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悪魔の蛮餐  作者: 龍崎 明
序編 魔の遊戯
32/42

32.大魔境

 眼窩を貫き、脳を穿ち、頭蓋を抜けた大槍が負荷に耐え切れずに大破する。


 いつの間にか朝日が昇り、鉄片にキラキラと反射する。


 誰もが決着を確信した。


 怪物の死という決着を。


 無事な瞳は裏返り、大口は呆けたように半開き、次の瞬間には六脚から力が抜けて地を揺らすだろうと誰もが漠然と願っていた。


「食い切れなかったか」


 墜落したディアブロの呟きの直後だった。


 大気が震えたのではないかと思うほどの拍動が、魔力となって駆け抜ける。


 その爆心地は、百掌熊ヘカトンケイルからだ。


 脳は神経細胞の集合体にすぎないとか、記憶とは身体の全てで覚えているものだとか、色々と理屈はあるのだろう。


 その巨体を動かすためには、頭部以外にも副脳があった方が効率的であり、通常の生物よりも致命的な部位ではないという物理的な意味なのかもれない。


 死ななかった怪物は膨大な生命力でもって、脳に空いた穴を再生していた。魔獣の魔力で強化された自然治癒だった。


「  グゥ  」


 不満げな声で鳴く。ゆっくりと鈍重に怪物は振り返る。


 その行方を、自らの棲家へと。白氷領域ニヴルヘイムの奥へと向ける。


 去っていく。怪物は斃され、されど死なず。


 その背に、()()()()が見えていた。


 百掌熊は本来、百年周期で大冬眠を繰り返す。そして、増えた獲物を食らう魔獣種だ。ギムレーの記録に寄れば、確認される最新の百掌熊の活動記録は八十年前であり、フィンブルヴェト大魔境に棲息する個体は一体のみとされている。


 怪物にとっての二十年を誤差として考えるかどうかは意見の分かれるところだが、異常な再生力を見せたそれが治せていない火傷を確認したことで懸念は確信される。


 この騒動が作為的な異常事態であることを。




 フィンブルヴェト大魔境、巨骸領域ヨトゥンヘイム


 白氷領域ニヴルヘイムの奥地の一角。巨大な魔獣の死骸によって繁茂する寒冷植物園。


 植物食性の黒火蛇シュヴァルツアダー枝角兎ジャッカロープ、それを狙う肉食性の白雪鷲ヴァイスアドラー蛮犬ガルムなどの彷徨く魔の楽園。


 その主が、多毛の象に似た巨獣、霜毛巨象フリームスルス


 群れて活動する災害指定魔獣。吹雪を操る凍土の支配者だ。


 しかし、常ならば寿命を悟り大地の一部として、安らかに横たわる筈の巨獣の死体が、無惨に傷つけられた状態で幾つも散見される。中には小柄な幼獣の姿さえあった。


「悲しいナァ」


 妙に虚しく響いた声の主は、悍ましくも巨獣の腹に顔を埋めて直接に食らいついている。


「悲しいなぁ。逃げられた、逃げられた。俺の獲物に逃げられた。悲しいナァ!」


 愉しく怒気の込められた声が響き渡る。お溢れを狙うような魔獣でさえも既にその殺意に怯えて逃げている。彼の意思を聞くのは、物言わぬ骸ばかりだった。


「悲しいなぁ」


 そこにいるのは、『狂宴会ヴァルプルギス』の受肉悪魔、禍王サタン。


 拠点を飛び出してうっかりこの大魔境に訪れ、先の災害を引き起こした化け物である。


『落ち着いたかしら、クソ野郎』


 サタンの頭に直接響くのは、蝕王レヴィアタンの声。


「おぉ、レヴィ!我が同胞きょうだい!ここはどこだ?」


『黙れ!偉大なる御方を煩わせるんじゃないわよ。さっさと戻ってらっしゃい!』


「うーむ、ここがどこかわからぬでは帰れんなぁ、悲しいナァ!」


『馬鹿なの!?いえ、アホだったわね。そのために、アンタには移動用の呪宝ウィッチクラフトが下賜されているんでしょうが!』


「おう?おおう?……そうであったな!」


『馬鹿なの!?』


 記憶を探る様子で、取り敢えず頷いたサタンに、レヴィアタンの二度目のツッコミが炸裂した。


蒼炎馬バティムよ!蒼炎馬バティム!』


「む?あれだな」


『そうアレよ。やっと思い出したか、クソ野郎』


「さて、どこへやったか」


 派手な衣装に無駄に取り付けられたポケットをまさぐるサタンであった。


「あったぞ」


 そう言って取り出したのは、何の変哲もない小さな木馬。


『早く使え、クソ野郎』


「うむうむ、うむ?どうやって使うのだったか?」


『……万魔殿パンデモニウムを指定して、燃やせ』


 冷たい平坦なレヴィアタンの指示に、流石のサタンも震えている。


「悲しいナァ!レヴィ、もっと愉しくしようじゃないか!」


『黙れ!このクソ野郎!』


「おう、それでこそだ!いいぞ!」


 震えていたが、嘆いていただけのようだ。


『……』


「お?放置されたか?悲しいナァ。仕方ない、さっさと帰るか」


 ようやっと、サタンは掌に乗せた木馬を魔術で燃え上がらせる。


 燃え上がる木馬は、瞬く間に蒼く染まり大きくなって、サタンの周りを駆け回る。


「帰ろう、帰ろう、さぁ帰ろう!」


 蒼炎がサタンを覆い隠し、木馬の速度が音を超えたとき、蒼が収束し忽然と姿を消した。


 痕跡の何もない、燃え跡もないそこには当然のようにサタンの姿もなく。


 ただ悪魔の創り上げた惨状が、現世の地獄のように静かに横たわっていた。


 シンシンと黒い雪が降り積もる。


 蛮犬ガルムの群れが喜ばしげに駆けつける。


 いつの間にか、その惨状も景色に溶け込み、フィンブルヴェト大魔境には常なる営みが取り戻される。


 どこからか、女の静かな笑い声が聞こえてきた。


 此処は人智の及ばぬフィンブルヴェト大魔境。一時の悪魔の戯れに、壊れるような脆弱な自然にあらず。

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