砕け散った。
女中が、山積みの汚れた布から一枚を手に取ると布に向かって、指先を小さく振る。
「……○△□」
シュンッ!
一瞬だった。
パッ、と小さな光が弾けたかと思うと、つい一秒前までアレやコレやで汚れていた布が、まるで新品のように真っ白になったのだ。
(………………へ?)
じいちゃんは、目を見開いた。
あまりの衝撃に、不貞腐れるのも忘れて、口が「ぽかん」と開く。
(……なんじゃ、今の? ……手品か? それともワシ、いよいよボケが極まって幻覚でも見とるんか? 桶は? 洗濯板は!?)
女中は当たり前のような顔をして、綺麗になった布を畳んでいる。
布からは、「雷上がりの空気の匂い」のような不思議な香りが漂っていた。
(お、おい。ちょっと待て……。今、彼女、指を振っただけじゃったよな。一瞬で汚れが落ちたぞ……)
じいちゃんは、震える手を自分の顔の前に持ってきた。
(……これ、ひょっとして……魔法と言うやつか? テレビの中でしか見たことのない、あの……!)
人生で築き上げた「物理の法則」が、目の前の若い女中の気まぐれな指先一つで完全否定された。
(……なんてこった。やり直し、やり直しと腐っておったが……。ワシの知らん技術が、この世界にはあるのか?)
じいちゃんの目が、初めて好奇心でギラリと光った。
汚れた布が白く染まるあの鮮やかさ。それは、かつて彼が愛した「働く喜び」や「技術の極致」とはまた違う、未知の輝きだった。
(……ほう。これは、ちと、面白そうじゃないか。……いや、まだ納得したわけじゃないぞ! 決して天界の役人を許したわけじゃないが……。あの、ピカッとやるやつ……。あれは一体どういう理屈なんじゃ。不純物だけを分解しとるのか、それとも時間を巻き戻しとるのか。……もう一度近くで見てみたい。それになんと言っているのか、あの「呪文」の法則性も聞き取らねばな)
じいちゃんは、思わず女中の指先を目で追いかけ、さらにはその口元へと必死に耳を傾けた。その顔は、不貞腐れた老人ではなく、初めて「おもちゃ」を見つけた子供そのものだった。
彼女はじいちゃんの方を向きもせず、無造作に指を振った。
「……○リーン」
シュンッ!
(……おおおっ! 消えた! 汚れが、一瞬で光の中に消えよった!)
じいちゃんは、あまりの快感に魂が震えた。
洗剤の泡も、ゴシゴシ擦る労力も、乾かす時間もすべてショートカット。技術者として、これほど「無駄のない仕事」を見せつけられて、黙っていられるはずがない。
「あぅ! キャッハッ! キャハハッ!」
じいちゃんは、声をあげて笑った。
かつて、最新式の耕運機が初めて自分の田んぼに投入され、一反をわずか数十分で完璧に耕し尽くしてしまった時のような、あの純粋な興奮が蘇る。
女中は最初、気づかなかった。
「よし、次」とばかりに三枚目のおむつを手に取る。
「……クリーン」
シュンッ!
「あーうー! キャキャッ!!」
じいちゃんは、ぷくぷくの手をバタつかせ、全力で「喝采」を送った。
(いいぞ! もっと見せてくれ! 一体何をやったらあっという間に綺麗になるんだ!?)
そこで、ようやく女中の動きが止まった。
背後から聞こえる、赤ん坊の、それも今まで一度も聞いたことがないような歓喜の声。
(……え?)
女中は、恐る恐る振り返った。
そこには、いつも仏頂面で天井を睨んでいたはずの坊っちゃまが、顔を真っ赤にして、見たこともないような満面の笑みで自分を見つめている姿があった。
「……ぼ、坊っちゃま?」
彼女は息を呑んだ。
手に持ったおむつを落としそうになりながら、じいちゃんの顔をまじまじと見る。
(おぉ、なんじゃ。止まるな。まだそこに汚れた布が残っとるじゃろうが! 早く『ピカッ』とやってくれ!)
じいちゃんは催促するように、また声を弾ませた。
「あぅ! あぅー!」
女中は、震える手で四枚目のおむつを掲げ、じいちゃんの目の前で魔法を唱えてみた。
「……ク、クリーン」
シュンッ!
「あーーっ あーーっ!!」
じいちゃんは、ゆりかごを揺らすほどの勢いで手足を振り回して喜んだ。
その確信に満ちた反応を見て、女中の顔が驚愕に染まる。
「坊っちゃまが……笑ってらっしゃる……。魔法を見て、お笑いに……!」
彼女は、自分が歴史的な瞬間に立ち会ったかのような表情で、腰を浮かせた。
「奥様! 奥様ーーーっ!!」
女中は、洗濯物の山を放り出し、廊下を脱兎の如く駆け出していった。
(あ、おい! まだ洗濯が終わっとらんぞ! どこへ行くんじゃ!)
じいちゃんは、遠ざかる足音を聞きながら、名残惜しそうに真っ白になったおむつを見つめた。
すると廊下からまた、ドタドタと慌ただしい足音が近づき、部屋の扉が勢いよく開いた。
「奥様、こちらです! こちら!」
女中に案内され、肩で息をしながら飛び込んできたのは、薄紅色のガウンを羽織った母親だった。その目は、ここ数ヶ月の心労を物語るように、わずかに赤く腫れている。
(……お、母ちゃんか。そんなに血相を変えてどうした。まだ洗濯は終わっとらんぞ)
じいちゃんは暢気なものだが、母親の胸中はそれどころではなかった。
生まれてこの方、この子は一度も笑わなかった。あやしても、歌っても、ただ冷めた目で天井を見つめるだけ。
(この子はどこか身体が悪いのではないか」「もしや、心が欠けて生まれてきたのでは……)
夜な夜な一人で自分を責め、絶望に近い不安を抱えていたのだ。
「……本当なの? カイトが、本当に笑ったの……?」
母親が震える声で尋ねると、女中は確信に満ちた顔で、わざとらしく一枚の汚れたおむつを広げてみせた。
「見ていてください、奥様。……クリーン!」
シュンッ!
(……おおおっ! 来た! また消えよった! 鮮やかじゃのう!)
「あぅ! キャハッ!キャキャッ!」
じいちゃんは、弾かれたように手足をバタつかせ、声をあげて笑った。
「……あっ……」
母親は、その光景を見て、思わず口に手を当てた。
そのまま、膝から崩れ落ちるようにして赤ん坊の傍に寄り添った。
(お? どうした、腰でも痛めたのか? それより見たか、今の。一瞬じゃぞ、一瞬!)
じいちゃんは得意げに笑いかけ、ぷくぷくの手を母親に伸ばした。
だが、母親は言葉にならない声を漏らしながら、ポロポロと涙を流し始めた。
「……よかった……。あぁ、よかった……。病気じゃなかったのね。……怖かったのよ、カイト。あなたが笑わないのは、私の愛が足りないせいだと思って……」
母親は、じいちゃんを壊れ物のように抱きしめたまま、声を殺して泣き続けていた。その腕の震えと、肩に伝わる涙の熱。
(……お、母ちゃん。そんなに泣かんでええ。ワシはここに……。ん?)
じいちゃんは、母親のあまりの取り乱しように、ふと冷静になった。
よく考えれば、この数ヶ月。自分はこの「母ちゃん」が何をしても、あやしても、一度も笑ったことがなかった。それどころか、いつも天井を睨んで、天界の役人への恨み節を心の中で吐き散らしていただけだ。
(……そうか。そうだったな。赤ん坊が全く笑わんというのは、親にとっちゃあ、これほど恐ろしいことはないわな)
じいちゃんは、かつての人生の記憶を掘り起こした。
もし自分の子供が、あるいは孫が、何をしても笑わず、空っぽな瞳で自分を見つめ返してきたら。
自分なら「この子はどこか体に悪いところがあるのではないか」「一生このまま、心を持ってくれない病気なんじゃないか」と、夜も眠れずに思い悩んだはずだ。
(……ワシは、とんだことをしとった。自分の『二度目の人生なんて認めんぞ』というつまらん意地を通すために、この若いおなごを、絶望の淵に立たせとったわけか)
母親の啜り泣く音を聞きながら、じいちゃんは心底、申し訳ない気持ちになった。
彼女にとって、自分は「不貞腐れた元じいちゃん」などではなく、命をかけて産んだ、たった一人の愛おしい息子なのだ。
(……すまんのぅ、母ちゃん。ワシが偏屈すぎた。あんたは、本当によくやっとるよ)
じいちゃんは、母親の頬にそっと、小さな手を伸ばした。
前の人生では照れくさくてなかなかできなかったが、今の自分は、幸か不幸か「無罪放免」の赤ん坊である。
(ほら、母ちゃん。もう泣くな。ワシは正常じゃ。ただ、ちょっと中身が頑固だけどな)
「あぅー……。あぅ、うぅー」
じいちゃんは、なだめるように、できるだけ柔らかい声を出した。
母親は、じいちゃんの小さな手が自分の頬に触れたのを感じ、顔を上げた。涙でボロボロの顔だが、その瞳には今までになかった、本当の「光」が灯っていた。
「……カイト。私の可愛いカイト……。よかった、本当に……」
母親は、じいちゃんの小さなおでこに、そっと自分の額を合わせた。
じいちゃんは、その温もりを真正面から受け止めた。
(……やれやれ。天界への抗議は一旦中止じゃな。まだ言葉は分からんが、この母ちゃんを笑わせるのも、男のケジメか。……ただし! あの『魔法』とやらは、これからもドンドン見せて欲しいな。あれは、本当に凄いもんじゃからな!)
じいちゃんは、母親に抱かれながら、彼女の背中をポンポンと叩いた。
その日の夕方、仕事から戻った父親がカイトの部屋へ飛び込んできた。母親から「初めて笑った」と報告を受けたのだろう、必死な形執だ。
「本当か、カイト! 母さんの見間違いではないな!?」
(何を言っとるかは分からんが……。笑ってくれって思ってるんだろうな)
母親はじいちゃんの目の前で指を立て、魔力を絞って水を滴らせた。夕日に透ける透明な雫。
(……ほう! 何度見てもたまらん。まさに次世代のテクノロジーじゃ!)
「あぅ! ぱち、ぱちっ! きゃはーっ!」
じいちゃんが全力で喜ぶと、父親はその場にヘナヘナと腰を落とした。
「……あ、あぁ……。よかった、本当によかった……」
膝をつき、祈るように「カイト、カイト」と何度も名前を繰り返す父親。その震える声を聞き、じいちゃんはようやく察した。
(……カイト。それがワシの名前か。……そして親父、お前さんもか。ワシが笑わんのを、こんなに恐れておったんか……)
母親に続いて、この武骨な父親までが泣きそうな顔で安堵している。それを見て、じいちゃんは自分の「不貞腐れ」が、どれほど周囲を追い詰めていたかを痛感した。
(……やれやれ。ワシが一人で勝手に拗ねとる間に、とんだ親不孝を働いとったわけか。すまんかったな、親父らしき若者よ)
「……そうか、お前は魔法が好きなんだな」
父親が涙を拭い、確信したように呟く。
言葉は通じずとも、じいちゃんの「魔法への好奇心」が、家族に「希望」として伝わった瞬間だった。
(……よし、決めた。この母ちゃんと親父を安心させるためにも、そして何よりワシの知的好奇心を満たすためにも。今までとの常識の違いを、徹底的に調べてやろうじゃないか!)
こうして、じいちゃんの「第二の人生」は、ようやく「拒絶」から「受け入れ」へと、一歩大きく進み始めたのであった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
これから徐々に成長し、関係が変わっていくところを描けたらと思っています。
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