第2話 絶望の罰ゲーム
本日2話目です。
改訂は表題追加です。中身は変えていません。
(……ふぅ。よう寝たわい。しかし、なんじゃ、この腹の鳴りようは。胃袋が雑巾のように絞られとる。誰か飯じゃ! 飯をくれ!)
じいちゃんは必死に訴えようとしたが、漏れるのは「あぅー、あぅー」という情けない吐息だけだった。
すると、あの「良い匂い」が近づいてきた。
「○△□! ○△□○△□、○△□?」
視界は相変わらず、深い霧の中にいるように真っ白で何も見えない。
だが、自分を抱き上げる 「腕の柔らかさ」 と、鼻をつく 「おしろいとミルクが混ざったような甘い匂い」 で、それが数日前に自分の横にいた「お嬢さん」だと直感した。
(おぉ、お嬢さんか。早く飯を……。ん? 何をしとる、衣擦れの音がして……。って、おい! 待て! 何か柔らかいものが顔に……!)
じいちゃんの唇に、温かな、それでいて弾力のある「生命の源」が押し付けられた。
(バカもん! 破廉恥な! ワシを誰だと思っとる! 枯れ木も山の賑わいとはいえ、ワシはこれでも一端の男……)
有無を言わさず、口の中に乳首が放り込まれた。
(……!! むぐっ……。……。……んぐ、んぐ、んぐ……)
抗えなかった。
理性を凌駕する圧倒的な生存本能。じいちゃんの意思とは無関係に、小さな口は吸い付き、喉が鳴る。
(……はぁ。……美味い。……いや、そうじゃない! ワシは何を若いおなごの胸に……! 末代までの恥……って、ワシ、名前も歳も思い出せんから末代もクソもないか……)
腹が満たされるにつれ、じいちゃんの脳は冷静さを取り戻し始めた。
(……待て。落ち着け。この温もり、トクン、トクンという心音、そしてこの吸い付く感覚。……これ、ロボットじゃない。生身の人間じゃ!)
じいちゃんは、目一杯まぶたを開こうとした。
しかし、見えるのはやはり光の加減がわずかに変わる程度の、ぼやけた影だけ。自分の手を目の前に持ってきても、それが何色のどんな形をしているのかすら、今の視力では判別できない。
(……見えん。全く見えん。だが、この『小さすぎる感覚』は何じゃ。声は出ん、手足は自分の意思でろくに動かん、そしてこの乳……。……ははぁ、なるほど)
じいちゃんは、暗闇の中で点と線を繋ぎ合わせた。
これはボケているんじゃない。生まれ変わっているのではないかと?
そう考えれば合点がいく。
(……そうか。合点がいったぞ。ボケて何もかも忘れたんじゃなくて、これ、『生まれ変わって』おるんじゃな?)
じいちゃんは、暗闇の中で膝を打つ思いだった。
もっとも、実際には膝を打とうとした手は空を切り、自分のお腹にパフッと当たっただけだったが。
(生まれ変わるなんて、おとぎ話かと思っとったが……。なるほど、道理で体が動かんわけじゃ。この『水膨れ』に見えた頼りない塊は、産まれたての赤ん坊の手。ワシを軽々と抱き上げる『介護ロボット』の正体は、ワシを産んだ母親か乳母……。そしてこの、言葉にならん情けない絶叫こそが、いわゆる『産声』というやつだったんじゃな)
点と点が、見事な一本の線となって繋がった。
しかし、納得したからといって、手放しで喜べるわけではない。
(……なんてこった。ワシは、たしかに人生をやり遂げたんじゃ。いつだったか、どれくらい前だったかも思い出せんが、とにかく必死に働いて、家族を守って、『あぁ、これでようやく、全部の荷物を下ろして休める』と安堵して目を閉じたはずなんじゃ……)
じいちゃんの心に、静かな憤りが湧き上がる。
(……それがなんじゃ、この仕打ちは。また一から生きろというのか。
若造と舐められ、板挟みで頭を下げ、泥にまみれて土を耕し。
会社も定年まで勤め上げ、ようやく「上がり」だと思った矢先に、また最初から。
これは天国どころか、壮大な「罰ゲーム」ではないのか……?)
(……生きるのは、容易なことではない。
最後は一息吸うのもやっとだったあの急坂を、また麓から登り直せというのか。
ようやく道具を置いたばかりじゃ。やり直しなど、御免こうむりたいわい……!)
天界の役人は、老人に隠居後の余生すら与えてくれんのかと、じいちゃんは暗闇の中で心底がっくりと肩を落とした。
……もっとも、赤ん坊の体では肩を落とすことすらままならず、ただ「ふにゃ……」と頼りなく手足が動くだけである。
「○△□〜。○△□、○△□?」
(……ええい、認めん。ワシは認めんぞ。こんなものは人生じゃない。断固として拒否……)
じいちゃんが意固地になって、心のシャッターを下ろそうとした、その時だった。
「○▲※!! ◎☆◆□、▲※☆!!」
地響きのような、野太い怒鳴り声が寝室に鳴り響いた。
最も怒鳴っていた本人にとっては歓喜の咆哮だったのだが…。
(……っ!? なんじゃ、なんじゃ!? 暴走族か!?)
じいちゃんは驚いて飛び起きた……つもりだったが、実際にはビクンと手足を震わせただけだった。そこへ、さらなる理不尽が降りかかる。
(……お、おい。なんだ、この岩山のような巨大な影は。……ひっ! 持ち上げ……上げすぎじゃ! 高い! 高すぎるわい!)
大きな、節くれだった、明らかに「お嬢さん」のものではない武骨な手が、じいちゃんの脇をがっしりと掴み、天井近くまで掲げた。
(降ろせ! 目が回るわい! ……っていうか、顔! 顔が近い!)
じいちゃんのぼやけた視界に、巨大な「黒い茂み」が迫る。それは、手入れされているのかいないのか分からない、剛毛の塊だった。
「○▲※〜。◎☆◆、○▲※?」
(なんじゃ、その呪文は! 怖い! 怖い顔が迫ってくる……ぎゃああああ! 痛い! 痛いわい!)
ジョリッ。ジョリジョリジョリリリ。
(こんなタワシみたいな顔を擦り付けおって! 虐待じゃ! やめろ! 離せ! ワシの人生を勝手に再開した挙句、タワシ責めとは何の嫌がらせじゃ!)
じいちゃんは必死に顔を背けようとしたが、首が据わっていないため、なす術もなく「タワシの洗礼」を浴び続ける。
相手が何を言っているかは一言も分からんが、その「グワハハ!」という笑い声と、皮膚を削るような刺激だけで十分だった。
(……あぁ、もうダメじゃ。名前も思い出せん、体も動かん、おまけに言葉の通じぬ巨大タワシの襲撃……。これが『ご褒美』なわけがあるか! 完璧な罰ゲームじゃ! 誰がやるか、こんな人生!)
じいちゃんは、髭の痛みと揺れのせいで、せっかく飲んだミルクが逆流しそうになるのを必死に堪えながら、心底、運命を呪った。
( ワシを元の静かな闇に返せえええええ!!)
「……んぎゃああああああ!」
こうして、じいちゃんの第二の人生が幕を開けたのだった。
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