小説家コンプレックス
もし、掛け違えたボタンをもう一度掛け直すことが出来るのなら。きっと私は。
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忘れ物を取りに戻ったら、あの子が泣いていた。
赤みを帯びた陽射しが教室の中を静かに照らす。
私とあの子しかいない教室は、いつもの騒々しさからかけ離れていて、少しだけ特別に感じた。
"あの子"は机の前にぽつんと立ったまま、ぐしゃぐしゃに丸められた原稿用紙を無理やり広げて伸ばしていた。しかしその顔から滴る涙で原稿用紙がふやけてしまっている。
休み時間になると、誰とも関わることなくずっと何かを書いているのは見えていたが、それがあの原稿用紙なのだろう。
物珍しく思う人もいれば、それをからかう人もいる。
小説を書いている女子なんて、遊び盛りな男子からいじめられる対象になるのは必然だった。
それにしたって、原稿用紙を丸めてゴミ箱に投げ入れる遊びをするのは流石に酷いと思う。
忘れ物を取り終わり教室を出ようとしたが、あの子の泣いてる顔がどうしても私の足を掴んで離さない。
私とあの子は同じクラスというだけで、特に関わりがない。
それでも、今日ぐらいは声をかけてみようなんて思ってしまった。
「ねぇ、いつも何書いてるの?」
私の声に反応して持ち上げられた顔は、目が赤く腫れていて頬には涙の跡がいくつも伝っていた。
「…………お話……」
消えてしまいそうな小さな声で彼女は答えた。
「そうなんだ……読ませてよ」
なんでそう言ったのか分からない。でも、心のどこかで私が彼女の泣き顔を何とかしたいと思ってしまったのだ。
「……え、でも……」
涙で潤んだ綺麗な瞳が不安で揺れた。
「大丈夫。私はぼたんちゃんが書いたお話を馬鹿になんてしないよ」
彼女の手の甲に私の手を重ね、しわくちゃになった原稿用紙を一緒に広げる。
ぼたんの手はまるで陽だまりのように温くて柔らかな手だった。
「……うん、分かった」
彼女から差し出された原稿用紙を受け取り、私は隣で読み進めた。
そこからの記憶はあまり覚えていない。
ただ、読み終わったあとに面白かったと言った気がする。
嬉しそうに微笑む彼女の顔は今でも鮮明に覚えている。
夕陽に照らされたその顔に、涙の跡はもうなかった。
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意識が飛んでいた。
天井に吊るされた照明がじんわりと暗い部屋を照らす。この薄暗い空間がどことなくあの日の光景を彷彿とさせたのか。
「お〜い、お〜い、何ぼーっとしてんだぁ?」
ぼさぼさの髪の毛を後ろに結び、大きな隈と青白い肌をした女性が私を覗き込んでいた。
「あ〜……うん、昔のこと少し思い出してて」
私も疲れているのだろうか。どうして急にこいつと出会った日のことなんて思い出したのだろう。
「かっ〜ったく。この修羅場って時に、よく現実逃避できるな編集者さんという奴は」
明らかに過労でやつれた見た目をしてるこの人こそ、私の旧友であり私が始めて小説を褒めた人。ぼたんだった。過労で見た目も性格もみすぼらしくなってしまった。可哀想に。
「ほら、コーヒー。……無理するなよ、とは流石に言えねぇけど。私より先に倒れるなよ」
コトンと音を立てて私のデスクにマグカップが置かれる。
黒々とした液体からはローストされた豆の香ばしい匂いが立ち上る。
「ありがと。……それにしても不思議だよね。昔友人同士だった2人が、時を経て作家と編集者になってまた出会うなんて」
ぼたんが淹れたコーヒーは味が濃い。だから眠気覚ましには調度良い。舌に滑らせるとその苦味のせいで顔を顰めてしまうが。
「不思議ねぇ……まぁ、私はそうとは思わないけど……」
ぼたんはコーヒーを一口含み、そう呟いた。
なぜこいつは、この苦いコーヒーを飲んで澄ました顔が出来るのだろうか。
ぼたんはカップから上る湯気をくゆらせながら席に戻る。
「……でも確かに、あんたと仕事が出来て私は嬉しいよ」
口元を隠すようにカップに口付けながら彼女は微笑んだ。
なんだか、そういうのはずるいなぁと思ってしまう。
「そういえば、あの時書いてた小説はどうなったの?」
「あの時…………?」
ぼたんは眉をひそませて首を傾ける。
「ほら中学生の頃、私、転校したじゃん。その時に書いてた小説」
私とぼたんは小学生の途中から色々とあって何となく話すようになって、同じ中学校に上がった頃には親友と呼べる程度の仲になっていた。
そしてぼたんは相変わらず小説を書き続けていた。
「あー、あれか……。どうなったもこうも、唯一の読者がどっか飛んでったんだから、自然と打ち切りになったぜ」
「そっか……ちょっと残念。私あれ好きだったんだよ、特に主人公が自分の能力が覚醒してから無双するところとか」
「お前、昔っから本当そういうの好きだよな。主人公無双系。もっとこう女の子らしいもの読まねぇの?」
カタカタとキーボードを打ちながらぼたんは言う。
「この仕事に就いてから、何度も女性向けの作品に手を入れできたけど、でも私はこっちの方が読んでて楽しいかな」
私が今推敲している作品こそ、私好みのファンタジー系で主人公が強敵を難なく倒していく物語なのだ。
「ふっ、そりゃどうも。お前が編集に就くって聞いて考えた物語なんだよ、これ。楽しんでもらえてたのなら作者冥利だな」
ぼたんが息を吹くように笑った。
しばらく静かな時間が続いた。
時計の針が進む音と、キーボードを叩く音だけが部屋の中に響く。
時刻は深夜を回り、もうしばらくしたら日が昇り始める頃だった。
「だ〜〜っ! 腹減った! おい、飯行かねぇか?」
突然ぼたんが爆発した。
「びっくりした。急に大声出さないでよ。目覚ましのアラームかと思った」
「ほら、見てみ午前4時だ。私の体内時計は正確なんだよ」
「午前4時だから一体なんなんだっていうんだよ……?」
「私の腹が減る。ということでいつもの場所行くか」
「え〜、いつものってあの不味いラーメン屋? ていうかこの時間からあんま胃に食べ物詰めたくないんだけど」
「しゃーねぇだろ、あそこしか空いてる店ないんだし。それとも何だ、30分歩いてコンビニでも行くか? あるいは空腹で機嫌が悪くなった私の相手でもしてくれるのか?」
「あーそれはしんどい。この前なんて無意識で腕噛んできたし」
この前噛まれた古傷がズキっと痛んだ気がする。
「じゃあ決まりな。支度してくっから」
そういうと、ぼたんは自分の生活スペース兼自室に入りバタバタと音を立てた。
「……まぁ、いいか。原稿は進んでるし。噛まれるのやだし」
香味油と醤油の匂いが充満した店内は、空腹でなくても胃が刺激されて食欲が湧いてくる。まぁ、味は悪いんだけど。
蛍光灯も切れているところが数箇所あって店内は薄暗い。私たちのお気に入りの席は頭上の蛍光灯が切れた日陰のような場所だ。
店主が1人で切り盛りしているため注文してからラーメンが届くまで少しだけ時間がかかる。
「そういえばあんたって、だいぶ性格変わったよね」
「ん? そうか?」
ぼたんはコップに水を注ぎながらぶっきらぼうに答えた。
「なんかさ、中学の頃はもっとこう、おしとやかっていうか天然してた気がするんだけど。ふぇぇぼたんわからにゃいよぉ……みたいな」
「ヴッ……」
どこか痛むのか?
「そりぁあ……あれだ。時が経てば人も変わるだろう」
手が震えてコップの中の水が波紋を作っている。
「ただあれだ。あのころの私も今の私も実在した。どっちも本当の私ということだ、うんうん」
「はいよ、おまたせ、醤油ラーメンと塩ラーメンね」
着丼した。スープの表面はギトギトと下品に光っていて一目で体に悪いことが分かる。
髪の毛を後ろに束ね意を決して麺を啜る。
まずい。
この店の特徴なのだが、とにかくスープが油っぽい。
ネギや鶏などの食材の味がせず、無味でドロドロとした高カロリーを胃に流し込んでいるような不快感がある。
そして何より啜った後に鼻に抜ける香りが店外に設置してあるダクトと同じなのだ。
しかし不思議なもので、慣れてくれば食べれなくは無い。決して美味しくはないが。
「ったく、相変わらず不味いな。香味油にキャノラー油でも使ってるんじゃねぇか?」
「ちょっとぼたん! 聞こえるからやめなさい」
こいつ、とんでもないこと言いやがる。
「私が通い続けたら、少しは味のレベルが上達すると思ったが、これはまだまだかかりそうだな。実に残念だ」
そう言いながらずるずると塩ラーメンを口に運ぶ。
よくシンプルな味付けでこのラーメンを食べれるなと変に関心をしてしまう。
その後は他愛もない雑談に花を咲かせた。
好きな小説の話。昔の思い出。私が転校して離れてしまった後どんなことがあったのか。今の仕事の不満。そしてこれからのこと。
「そういえばさ、しずみ結婚したらしいよ」
「まじ!? あいつが?」
ラーメンを吹き出す勢いでぼたんが驚く。
しずみとは中学生の頃に知り合った私とぼたんの共通の友人だ。
「うん、先月の暮ぐらい。細々と続けてるLINEで突然報告された」
「はぁ〜、あの陰キャ奥手のあいつがなぁ。てかうちらの中で一番乗りじゃね?」
「付き合ってる人がいたのは知ってたけど、もうこの人以外、異性を好きになる気になれないだろうなと思ったのが理由らしいよ」
「なんかそれ諦めてね?」
お互いに顔を見合わせて、大きくため息を吐く。
「どちらにせよ行き遅れだよ私たち。もう三十路も見えてきたわ」
「私は作家だから家に閉じこもってばかりで出会いなんてないけど、お前は会社勤めなんだから出会いぐらいいくらでもあるだろ」
「あのねぇ、職場の人は職場だけで関わる人って割り切ってるの私は。そういう感情を持ち込んでくる人を私はつくづく侮辱するね」
「そんなんだから独り身なんだろ」
「あ?」
睨みを利かすが、ぼたんは我関せずとラーメンを啜る。
そして丼の中の麺を食べ終えた頃。
「どちらにせよ、今日はお祝いだな。我ら大親友の1人、しずみがご結婚を成されたんだ。今日は盛大に祝おうではないか。おーいおっちゃん、ビール2つ! 大ジョッキで!」
「あんたアルコール弱いのに大丈夫なの? あと言い忘れてたけど、なんで大親友のあんたがしずみが結婚したの知らないのよ」
「……あのなぁ、聞くなよ、そういうの」
「おえええぇぇぇ」
「あーあ、だから言ったじゃない。一気飲みなんて止めなって」
結局ビール大ジョッキを3杯飲み干してこの有様だ。
店を出たあと帰路に着くが早々、ぼたんは道端に逸れ始めて現在に至る。
排水溝に、胃の中の物を全部吐いていた。
「くそっ……出てくるもの全部が不味い……なんだこれ」
「さっき食べてたラーメンよ。ほら、水とハンカチ。早く吐き切りなさい」
「すまねぇな……ん、なんかゴツイな。ジムにでも通い始めたか?」
私が手にしたものを奪った途端、突然抱き着こうとしてきたので思わず回避したら、たまたま後ろにあった電柱に抱き着き始めた。
「それ電柱ね」
ダルいな、この酔っ払い。
ぼたんは酔うと饒舌になる。
店内にいた時よりも帰路についてる今の方が口数が多いぐらいだ。とは言っても、ほとんど独り言のようなものだけど。いつもだったら適当に相槌を打ちながら聞き流すが、現在進行形で執筆を進めている作品が完成したら会う機会も減るかもしれない。だから今だけはしっかり聞いてあげようと思った。
「だいたいよぉ〜何が小説家だぁぼけぇ……あんなん文字だけ書いてて何がおもろいねん」
「はいはい、そうだね」
ふらふらになるぼたんの腕を私の肩に回し、二人三脚のように歩みを進める。とはいえこいつ、自分の重心を私に預けてくるからかなり歩きづらい。
「そもそもなぁ、文字だけで感情が動かされるような変態どもを相手に私もよく頑張っただろ〜がよ〜なぁ?」
こいつ、読者のことを文字だけで感情が動く変態だと思ってるらしい。
「ったく、こんな健気に頑張ってる私にも出会いぐらいよこしやがれってんだぁ」
「はいはいそーですね」
さっきの話、実は効いてたのか。気にしてないように見えて繊細なんだよな。こういうところは昔から変わらないなと思い、思わず口角が上がってしまった。
「……はぁ、お前が男だったら私は本気で好きになってたね」
「……なんで急に私が男になってるんだよ」
「冗談だよ。まぁ、だけど本当にそうだったら、私はもう少し上手に生きられたかもな」
ぼたんは少し遠くを見て呟く。目線の先には朝の空に飲み込まれそうになっている星が輝いていた。
私の真横ではぁと大きなため息をつく。白く染ったその息が空気に溶け込むように消えていった。
私たちは同じ言語を使っているのに、たまに理解し合えない壁のようなものを感じる時がある。
今だってそうだ。ぼたんは何を考えているのだろう。
不安なことは。私に出来ることは。弱音だって吐いてもいい。ゲロは吐くな。
しかし人間は全てを言語化することはできない。
だから私たちは生きるのが難しいんだ。
ぼたんをベンチに座らせ自販機で買った水を渡す。
「あ〜空っぽの胃に染みるなぁ〜」
満足気な顔で水を飲みながら、ふと何かを思い出したようにカバンから錠剤を取り出し、放り投げるように口に入れた。そしてまた水で流し込む。
「それ、何の薬?」
「ん? あぁ、眠剤。最近寝れなくてな。病院から取り寄せた」
彼女の目の隈が、なんだか不吉なものに見えてしまった。
アルコールで吐いた後の空っぽの胃に入れてもいい物なのだろうか。
白み始める空を2人で眺めながら、ぼーっとする。
聞き馴染みはあるが姿も名前も知らない鳥の鳴き声が朝を知らせ始める。
「朝ですね〜」
「朝ですな〜」
結局ベンチに座ったまま30分ぐらい経っていた。
「そういえばさ、ぼたんは何で小説を書き続けたの? だって私が転校した後なんて、他に読んでくれる人なんていなかったのに」
「んぁ〜まぁ……あれだな。気がついたら私には小説しか残ってなかった。音楽やってるやつもいれば絵を描いてるやつもいる。勉強をたくさんして頭が良くなった人だっている。でも私は小説だけしか続けてこなかった。だから書き続けたのかもなぁ。もう今更辞められないし、辞めたところで何も出来ない無能が生まれるだけなんだよ」
ぼたんは自虐するように笑った。
その顔が心を締めつけた。
「あのさ、………… 今書いてる小説、書き終わったらさ、またあの小説の続きを書いてよ。中学生の頃に書いてた小説」
ぼたんは驚いたように少し目を見開いたが、すぐに微笑むように目を細めた。
「そうだなぁ……お前は私の一番最初の読者だからな。きっと書くよ。大切な読者を悲しませるわけにはいかないし」
「絶対だよ」
「ああ、絶対」
たとえ、それが口合わせの約束だったとしても、私はそこに少しだけ安心感を覚えてしまった。
睡眠薬が回り始めたのか、ぼたんは目を瞑りながらふらふらと歩みを進める。
その姿があまりにも危なかっしいので、先程と同じように肩を貸して歩幅を合わせて歩き出す。
ぼたんの寝息が私の耳に吹きかかる。
「くすぐったいなぁ……ったく」
そんな私の独り言に反応して、ぼたんが寝言を言った。
「なぁ、私は……お前に……支えられてたんだぜ……あの頃から……ずっと」
彼女はどのような人生を歩んできたのだろう。私なんかには計り知れない不安を抱えて生きてきたのだろう。
作家の苦悩なんて私には分からない。だからこそ私は傍にいてあげることしかできない。
「……今も支えてやってるだろ、ばーか」
ぼたんの腰に回した腕に力を入れた。離れないように。
推敲した原稿を最終確認し、私とぼたんは無事契約を満了した。彼女の清々しいまでのやり切った顔が今でも脳裏に焼き付いている。
彼女の訃報が私に届いたのは、それからしばらく経ってからだった。
表向きには過労死という形で処理された。
しかし私は……というよりこの業界で働いてる人なら何となく分かる。
自分の中から湧き出るアイデアが枯渇した時、それは作家として死んだことになる。
それはぼたんも例外ではなく。
彼女の言った言葉を胸の中で反芻する。
――でも私は小説だけしか続けてこなかった。だから書き続けたのかもなぁ。もう今更辞められないし、辞めたところで何も出来ない無能が生まれるだけなんだよ――
小説なんか書けても社会では通用しない。
小説なんか漫画やアニメのようなメディアと比べても市場の規模が見劣ってしまう現在。
それでも小説にこだわり続けた結果、文章を書く以外の能力が劣ってしまった人間が小説を書けなくなったらどうなる。
その劣等感こそ私は小説家コンプレックスと名付けた。
ぼたんは、どんなに小説のことを悪く言っても、最後まで小説家だったんだ。
自分でも薄情だと思う。
ぼたんの作品が完成してからしばらく会っていなかったからなのか、それともそんな予感を薄々感じていて距離をとっていたからなのか。
私とは関係ない他人が死んだような気がしていた。
火葬される前にぼたんの体に触れられる機会があった。遺族の方が故人に触れてお別れを告げる場なのだが、ぼたんの母親からどうしてもお別れを言って欲しいと言われ呼ばれた。
――人間の体って、こんなに冷たくなるんだ――
血が通わなくなった体は新雪のように冷たく、握った手は凍ってるように関節の動きが鈍かった。
魂が抜かれた。まるで作り物のようだ。
私の知ってるぼたんはもうここにはいない。
手に残った冷たい感触がじんわりと溶け始めて私の体温に塗り替えられる。
それはまるで私とぼたんの関係に終わりを告げたようだった。
ごめんね……支えてあげられなかった。
涙は出なかった。ただ胸の中にできた空洞が広がっていく感覚だけが罪悪感という名を体して私の体を蝕んだ。
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日が暮れた薄暗い教室。
私はどうしようもなく消えていなくなりたかった。
ただ一人で生きて行ければどれほど良かったか。
自分の作った世界が馬鹿にされることがこんなにも辛いなんて。
だから怖かった。自分の作品が人に読まれることが。
「面白かったよ。ねぇ、この話の続き、読ませてよ」
しかし、私の小説を読み終わったあと、目の前の女の子はそう言った。
不思議な感じだ。
まるで私を認めてくれたように思えた。
まだこの話の続きを書いていいんだと思えた。
その言葉はきっとこれからも私を導いてくれる。
不思議とそう感じたんだ。
その予感は間違いではなかった。だからこそ私は謝らなければならない。
私の小説を始めて褒めてくれた人に。
私の初めての友達に。
小説を書けなくなってしまったことを。
お別れを言えなかったことを。
でも一番に伝えたいこと。それは。
私は、貴女に会えて良かった。
ただそれだけなんだ。
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幾日が過ぎたのだろう。
季節を2つほど跨いだ気がする。
ここ最近は、仕事が忙しく休みを中々取れなかった。
いや、正しくは休みが取れたとしても何か言い訳を探して、そして自分を正当化して誤魔化してたのかもしれない。
そうやって時間をかけて記憶の奥の方に閉まってしまえればどれほどよかったか。
私なんか、ぼたんに会う資格なんてないんだ。
いいや、もう会えないんだっけ。
けれど……謝らなければいけない。
ぼたんに……。
太陽の日差しを浴びて伸びた草が墓石を隠すように覆っていたり、みすぼらしく土埃で汚れてたり、そんな墓が多い中、ぼたんの墓の周りは綺麗に掃除されていた。
墓参りの所作なんて分からなかったが、とりあえず線香に火を灯した。
煙が立ち上る。
そういえばぼたんは煙草が嫌いだったなぁなんて思い出す。
「ごめんね、来るのが遅くなっちゃった……」
ぼたんの墓の前でしゃがみこんで、ぽつりぽつりと言葉を吐く。
「本当はね……すぐにでも来れればよかったんだけど……勇気が出なかったんだ……」
この言葉だって、どうせぼたんには聞こえてないんだ。だからこれは独白にも等しい。声に出せば気持ちも落ち着くと思った。
「ねぇ、ぼたん。私、最低だよね。ごめんね……ごめんね……貴女が亡くなったの……本当は私が原因なんだよね……」
思い返したくなかった。けれど貴女を目の前にすると溢れかえってしまう記憶たち。
「あの時、小学生の頃。私が貴女の小説なんか褒めなければ……きっとぼたんは小説を書くのを止めて、こんな最期なんか迎えなかったんだ」
だからぼたんを殺したのは私なんだ。
もし、掛け違えたボタンをもう一度掛け直すことが出来るのなら。きっと私は。
貴女の小説を褒めたりなんかしない。その言葉が重荷になってしまうから。負担になってしまうから。そしていずれその言霊が貴女を拘束してしまうから。
きっとこれは、あの日の偶然の延長線上にあった結末なんだ。
だから今からでもお別れをしよう。
初めて声をかけた日を思い出して。
今度は絶対に間違えない。
「あんたの小説なんて……大っ嫌い!! 面白くない!! いつもワンパターンで! 私が好みそうな設定ばかり書きやがって! それに約束しただろ!! あの時の小説の続き読ませろって……なのに、今度は私じゃなくてあんたが遠くに行ってどうすんだよ……はやく……はやく帰ってこいよ……ばか」
けれど嫌いになんかなれない。後戻りも出来ない。
だからこんなに辛いんだ。
溢れ出た涙が視界を歪ませる。頬を伝って地面を濡らす。
吹き抜けた風が頬を撫でるように通り過ぎた。
誰かに触れられたような気がして顔を上げた。
墓石に添えられたぼたんの花。貴女の名前と同じ花。
本当は忘れたくない……大切な思い出だったんだ。
綺麗に咲いたその花に、そっと触れた。
陽だまりに温められた花弁は、あの時触れたぼたんの手のように温かく柔らかかった。
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「はいよ! 塩ラーメンな!」
油がぎとぎとに浮かび上がったスープは相変わらず体に悪そうだ。
髪の毛を縛り、意を決して麺をすする。
「………………まっず」
相変わらず不味いラーメンを啜り、私はふと笑ってしまった。
まるで目の前にいた、あなたに向けるように。