第28話 絶対水平。カラス岩と分岐点
表題を変更しました。中身は変えていません。
水汲み場横の大浴場を堪能し、ホカホカの状態で屋敷のリビングに戻ってきた一行。だが、そこには風呂上がりの余韻を吹き飛ばすような、ピリピリとした「衣装戦争」が待ち構えていた。
テーブルの上には、二つの正装が並べられている。
一つは、エレナがハルバード伯爵領で誂えた、胸元に豪華なフリルが付いた華やかなシャツ。
もう一つは、じい様が自らが持ってきた、凛とした立ち襟に『蒼い魔石』のアスコットタイが添えられたセットだ。
「いいか、カイト。お前は我がベルノーの誇りだ。この魔石の輝きこそが、派閥の連中に格の違いを思い知らせる唯一の手段なのだ!」
ジルじい様は、真剣そのものの目で魔石を指し示した。
「お父様、しつこいですわよ。カイトはフェルメールです。ベルノーの男ではありません!」
エレナの鋭い一言に、ジルは物理的な衝撃を受けたように絶句し、ソファへ崩れ落ちた。だが、すぐに執念で食い下がる。
「た、確かにそうだが、ベルノーの血もしっかり流れておる! 伯爵の顔色を伺うような流行のヒラヒラなど、軟弱な……!」
「可愛らしさこそが、最強の政治力ですわ!」
二人は同時に身を乗り出し、俺に詰め寄った。
「「カイト、どっちがいいの!?」」
「「カイト、どっちだ!?」」
異口同音に迫る二人の圧力。
(……ワシか? ワシが決めるのか? 現場監督に「どっちの建材でもいいからお前の責任で選べ、選ばなかった方は一生恨むぞ」って言ってるようなもんじゃねぇか! 冗談じゃないわい、こんな一生モノの派閥争いに巻き込まれてたまるか!)
必死に助けを求めて横を見るが、パパ(アルベルト)は古びた絵画を芸術家のごとく凝視し、完全に気配を消している。リーザとミレーヌに至っては、嵐の予兆を感じた瞬間に音もなく台所へ消えていた。
(……ひ、ひぃ! 四歳にして人生最大のピンチじゃ! 誰か、誰か助けてくれい!)
「おやめなさい。カイトちゃんが困っているではありませんか」
そこへ、ばあ様、マルグリットが扇を鳴らして割って入った。
「……そんなに譲れないのでしたら、お披露目の挨拶の時と、その後の歓談の時、二回お着替えをすればよろしいでしょう?」
ばあ様の鮮やかな提案に、毒気を抜かれた二人は顔を見合わせた。だが、どちらを「最初」にするかで再び火花が散る。
「いい加減にしなさい。二人ともベルノーの血が入っているのなら、理が拮抗した時は天に委ねる。一度きり、それがやり直しなしの『ベルノーの勝負』でしょう? 勝った方は三年間、負けた方に従うのです」
ばあ様の一喝で、リビングの空気が凍りついた。
その凄みに、じい様もエレナも毒気を抜かれたように黙り込む。
「ぬぅ、分かった……では、カイトが投げろ」
じい様が、ずっしりと重い金貨をカイトに手渡した。
提示された条件は恨みっこなしの一発勝負だ。カイトが金貨を握ると、二人が同時に宣言した。
「カイト、いいか。『表』が出たらじいじの勝ちだ!」
「『裏』が出たら私の勝ちですわ。……よろしいですね、お父様?」
「望むところだ!」
(三年間もの服従がかかった一投。現場の安全祈願よりも緊張するわい。天の神様、どっちに転んでもワシのせいじゃないぞ!)
カイトは金貨を高く放り投げた。金貨はキラキラと光を反射しながら宙を舞い、チャリン、と乾いた音を立てて床を転がった。
全員が息を呑んで覗き込む。
「……表だ。私の勝ちだな、エレナ!」
ジルじい様は、勝ち誇った顔で魔石を掲げた。
「決まりだ! 最初のお披露目には、私が持ってきたこのベルノーの立ち襟と魔石を纏う。そして歓談の時間には、お前の選んだフリルに着替えさせよう。三年間、私に逆らうなよ、エレナ!」
「くっ……。分かりましたわ。お披露目の主役は譲りましょう。……でもお父様、着替えの時のカイトの可愛らしさに、気絶しないでくださいませね?」
アルベルトは、ようやく生きた心地がしたのか、大きく安堵の溜息をついた。
(…結局は『全部乗せ』の二部構成か。現場監督としては衣装替えのスケジュール管理が大変じゃが、これでようやく屋敷に平和が戻ったわい!)
***
嵐のようなベルノー子爵夫妻が、カイトとミレーヌをこれでもかと可愛がり、満足げに帰路についてから数日が経った。
カイトが指揮を執った粗朶道の工事も、予定通り順調に進捗している。
特に、最初に敷き終えた区間は、村の男たちが引く大八車が通るたびに良い具合に踏み固められ、わずかに沈下が生じていたが、凹んだ部分に砂利を敷き凹凸をならしていった。
カイトは小さな手で的確に指示を飛ばし、まだ夜明け前の薄暗い中で現場の仕上がりをチェックして回った。大八車の轍を埋めた道は、前よりも歩きやすくなっていた。
(うむ、上出来じゃな)
そして、ふと顔を上げて昨日、出来たばかりの櫓を見る。
今、目の前には東の泥靴村から西へと真っ直ぐ伸びる「粗朶道」がある。だが、この道をただ王都へ繋ぐだけでは片手落ちだ。南北に走る大街道とこの道を繋ぎ、巨大な「T字路」を形成してこそ、この物流革命は完成する。
問題は、この視界を遮る広大な湿地の中で、どうやって正確な分岐点を探し出すかだ。
カイトは二日前、信頼できる二つのチームを派遣した。
北街道と湿地の接点にはガンタのチーム。そして南街道側にはガラムのチームだ。ガラムにはフェルメール家の馬車を出し、わざわざ忌々しいボルドー領を大きく迂回して南へと向かってもらった。
(……ガラムには悪いことをしたが、これも仕事じゃ。湿地を四分の三周する強行軍、頼んだぞ)
そして作戦決行の朝。湿地の中心、建設中の粗朶道の先端に、ゴドーが突貫工事で作り上げた木組みの「櫓」が運び込まれた。
「……そろそろか」
カイトが呟くと同時に、村人たちが一斉に空を指さした。
「カイト坊ちゃん、あそこだ! 北に煙が!」
「南からも上がったぞ!」
夜明けの薄闇を切り裂き、南北の地平線から細い煙が立ち上る。ガンタとガラムによる、約束の狼煙だ。
「よし、櫓を進めて!」
村人たちが粗朶の上を慎重に櫓を押し進める。目視で南北の煙が自分を挟んで「真横」に来る位置を探る。だが、ここで大きな壁が立ちはだかった。
「……あわわ、ゆれるよぉ! お船みたい!」
「カイト坊ちゃん、危ないから 降りてくだせぇ!」
櫓の上でカイトが声を上げる。泥の上に置かれただけの櫓は、少しでも荷重が偏れば無慈悲に傾く。足元が不安定になれば、肉眼の方向感覚など簡単にお釈迦だ。
(……カッカッカ。素人が目で見て『真っ直ぐ』だと思っても、足場が三度傾きゃ座標は百メートルもズレる。星が丸くて見えないなら、高い所から煙を見ればいい……じゃが、それには『絶対的な基準』が必要なんじゃよ)
カイトはポケットから、ガト工房に特注させた「気泡管」を取り出した。
傾いた櫓の天板の上。カイトは小さな手で砂利や薄い板を噛ませ、即席の測量台を作り上げる。
(……現場で必要なのは、気泡が傷の真ん中に来る『絶対水平面』。それさえありゃあ、櫓がどれだけ傾こうが、ワシの視界は常にこの星の水平と同期する!)
息を潜め、気泡が刻まれた傷の真ん中にピタリと収まるのを待つ。
水平が固定された。
カイトはその水平面を基準に、南北の煙を交互に捉えた。
右に北の煙、左に南の煙。
「……もう少し、先。あと五メル……。……よし、止めて!」
カイトの鋭い視線が、南北の煙が自分を貫く一本の「真の一直線」になった瞬間を捉えた。
(……見えた。ここが、未来の物流が産声を上げる『黄金の座標』じゃ)
この一点から北へ、そして南へ道を伸ばせば、ハルバート領の全物流がここに集結する「中央ハブ拠点」が出来上がる。
「うん、ここだね! しるしをつけよう。南はあの、カラスさんみたいな形の『大岩』。北は、あっちの『二本ならんだ木』にむかって道をのばすよ!」
カイトが指さした先。湿地の遠くに見える、特徴的な地形の目印。
村人たちは「おお、なるほど!」「あれなら迷わない!」と歓声を上げ、杭を打ち込み始めた。
(カッカッカ。あの大岩から南街道まで、この枯れ木から北街道まで。ワシが引いた座標に狂いはない。あとはひたすら、粗朶と泥を積み重ねるだけじゃな)
こうして、いよいよ南北の大街道へと合流するための全線開通工事が始まった。
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