17.『死神』の逆位置
「ここは、どこだ?」
「僕の箱庭だとも」
暗がりでありながら、両者の姿ははっきりと浮かび上がっている。
モースとアスモデウスの二人きり。それ以外には何もない。
「何のつもりだ?さっさと殺せばいいだろう?」
「ヤってるよ?ただ手段の問題でね?ジワジワとじゃないと殺せないんだ。精霊種は属性に縛られる。それは悪魔だって例外じゃない」
「つまり、心を殺しにきているのか」
「ご名答!その通りだね!君たち人間は、僕のことを魅王と定義し、『性欲』の悪性だなんて嘯いた。けどねぇ、僕はもっと原始的な『快楽』の悪魔なんだぞ!」
楽しげに愉しげにアスモデウスは片手を腰に当てながらもう片手の指を突き付ける。
そして、鳴らしながら手を合わせ、暗がりにテーブルと二脚の椅子を生み出した。
「立ち話もなんだから、座ろっか?」
「何故、貴様のペースに合わせる必要がある」
「そんなこと言ってさぁ、今んところ打開策なんてないでしょう?ほら、甘いお菓子も用意できるよ?蜂蜜たっぷりの紅茶はいかが?」
いつの間にやらテーブルの上にある令嬢が茶会で嗜むようなティーセット。一口サイズの菓子を頬張りながら、アスモデウスが誘いの言葉。
「受け取ると思うのか?」
「さぁ?ヤってみるまでわからないじゃん。常識ってのは破壊すべきだと僕は思います!」
「そうか。それで私の心を殺すために、貴様は何を話す?」
腕を組んでの仁王立ちでモースは問い掛けた。
「僕の言いたいことを喋る当然だろう?」
妖しい笑みをアスモデウスは浮かべて言った。
「さぁ、まずは自己紹介をしよう。僕こそが、魅王アスモデウス!自己愛の根源、破壊と解放の本能、『快楽』の悪魔!どこまでもどこまでも他者を鑑みることなく、己の歓喜を追求する君たち人間の心の側面だ!」
アスモデウスが大仰に自分を語る。
善悪など所詮は、人類種の心象にすぎない。
善性精霊種とされる天使も、悪性精霊種とされる悪魔も、人類種の想念を元に生まれた精霊種だ。
人類種がある限り、不毛とも言える厄災の火種を消せはしない。
ソロモン教の召喚術師として、モースもそれは知っていることだ。
「私を苛立たせたいのなら失敗だな。そんなことは知っている。私とて、自らのために正義を追い求めている」
「せっかちだなぁ。まぁ、いいとも!君は自己紹介してはくれないだろうから、僕が代わりに言い当てよう。ソロモン教聖霊派のさらに分派した武闘派魔道士集団『聖夜会』が誇る歴代最年少『聖伐執行人』にして、帝国の懐刀『秘奥騎士』の一人『死神』。その役割は、対悪魔戦闘。生まれは、『聖夜会』に所属していたベテラン夫婦。その両親から徹底的に退魔術の英才教育を受けたサラブレッド。しかし、君には欠けるモノがあった。復讐心だ。君にあったのは、正義感だった」
「……権能か。だが、それがどうした?」
「ふふ、ここまでは正解みたいだね!」
つらつらとアスモデウスが語るモースのプロフィール。それは、モースが自覚する真実だった。
それこそが剥き出しの心を曝け出す『快楽』の悪魔の権能。
〈快陶乱魔〉。
自己愛のための読心であり洗脳。
『快楽』に自我があるとするならば、それは男でも女でもなく子どものようなモノだろう。幼く無邪気で無知で、だからこそ理性という枷のない本能で人間らしく遊ぶのだ。性別などなく、年の差などなく、種族の差などなく、どこまでも区別なく世界を掻き回す。
魅王とは呼ぶが、アスモデウスに魅了するという思考はない。
ただ、鬱屈からの解放が、日常の崩壊が、道徳の決壊が、社会秩序の闇にとって魅力的に映るだけなのだ。
それは遠目には幸福の光であり、希望の星。
近づけば、破滅を齎す隕石、絶望への誘蛾灯だ。
「正義感と復讐心は似ているようで違うモノだ。復讐心はどこまでもどこまでも目的に向かって邁進する。手段は選ばない。結果が全てだ。しかし、君の正義感は、救うためにある。だから躊躇う、だから確かめる。それがホントに悪なのか?それがホントに救えないものなのか?正義感は手段を選び、結果を求める。自身の正しさこそが目的で、勘違いもある、思い込みもある、それでも正しさを捨て去る復讐心とは別物だった。そうでしょう?」
「……繰り返そう。それがどうした?今さら私は揺らがない。私は、『聖夜会』であると同時に『秘奥騎士』だ。自身の矛盾を識るきっかけなど、とっくに見つけている。空っぽの憎悪、正しさのための傲慢、そのような悪性を抱えていることに私は確かに苦悩している。だが、私は私だ。言ったはずだ。私は自らのために正義を追い求めている」
モースは気づかない。
自らのカラダに罅が入ったことに。
アスモデウスは気づかない。
その罅から漏れ出るモノがなんなのか。
「そうだとも!君は自らののために正義を追い求めている!狂気に満ちた復讐鬼たちとは違う!君は善意で動ける人間だ!始まりが両親の教えであろうとも!続けた理由が褒められることを望んだ故であったとしても!もはや呪いのように刻まれる『愛』に歪むことなく、『正義』を追い求めている!愛さえも拒絶する『純潔』のように!……ように?え?」
モースの罅割れが、全身を侵す。
いよいよもって、アスモデウスも漏れ出るモノが蒼く輝いていることに気づいた。