目のあるキノコは唐突に
「またな」「また明日」「じゃあね」「ばいばい」
日が西へ傾き出した放課後、友人間では言葉をかわして手を振り合っている。そんな校舎をそそくさと一人後にした俺は帰路を辿り、着々と家、神社に近づいていた。
ただ学校では、転校するタイミングを間違えた俺をクラスメイトは簡単には受け入れてはくれなかった。
既にグループが形成された教室で俺に話しかけるのは、いずれも浮かれた陽気な輩だ。彼らとは相性がどうも噛み合わず、いつしか俺から離れていった。やはり俺は友人を作るのが苦手だ。
気づけば家から少し離れた、昨日も来た場所にいた。季節によって景色が変わる特別な空間。最近見つけた広々とした秘密基地だ。今は秋の象徴として名高い紅葉が頭上を覆っており、夕陽と相まって暖かな橙色で満たされている。ここまで綺麗で開けた森にも関わらず、人の出入りがないこの場所は俺の心を癒してくれる気がした。
鞄を放り投げて制服のまま土に寝転がる。まるでベットに身を投じたような柔らかさに包まれ、身体全体の力が抜けていく。神社よりも快適だと思えてしまうようにも感じた。
その態勢のまま目だけ横に向けて鞄を見た。20メートルほど離れたところにポツンと小さく転がっている。
「俺も相当訓練頑張っているもんな」
初めての事件から約5年。あれからという日々は戦闘特化のための訓練に追われた過酷なものだった。これといった才能がない俺は努力をし続けた。し続けるしかなかった。俺にはそうすることしか出来なかった。
「…強くなってやる」
大きな使命感を背負って戦う。俺を攻撃するのは巫女の家系だと知っているが故のものだろう。家族に危険が及ぶことになりたくない。その一心で影での努力は続けていく。
「…俺は、すごい」
自己催眠をかけなければどうにかなりそうだと自身で察している。精神的な面で壊れないように、時にはこうやって心を癒す場も必要なのだ。
そうして俺はしばらくそこで心身ともに休んだ。
どうやら俺は眠っていたらしく、目を覚ませば辺りは綺麗な夕陽の色に満たされていた。相変わらず人の気配はなく動物もいない。周りを見渡しても地平線を描く落葉といくつもの樹木がほとんどを占めている。
しかし投げられた鞄の方に目を向けた時、すぐそばに緑色をした大きな土管らしきものが下から上に伸びるように現れていることに気づいた。目を疑ったが近づいて確認すると、人間が入ることが容易い直径をして、奥に暗闇が広がるほど長いことが分かった。何かの音が響いているようで響いてない曖昧な空間だった。そもそもここは森の中。土管がこんなところにあるわけがないし、ここで丁度出口を迎えるものがあるのだろうか。ましてや鞄を投げた際に気づかないことがありえない。
初めて見る変異型土管に疑問を持ちつつも、見えないその先に対する不気味さを感じる。後日連絡してみてもいいが、俺の秘密基地にいることが受け入れがたく結局それについて調べることを決めた。時は既に4時を回っていた。
とはいうものの調べる術などほとんどなかった。出来たことといえば23点のテスト用紙や空のシャー芯ケースを落としたことぐらいだ。シャー芯ケースは俺の手を離れて10秒ほど経ってようやく軽い金属音と共に音を立てた。それほど真っ直ぐに伸びているなら容易に土管に身を投じることは危険だろう。
テスト用紙に関しては特に意味は成さなかった。単に持って帰りたくないという気持ちの方が大きかったからだ。まさか学校でイタリア語を選んでしまうとは馬鹿らしく感じる。今更過去を変えたいかと聞かれても、勉強は嫌いなので断るのだろうが。
結局何も分からず仕舞いとなり、腰を落とした。
「……腹減ったな」
購買で買った菓子パンもあまり喉を通らなかったので、ほとんど朝食以降何も食べていない。森の中なら食べ物があるのではないか。その考えに至ってからの行動はとても早く、その場にすかさず立ち上がり近くの高草を掻き分けた。
するとそこには
「…………は?」
そこには直径1メートルほどの大きなキノコ、いやキノコなのか?デカいし、ベニテングダケのように毒々しい赤と白の色して明らかに毒キノコだし、なんなら目もあれば動いている。
「きみは、だれ?」
目の前の信じがたい現状に脳の処理が追いつかず、気づけばそんなポンなことを漏らしていた。
キノコは俺と反対側へと一直線に進んでいく。進む先には木々の間に生える高草が生い茂っている。その様子を見る俺は追いかける意識さえ飛んだように、その場に留まっていた。
やがてキノコが太い大木の横を通り過ぎようとした時、そのキノコは木の後ろに隠れた誰かの手に軽々と持ち上げられ採られてしまった。そして効果音のようなシンプルな咀嚼音と共にそのキノコは姿を消した。
「……え、喰われた?」
そこまでしてようやく俺の意識は戻ってきた。この山の中で迷子にでもなっていたのだろうかと、くだらないことを考えていると先程のキノコ捕食者が現れた。赤い帽子を深々と被り、青いオーバーオールと白い手袋、横に長い髭をもつ少年のようなオジさんのような男性。まるで配管工の服装だ。それにしてはかなりの高身長で3メートルを超えているかもしれない。何にせよ普通ではないことは確かだった。
「オー、マンマミーヤ」
その赤オジは日本語を話せないのか、謎にイタリア語で話した。どうやら俺の姿を見て驚いているらしい。俺は不信感に駆られずにはいられなかった。
メシメシと落ち葉を踏みながらこちらへと歩いてくる赤オジ。彼の正体も彼が一体なぜここにいるのか正直分からない。しかし、もし道に迷ってしまっていたら……そんなことが頭によぎり、その可能性を否定する材料がない中、俺は賭けることを選んだ。
そして疑心を抱きながら俺が赤オジに一歩踏み出した。その刹那、
「……ッ…ッ」
突如として二発の拳が放たれた。風を斬って音を掻き消すその速さをどうにか見抜き、後方に大きく飛んで避ける。
「やっぱ、来ると思ったぜ」
過去の二件以降疑いの目を持つようになった俺には今や不意打ちなど無意味。代償として友人を失ったわけだが。
まさか避けられるとは思わなかったのだろう、赤オジは感心したかのように口を丸く開けた。しかし気を取り直すかのように帽子を整えて、口角を上げてから「ヘアウィーゴー」と元気よく発した。
その意気揚々とした態度に応えるようにその言葉を口にして俺らの闘いは始まるのだった。
「オーケー」
優しい紅葉香りを穏やかに運ぶ秋風。そんな雰囲気とはあまりにも場違いな二人が各々の武器を手にして静かに様子を見合う。俺は愛用のナイフ、赤オジは楕円を基調にした白と赤の花らしきものを右手にしている。俺にはそれがなんなのか見当もつかない。
先に動いたのは赤オジだった。キノコを食べるように、右手に持つ花を食べ始めた。
しかし僅かながら生じたその隙を俺は見逃さず、地面を力強く蹴って距離を一気に詰める。卑怯やらなんやら言われようが、命を狙う相手に容赦するほど馬鹿である自覚などない。
食事中に迫り来る俺に驚きながらも赤オジは丁寧に花を食べ切る。そしてあと少しでナイフの攻撃範囲内となった時、身体から輝かしい光を出した。
俺は視界を遮られ、先程までやつがいた場所にナイフを振り翳す。だが虚しくもそれは空を切り、反撃に備えて右へ転がる。
「オーイェー」
聞こえた声の方を見ると、先程まで赤だった服が全体的に白となり手に炎の球を浮かべる赤オジ、いや白オジの姿があった。
「レッツゴー」
無邪気な子供のような笑みを浮かべながら、炎の球をボールのようにこちらへと投げてきた。俺は状況を理解するよりも早く動くことで避けるのだが、
「くっそ何発投げんだよ」
一発、さらに一発と無数に飛んでくる炎を全て避けきることは困難であり、ときおり熱が俺の頬を掠める。さらに火の玉は何度か地面についてもバウンドするため、後ろに下がってやり過ごすようなことも出来ない。一度に何発も投げられはしないのは良いが、その弱さを覆うほどの連発力に苦戦してしまう。
「このまま当たりそうになるのは危険だな。だったら」
ナイフで炎を切るような芸当も出来そうにない。
ならば炎が届かないところに行けばいい。
そう考えた俺は地面を強く蹴りつけ、近くの木の枝に掴まった。幸い枝と幹共に頑丈で俺の体重がかかっても折れることはなかった。
白オジは火の玉を上へと投げるも、重力によって力無く落ちていく。その度に火が触れた落ち葉が一枚、また一枚と赤く灯っていく。
そんな中攻撃手段がナイフのみの俺はどうしたもんかと考えていると、尖ったものが頭を突っついた。俺はそれを見て閃き、ナイフを取り出した。
火の玉を投げすぎて体力が減ってきたのか、白オジは両膝に手を置いてため息をついている。そしてふと顔を上げた。刹那、
「能力応用発動」
そして
「……豪快情熱」
ッバキッッッ
「……ああっ!」
その頭に俺は、幹から派生した枝の塊を強く打ち付けた。能力による攻撃力上昇も発動し、地面は大きく抉られ塵と煙が辺り一体を覆う。そのためターゲットの姿を捉えることは出来ないが、確かな実感を手に感じていた。
殺した。そう思った。
だがその確証は、あまりに呑気な音によって掻き消された。
「トゥントゥントゥン」
楽しげに跳ねるような効果音が鳴り響き、振り下ろされた塊の下から赤オジが転がっていく。まるで無敵状態のように、隙間がないはずの地面との狭間を抜け出し距離を取る。それは白オジになる前の彼の姿と同じ赤オジだった。
「マンマミィア!」
ケロリとした表情を浮かべながらこちらを警戒している。
「変身前に戻った、のか?」
だとすれば今の赤オジは最初キノコを食べた姿。なら後2回攻撃を加えれば倒せるということになる。
「オーキードーキ」
再び拳を構えて光る目を睨む。久しぶりの能力応用による負荷が身体に募るが、まぁいい。倒すのが先だと自分に言い聞かせて、ナイフを手にして態勢を整える。いくつかの葉からパチパチと鳴る様はまさに俺達のようだった。
そしてポツリと呟いた一言が火蓋を切り、互いに地を弾けて接近する。
「二回戦目を始めるとしよう」
山頂付近、幾度となく空を切る鋭い音が鳴る。拳を放っては避けられ、拳が放たれては避ける。あまりにも地味でありハードな闘いがされる。だがそれは互いに相手の拳の威力をひしひしと感じているからのものだろう。太陽は沈み月が昇り始めていた。
拳が頬のすぐ横を通過する。慣れない体力戦で次第に動きが鈍りだす。赤オジはまだ余裕を見せている。
次第に劣勢になっていく俺に彼は後ろ蹴りをかます。俺が拳を放った直後に繰り出されたそれを避け切ることが出来ず、まともに食らってしまい、荒く鈍い音と共に身体とナイフが反対に飛ばされる。そして近くの大木に俺は強くぶつかった。
「……グッ」
すぐに立ちあがろうと身体を動かした刹那、距離を詰めていた赤オジの足が俺の腹部を蹴り上げる。
「ガッ」
浮いた自身の身体を動かすことが出来るはずもなく、握りしめられた重々しい拳が鳩尾に食い込む。殺気を纏う強烈な拳が鈍器の如くぶつけられ凄まじい勢いで飛ばされる。
「……ッ」
鈍い音。葉が舞う音。空気が歪む音。声にならぬ呻き声。
全てが一種にして聞こえた。
先ほどの大木に強く打ち付けられて幹が軋む。同時に衝撃による声が発せられた。
「……ガハッ」
重力によって地面に叩きつけられ、ようやく止まる。だが身体は今も尚悲鳴を上げている。
バカみたいな身体能力。速さ、火力どちらも俺の想像以上だった。まだ2回叩きのめさなければならないのに。だが武器を手放した俺は彼相手に立ち塞がることすら出来ない。
呼吸もままならないまま顔を上げる。その先には赤オジがゆっくり歩いてきている。手は力強く握られて葉っぱを踏み締めてくる。
そんな彼を見た俺は二度と抱かないと決めた気持ちが頭をよぎってしまった。
「俺は、ここで死ぬのかな」
この苦しみから解放されたい。最初の事件以降、俺は度々襲われるようになったあの時から考えていたこと。一番非力な俺を捕まえて巫女の能力を手にしようとしている奴らからの奇襲はいつもギリギリだったけど、今回は比にならないくらい敗北に近いだろう。気づけば「死」に対する恐怖も消えていた。
それもそうだろう。神社に帰ってきても家族の殆どは仕事でいない。いつも独りぼっちだった。人の温もりに触れる機会すら、友人を作れない俺から消えていった。生きる糧などもうなくなっていた。
静かに目を閉じる。心を落ち着け、しばらくして目を開く。近くで赤オジが拳を上に振り翳していた。もう目で追えない。
「やるなら、楽にやってくれよ」
不思議と零れた冷たい涙が頬を伝う。身体が冷えていく感覚を覚えて彼の顔を見上げる。直後、
ドーン
「……えっ」
突如として辺り一体に突風が巻き起こり視界を
遮られる。だが俺はその一瞬を目にした。
「……隕石?」
燃えながら夜の空から落ちてきた大きな岩、隕石が赤オジに直撃したその瞬間。次第に風が収まり目の前の光景をふらつきながら目にする。そこには巨岩だったものが粉々に砕け散り、地面は凹んでいる。
こんな芸当出来る人なんてと思っていると、
「ようやく見つけた!遅れてごめん!大丈夫だった?」
気付けば俺は前から抱きつかれていた。そしてこのテンションと声、間違いなく姉だ。赤オジの攻撃で視界がぼやけ気味だったからか気付けなかった。
歴代最強巫女荒木麗奈、姉は俺を胸に抱け寄せて頭を撫でる。久しぶりに姉に抱きしめられた懐かしさに恥ずかしさもあった。だが何故か冷え切った身体が温まる。家族の仕事が忙しくなってから感じられなかった温もりがそこにはあった。さっきまでの怒りや失望が払拭されていくような不思議な感覚に包まれていく。顔など見なくとも姉の可愛らしく温かい笑顔を感じた。
しばらくして俺の肩に手を置いて俺達は態勢を立て直した。俺の頬を伝っていた涙を姉は繊細な指で拭うと、一度こちらへ笑顔を向けて後ろを振り返った。視線の先には半分程度の大きさとなって赤オジが立っている。目には分かりやすい怒りの炎が灯っていた。握られた拳が微かに動いている。
「あんたね。粗方事情は調べさせてもらったわ。どうやら神社を乗っ取って世界を変えようとしているらしいけど、そうはさせないから」
「マンマミィア!イッツミー!」
イタリア語で何を言っているかわからないが怒り気味の荒々しい声だ。
怒りのままに地面を力強く蹴りつけ、音速かと疑う素早さで赤オジは距離を詰めて拳を振るう。その拳は動けない俺に向けられている。
「私の弟に傷はつけさせない」
紅い炎を宿した右眼で姿を捉えた彼女は唱える。
「能力応用発動」
その『最強』の名に相応しい一言を。
「運命統制‼︎」
ドッガガァーン
「…………」
ビリビリッと電気が走る。多少指先が痺れるが、目の前の事象はそんな小さなことじゃない。一瞬辺りが光に呑まれ、視界が明るくぼやける。隣の姉の手が俺の肩に触れている感覚だけはしっかりと伝わる。そして状況を理解出来るまで落ち着いたが、生憎と信じようにも難しいことが起こっていた。
「雷が……直撃」
雲一つないこの空から雷が降ってきた。これこそが歴代最強巫女の能力、様々な運命を操る能力。まさにぶっ壊れ性能だ。
「相手が音速なら、こっちは光速でね」
肩から手を離して俺の頭をポンと小突き、落雷箇所に歩いていく。そこには赤オジが灰のように消えていく様子があった。
「ふぅ〜疲れたなあ。本当は何があったか今すぐ聞きたいけど優馬も疲れてるわけだし、ご飯食べた後でいっか」
「なんで俺を助けた?」
率直な疑問をぶつけた。
「へ?急にどうして?」
「だって家族みんな仕事が仕事がって言ってずっといなかったのに。俺がこんな場所で最期を遂げても結局仕事を優先して、そんな程度の」
「そんな程度なわけない!」
俺の言葉を遮って叫ぶように言う。
「私達家族は世界みんなのために動く。仕事に行くことは仕方ない。だけど、だからといって優馬のことがどうなってもいいなんて思ってない!少なくとも私は、この世界よりも家族を優先する。一番大切なのは家族なんだから!」
だったら
「だったら、姉ちゃんは俺のことどう思ってんだよ」
俺は聞きたかったんだ。
「優真は大切な……」
その言葉を
「大好きな弟だよ」
その言葉を聞いた俺は気付けば崩れ落ちるように膝をついた。感動したから。触れたから、その、人の温もりに。
いつしか俺からは涙が溢れていた。それは冷たい涙なんかじゃない。不思議に温かい涙だった。声を荒げながら泣くなんてしないと思っていた。最初の事件以降、弱さの証である涙は流さないと。だが出てしまう。この涙も俺の弱さだったのに。
泣き崩れる俺に姉は静かに歩み寄り、細い腕で抱きしめる。ずっとこのままがいいと思えた。久しぶりの感覚だった。涼しい夜風が温かい空間を通り過ぎていく。
夜遅くに俺達は神社に帰ってきた。握っていた互いの手を解き、暗い我が家の電気をつけた。リビングに行くと姉が作った料理がラップされて机に並んでいた。
「少し冷めたかもだけど温める?」
「いやいいよ。疲れたし」
俺が座った席と対面の席に姉が座り、俺がラップを取る間に、姉はグラスに二人分の水を注いで各々に渡す。
「お疲れ様。ってことでかんぱ〜い」
宴会じゃねぇんだぞと思いながらもグラスを軽く当てる。笑顔はいいなと改めて思った。
料理は少し冷えていたが、少し温かった。