1.禁書庫
既読に感謝です。お楽しみいただけたら幸いでございます。
ローゼンクロイツァー帝国、秘匿地域、禁術師専門収監施設『ヘカテの禁書庫』。
鬱蒼と繁る木々の中、ひっそりと佇む無骨な監獄要塞。
そこを訪れる二人の人影。顔貌も体形も判然としない怪しげなローブ姿で瞬く間に現れた彼らに、しかし、監獄の門衛は微動だにしない。
「やぁ、お勤めご苦労様。連絡は回っているかい?」
柔らかい口調で門衛に男声を掛ける片割れ。もう一方は口を開かないため、性別を判別することさえできなかった。
「身分の呈示を」
門衛の反応は淡白だったが、ローブの男は気にした様子もなく袖口から手品のように一枚のカードを取り出した。
喇叭を吹く天使と、棺から立ち上がる人々の絵柄を描かれたそのカードには、『二十』の数字と『審判』の文字が刻まれている。
「ありがとうございます。確かに連絡は受けております、ジャッジメント卿。どうぞ、お入りください」
門衛の言葉に合わせるように、監獄の鉄扉が独りでに開かれる。ここにいる者でそれを不思議がるような浅学はいなかった。
門衛は門衛だ。ジャッジメントとその連れを案内することはない。しかし、正式な訪問である。開いた鉄扉の先で案内人の役を負った看守が待っていた。
「やぁ、お勤めご苦労様」
台詞は先と同じにジャッジメントが声を掛けた。看守はそれに頭を下げて応えると、素早く身を翻して歩み出す。やはり、気を悪くすることはなくジャッジメントとその連れが後に続く。
複雑に入り組んだ廊下を歩き、やがて一つの独房に辿り着く。
看守が鍵を開き扉を引いた。その瞬間から聞こえてくるのは地獄から響くような唸り声だ。
しかし、それに気圧された様子なく、ローブの二人は独房に踏み込んだ。看守は扉を閉め鍵を掛ける。
「厳重だね。そうは思わないかい?」
ジャッジメントが連れに声を掛けるも返事はなかった。まるで最初から独り言であったかのように独房の住人、虜囚の姿に視線を向ける。
青年だった。艶消しされた黒銀のような髪と瞳をした美丈夫である。しかし、その肉体は鉄鎖に縛り付けられ万が一にも逃走されないようになっている。それどころか眼も鼻も口も耳も覆い隠されていた。それはもはや、怪物の封印だった。
「可哀想にね。彼はどちらかというと被害者なんだよ?それなのに、身に宿した悪魔が少々厄介だったというだけでこの有り様だ。さぞかし、恨み辛みを募らせたことだろう。我々にも、あちらさんにも」
ジャッジメントはお喋りである。間違いない。
「さて、いつまでも独り言ではつまらない。お話しようか、『魔術師殺し』」
一つジャッジメントが指を弾けば、『魔術師殺し』と呼んだ虜囚の感覚拘束が外れて床に落ちた。
「帝国が何のようだ?」
虜囚は些かの動揺もなく、自由になった口で唸るように問い掛けた。
「これが何かわかるかな?尊き皇帝陛下よりの勅書だよ」
ジャッジメントが取り出すのは質の良い一枚紙だ。
「くく、尊き皇帝陛下、皇帝ねぇ?そんな偉い奴が田舎の悪ガキにどんな手紙を寄越した」
喉を鳴らすように虜囚は笑った。明らかに皇帝を侮辱するものだが、ジャッジメントはめくじらを立てたりはしなかった。
「特例赦免勅書。ある条件を飲めば、君に表社会へ帰る機会が与えられた」
「ほう?人狼を首輪付きとはいえ外に出すか、その皇帝はボケちまったんじゃねぇか?」
「はは、自分のことを蔑称で呼ぶものではないよ。本当に自分を愛せるのは自分だけなのだからね」
「説教は聞きたくないな。それもただの綺麗事なのが分かるような棒読みで」
ジャッジメントは朗らかに笑うが目元の表情だけは変わらない。見つめ合う二人だったが、折れたのは虜囚である。
「ちっ、それで?条件はなんだ?」
「魔法省魔術管理局禁術指定執行部、通称『秘奥騎士』への所属。もちろん、業務の公正な執行だ」
「期限は?」
「禁術指定魔術結社ソロモン教魔王派、通称『狂宴会』の撲滅までだ」
それは正しく悪魔のように、虜囚は嗜虐に満ちた破顔をした。
「わかってるじゃねぇか。くく、あぁ、引き受けるとも。クソッタレどもを滅ぼして娑婆に出られるなんざ、ホント最高かよ!」
固く縛ってあるはずの鉄鎖が拡がる。虜囚の力みで無理矢理に伸ばされていた。
「あぁ、やっと、この忌々しい縛鎖ともお別れか」
しかし、鉄鎖は再び元の固い拘束へと独りでに締め上げる。
それは虜囚を無力化するために帝室宝物殿、通称『ファヴニールの穴蔵』から持ち出された神代の秘宝。現代では再現不能の神秘を宿す魔道具。
「おっと残念。万が一のことも考えて、その縛鎖とはまだしばらく付き合ってもらうよ」
「あぁ!?マジかよクソが!」
その名を『貪食の縛鎖』。神喰らいの悪魔を封じた逸話を有する最高の拘束具だ。
「さて、歓迎しよう。私が『秘奥騎士』の副官、秘匿名『審判』だ。そして、今日から君は『悪魔』だ」
そして、そんなものに封じられた虜囚もまた悪魔である。
「よし、では出発しよう。頼むよ」
結局、ここに来て一度も口を開かない連れにジャッジメントが声を掛ける。瞬きの間に、三人の姿は独房から消えていた。
床に散らばった虜囚、否、ディアブロの感覚を封じていた拘束具だけが、その痕跡としてあるだけだった。
書き溜めを連投します。初動1週間、1日3話、計21話となっております。その後の投稿ペースは、あらすじの通りに不定期となります。ご了承ください。