郵便受けの中の昨日
僕のアパートの郵便受けには、ときどき「昨日」が届く。
最初に気づいたのは春だった。広告や公共料金の通知に混じって、白い封筒が一通入っていた。差出人は空欄。宛名だけが、僕の字で書かれている。
中身は一枚の紙。
——今日はコンビニで肉まんを買った。少し冷めていた。
それは、まさに昨日の出来事だった。
気味が悪くなって捨てようとしたが、なぜか指が止まった。紙の質感も、インクのにじみ方も、どこか懐かしい。
次の日も、その次の日も、封筒は届いた。
——雨のせいで靴下が濡れた。
——電車で居眠りして、知らない駅まで行った。
——スーパーで半額のりんごを見つけた。
どれも些細な、僕自身しか知らないはずの記録だった。
一週間ほど経った頃、僕は思い切って封筒を開けずに取っておくことにした。
すると、その日は何も起きなかった。
肉まんも買わなかったし、雨にも降られなかった。電車で寝過ごすこともなかった。
まるで、紙に書かれた出来事だけが、現実になる資格を持っているみたいだった。
試しに、翌日届いた封筒を破って捨ててみた。
その日は丸一日、記憶が曖昧だった。気づけば夜になっていて、何をしていたのか思い出せない。ただ、部屋のゴミ箱には破れた紙切れが入っていた。
怖くなって、僕はそれ以降、必ず封筒を開くようにした。
ある日、紙にはこう書かれていた。
——今日は、昔の恋人とすれ違った。
そんな予定はなかった。でも夕方、駅の改札で、本当に彼女を見かけた。声をかける勇気は出ず、背中だけを見送った。
胸が、少し痛んだ。
それからというもの、僕は封筒を待つようになった。
未来を知るわけじゃない。昨日を再確認するだけなのに、それが妙に安心だった。
けれど、ある朝。
封筒は空だった。
白紙のままの紙が、一枚。
不安になって一日を過ごしたが、何も特別なことは起きなかった。平凡で、静かで、誰にも記録されない一日。
夜、鏡の前で歯を磨きながら、ふと気づいた。
今日は「思い出そう」としなければ、何一つ思い出せない。
翌日も、白紙。
その次の日も。
僕の生活から、出来事の輪郭が少しずつ失われていった。味も匂いも、感情も、全部ぼやけていく。
最後に届いた封筒には、短い一文だけがあった。
——もう書けない。
その日から、郵便受けは普通になった。
広告と請求書だけが入っている。
僕は今も生きている。働いて、食べて、眠っている。
でも、自分の昨日を説明できない。
もしかすると、あの手紙は「僕の存在証明」だったのかもしれない。
誰かに記録されなくなった人間は、こんなふうに、薄くなっていくのだろうか。
今日も郵便受けを開ける。
そこには何もない。
それでも僕は、確かにここにいるはずなのに。




