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悪魔の蛮餐  作者: 龍崎 明
序編 魔の遊戯
23/42

23.銀狼姫

 ローゼンクロイツァー帝国、ギムレー辺境伯領、護国の長城。


「寒いなぁ」


 長大な城壁にて等間隔に配置された見張りの兵士の呟きだった。


 ローゼンクロイツァー帝国北東部にあるギムレー辺境伯領は、帝国屈指の危険地帯、フィンブルヴェト大魔境に接する要衝だ。かの大魔境との境界線には、壁と見紛う長大な城砦が築かれ、大魔境からの魔獣種モンスターの侵入を阻んでいる。配属された兵士たちはそれらを追い払い国家の安寧に寄与する誇りとともに、この城砦を『護国の長城』と銘打っていた。


 大魔境は濃密な魔力によってその環境を変異させているが、帝国と接する領域の環境は極寒である。その寒風は当然、ギムレー辺境伯領まで吹き込み、年中冬季に閉ざす風土を齎している。作物は育たず、魔獣種の脅威に晒される厳しい土地は、古くは流刑地として諸国に利用されてきたとされる。領民は、そんな訳あり者たちの子孫であり、帝国に併合されるまでは略奪も文化の一つと公然に行っていたような荒っぽい気性である。


 そのような領地を治めるギムレー辺境伯家であるが、その始祖はギムレーの略奪者の一人であった。攻めた土地で敢えなく捕縛されるものの、後の初代皇帝に気に入られ傭兵団として西方の征服戦争において多大な戦功を挙げたのである。


 初代ギムレーは、その戦功をもって故郷を流刑地から辺境伯領に改めての拝領を望んだのだ。


 その後、戦友と呼べる初代皇帝からの支援もあり、ギムレー辺境伯領はフィンブルヴェト大魔境に対して安定的な防衛戦線を構築し、大魔境から得られる魔獣種資源で富を築くことにも成功する。名実ともに大領主として歴史に残ったのである。


 そして、その子孫たちは、厳しい風土である領地に育まれ、傑物を多く輩出してきている。その功績によって、ギムレーの一族全体が、名門大家として『帝国の巨狼』と渾名されるに至るほどとなっていた。


「暇だなぁ」


 見張りの兵士は、薄ぼんやりとしながら呟いた。豪胆にも呑気にも思える発言だったが、それを聞き咎める者は幸いにもいなかった。


 フィンブルヴェト大魔境であっても魔境には違いない。魔獣種の多くは魔境に好んで棲み、その地を離れるのは縄張り争いに敗れたからに他ならない。広大な分、その頻度もまた多くなるが、必ずしもギムレーに向かってくるわけでもない。そうでもなければ、流刑地とされた時代において、生き残る者など皆無であっただろう。


 護国の長城より窺える大魔境は、広大にして白銀に染まる積雪地帯だ。より奥に行くなりすればその環境も変化するため、このギムレーに隣接する常冬の国を白氷領域ニヴルヘイムと称している。


 天頂にて燦々と照りつける日光を反射する眩しさに目を細める見張りの兵士は多い。長く勤めた者は、強い光に目を灼かれ、その視力を著しく落としてしまう。それでも彼らは、故郷を護る誇りを胸に白き魔境を睨みつけるのだ。


「うん?あれは……」


 見張りの目に留まるのは、白雪の上を小動物のようにチロチロと動く影。しかし、開けた地にあって未だ遠方に見える様子である。それが小動物であるはずもなかった。


「おい!あれ見えるか?」


 等間隔に配置された隣の兵士に張り上げた声で問い掛けた。しかし、視線は発見した異常に向けたまま。


 ここは、大魔境にとって外縁である。見えている時点で、その魔獣種は争いに敗れたはぐれもの。こちらに向かってくることはほとんど確定的だった。


「あぁ、見える!見えるぞ!雪熊イエティか、白魔狼ヴァイスワーグか?」


 声の届いたらしい別の兵士の目にも確認された。


 彼が続けて呟くのは、比較的に出現しやすい魔獣種の名だ。どちらも白い体毛をした熊と狼である。遠目にわかるのは、白く見にくいこととなるとどちらかと判別するのは難しい。白魔狼であれば、原種とされる魔狼ワーグに類似して二、三の群れを成しているはずであるが、狡猾な魔獣種であるので隠れていてもおかしくない。


「こちら第六視!白い魔獣を確認!繰り返す、こちら第六視!白い魔獣を確認!」


 他者の確認を受けた見張りは、状況を確定して伝声の魔道具にて連絡を取る。未だ都市間の遠隔伝声とはいかないものの、城砦内でのやり取りであれば充分な代物である。

 ただ、護国の長城は特殊な城砦であり、端から端までは都市間の距離を超える。そのため、一つの城砦でありながら指揮系統は複数に分けて設置されていた。


『……運が良いのだか、悪いのだか。了解した。すぐに対処される』


 魔道具越しに応答する上官の声は、どこか呆れを含んでいた。


「あ……」


 小さな異常を凝視する視界の端。護国の長城より飛び出る影が、見張りの兵士の目に映る。


 優美に輝くしなやかな後ろ姿に、艶めく白銀の長髪が一つに纏められて流れていた。冷徹なる剣が如き美麗な背に見惚れる者たちは幸運だろう。


 上質な白魔狼ヴァイスワーグの毛皮で誂えた革鎧を身に纏うその人物の表情は、獲物を見つけて昂ぶる獣のそれであった。喜悦と冷酷を想起させる攻撃的な原始の笑みなのだ。ギラつく黒瞳と血に濡れたように紅い唇は、それでも損なわれない美貌に配置されている。


 その烈女は、瞬く間に憐れな獲物に辿り着く。


 今回は、雪熊イエティのようであった。動物の熊であっても人の手には余るような体躯である。それが魔獣種ともなれば、巨人と見紛う巨躯となるのだが。


 烈女には一切の迷いがなかった。


 手にする大槍を突き出した。狙い違わず、心を撃つ。


 雪熊は、威嚇の咆哮も巨腕の剛撃も、何もすることはできずに討たれたのである。


「なんだ、つまらん」


 瞬く間に終わった狩りに、烈女は先ほどまでの笑みを反転、不機嫌顔だった。


 この烈女こそ、『帝国の巨狼』と謳われたギムレーの末裔が一人。現当主の娘、初代の生まれ変わりと噂される天賦の武才の持ち主。


 『銀狼姫』ブリュンヒルデであった。

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