31.怪物
「プハッ」
白雪より這い出たのはディアブロであった。
「アホらしいほどデカいな」
百掌熊の巨躯を見遣り感想を漏らす。
迫っていた魔獣種たちの殆どは雪の下。ギムレーの領軍は、結界によって無事な様子を見せている。
ブリュンヒルデが豆粒のように、百掌熊の足元にあった。
「ありゃりゃ、払われてやんの」
ちょうど、ブリュンヒルデが百掌熊によって吹き飛ばされたところであった。
「行くか」
ディアブロは、百掌熊に向けて駆け出した。
遠く、ブリュンヒルデの魔力の高まりが感じられる。
紫電の閃光が鮮やかに弾けている。
「無茶なヤツだ」
【雷迅】が放たれる。
投槍は確かに、怪物の瞳を捉えた。
「 」
悲鳴が轟く。ブリュンヒルデの姿が白雪に呑まれ、掻き消える。
ただ二度目となれば、吹き飛ぶ雪の量は少なくなっている。ディアブロの歩みを止めるほどではなかった。
「デカいな。脚しか見えん」
接近して改めて気づく圧倒的な巨躯。それにディアブロは怯むことなく、殴り掛かった。
「【威虎】」
巨人の拳を幻視する。
人類種の小さな拳が、百掌熊の脚を弾き飛ばす。
「 グゥ 」
呻く怪物の隻眼が矮小なる障害を捉える。
「堅い、いや、厚いな。分厚い。骨まで衝撃は届かないか」
怪物の威を向けられながら、ディアブロは気にした様子もなく独り言ちる。
前触れもなく、大地が震える。
「ん?」
土塊が蠢き、ディアブロを呑み込まんと顎を開く。
「原始魔術か」
完全な包囲が完成するその前に、ディアブロは飛び出した。
それを追いかけるように、土塊が蠢き襲い掛かる。
「百掌か」
そうこれこそが、百掌熊の由来。
巨人種の成れの果てと伝わる由来。
原始魔術【大地掌握】。ただ大地を己が手足のように操る術理である。
巨躯を支えるのに必要な六脚に代わって、無数の土塊の掌が獲物を襲う。それが百掌熊の狩りである。
手数は無数。元が土塊にすぎぬために砕こうと数は減らず、じっくりとジワジワと獲物の体力を擦り減らせる。
巨躯に相応しい圧倒的な魔力量によって、小細工はない。操作に巧みさがない。効率を捨てた物量をもって災害は襲いくる。
「さて、どうするか。額のあたりなんかは薄いと言っても誤差だろう」
ディアブロには余裕がある。
天稟による戦闘力と悪魔の権能による継戦能力があれば、いつまでも戦うことはできる。
ただ、相性が悪い。殺し切る火力がない。巨大な質量を、物理で殴っても埒が開かない。
権能を攻撃的に振るうわけにもいかない。リスクが高い。
「腹の中から、いや、分厚さは変わらんか」
どこかの童話のように、怪物の腹から攻め立てることも難しいと判断する。
「 グォ 」
その鳴き声に含まれるのは、苛立ちか。
土塊の勢いが、質量が増す。
「ウッザい!」
砕き駆ける。一箇所に留まらず、狙いに迷いを生み、順当に対処する。
「やっぱ、目か」
ディアブロは目標を定め、百掌熊の脚の一本を目指す。
だが、接近したその瞬間、壁が迫る。
壁、百掌熊の脚が矮小な獲物を弾き飛ばす。
「ぐっ、てぇ……」
登ることさえ許されない。既に認識されているのでは、流石の怪物も無防備は晒さなかった。
「お前は頑丈だな」
そこへ声を掛けるのはブリュンヒルデだった。
「そっちが脆いんだろ」
ディアブロの憎まれ口な返答に、骨折しているブリュンヒルデは苦笑を浮かべた。
「届かないか。空気を蹴ったらどうだ?」
怪物を見上げて提案するブリュンヒルデに、今度はディアブロの表情が歪む番だ。
「物理現象として起こすには現実的じゃねぇな」
「夢のないヤツだ。そのままでは、いつまで経っても三流魔術師だぞ?」
「うっせぇ。それで手段はあるのか?」
払ったハエが死んだかどうかなど興味はないのだろう。百掌熊が長城へと鈍重な動きで歩みを進めようとしていた。
「私の魔力を喰え。嵐をもって空を駆けろ」
「お前が補助すれば良いだろう?」
思わぬ言葉に、ディアブロの視線が女傑に向く。そこにあったのは、厳然とした覚悟の表情。
「馬鹿言うな。私は魔闘士だ。他人に魔術を掛けても暴発させるだけだ。お前は死なんだろうが、制御ができないなら辿り着けんだろう?」
「……良いんだな?」
「ギムレーに二言は無い」
その瞬間、ディアブロの魔力がブリュンヒルデを呑み込んだ。
「ぐっ……は……ん……」
魔力の急激な消耗の感覚にブリュンヒルデの耐える声が漏れ聞こえる。
「喰い尽くすな、ベルゼブブ。メインディッシュは別にある」
飢餓の唸りに蓋をして、ディアブロは蠅王を諫め鎮める。
「【馬空】」
銘を与え、嵐の魔力を己の血肉と成す。
空を蹴る。駆ける。
通常ならば、大衝撃を生むはずの行為が静かに成立する。
目指すは百掌熊の眼前。
ハエの接近に気づいた怪物は、大地の掌にて叩き落とすことを試みた。
その悉くを砕き、壊して、押し通る。
遂に、ディアブロは眼前、突き刺さる大槍の元に辿り着く。
「よぉ、デカブツ。喰われてくれ」
怪物の呼吸が乱れる。悪魔の食欲に、被捕食者として認められたことに、驚愕と怯懦が生じた。
――【威虎】
巨人の拳が幻視される。
柄を押された大槍が、貫き抜ける。




