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潮汁

作者: 水谷秋夫


   一、馬上少年過


 慶長四年(西暦1599年)十二月、陸奥国栗原郡築館。豪農の家で寄り合いがあり、平蔵は土間の厨房で夕餉の差配をしていた。

 平蔵は農家の三男坊で、財産も何もなく、家の修繕を頼まれれば修繕を、薪割を頼まれれば薪割を、便利屋のような仕事をしてその日暮らしをしていた。

 ただ彼は幼少より料理に興味があった。自分の家の厨房に張り付いて母に纏わりつくばかりではない。天秤棒を担いだ物売りが来れば幼い頃から、これはどうやって調理して食べるものかと質問攻めにしたものだ。

 その日の豪農の家も、もとは便利屋として薪割から顔を出していた所だ。しかし、いつの間にか平蔵は厨房に出入りしていた。台所は女の持ち場だが、寄り合いとなると勝手が違う。そもそもどれだけの女が台所にいなければならないか。食材はどれだけいるか。どの順番で調理すれば温かいものを冷まさずに出せるか。酒が入れば料理の出す順番はどうなるか。女衆でもわからぬことが多い。それらの差配を、沢山の家々に出入りするうちに、平蔵はいつの間にか身に付けていた。

 その日の寄り合いは夜盗が来た時に農民がどう対抗するか、という話し合いだった。それが終われば来た者の間で夕餉となる。

「そろそろ魚をさばかねば」

 平蔵が女衆に声をかけた。

「まだ早ぐねえか」

「いや、話し合いも終わりそうだ。十人分となると今始めねど間に合わね」

 平蔵はそうした判断に誤りが無かった。

 一方、その魚を前にして動けないでいる若い女がいた。

「初めで見る顔だな」

「おのぶさん。花山がら来た、権助の嫁でがす」

「あの、海の魚って、めったに見だごどがなくて、なじょしたらいいんだぇ?」

 花山は山が近く海は遠い。

「ああ、海の魚さ慣れでねえのが」

 魚の骨を外して汁に入れなければならないのに、ただ見ているだけでは困る。

「野菜ならどうでも切れるんだな」

「はい」

「それが出来るんだったら、そんなに難しくね。魚ばおろすのは、エラどカマの間に包丁入れで、腹ば開いで」

 平蔵は教えるのもうまかった。

「ほら、できっぺ。よし」

 教わったおのぶは満面の笑みであった。これで新妻が使い物になった。

「おのぶ、おめは権助の嫁だど。平蔵さ惚れんでねえど」

 年かさの女が声をかけて、一同はどっと笑った。

 やがて寄り合いは無事に終わり、夕餉も済んで、家の主人は平蔵に感謝の言葉を述べた。

「平蔵が台所さ居るど、段取りが違うな」

 彼は平蔵になにがしかの金を渡し、

「余った魚だの野菜だのがあったら、好ぎなだげ持ってっていいがら」

と言った。こうして平蔵は人と人の間を行き来して暮らしていた。


 平蔵は実家の隅にある掘っ立て小屋のような離れに一人で暮らしていた。

 その家に馬に乗った侍がやってきたのは、季節は春でもまだ寒さの残る慶長五年(西暦1600年)二月のことであった。時は未の刻、午後二時頃である。

 その侍は馬上から居丈高に平蔵に命じた。

「そちが平蔵か。これより我に同行せい。行く先は聞くな」

 逆らえば斬る、という勢いだった。

「終われば褒美を取らす。馬に乗れい」

 平蔵は馬に乗ったことがない。躊躇していると、

「鐙に足を掛けよ」

 言われて足を掛けると、馬上から腕を引っ張られた。その侍は馬に人を乗せることに慣れているらしい。平蔵は侍と馬の首の間に跨り、たちまち馬上の人となった。目の前に手綱があった。

「手綱の端を持て。決して離すなよ」

 言われて手綱の端を握ると、目隠しをされた。

「悪く思うな」

 そして馬が歩き出した。平蔵は何も見えぬまま、ただ手綱の端を握りしめていた。

 しばらくして馬から降ろされ目隠しを外されると、そこは曲がり屋の台所だった。目の前に竈があった。

「ここで四人分の夕餉を作ってもらいたい。この土間からは決して離れるな。手水は外にある。そこにだけは行ってよい。だが、土間から上がり、中に入れば斬る」

 そう言って侍は屋敷の中へ去った。台所には米、味噌、魚、野菜が用意してあった。

 平蔵は曲がり屋に差し込んで来る陽の光を見た。

陽の高さを見ると、馬に乗せられてからまだ一時(二時間)は経っていない。馬も二人を乗せてほぼ並足。となれば馬に乗って五里くらい歩いたというところか。さて、築館から東西南北どちらに向かったものか、と平蔵は想像した。

 その時、平蔵は魚の横に貝があるのを見た。魚も平目。海の魚だ。

(築館で手に入る魚より生きが良い。だが気に塩の香りは無い。ここは海の近くではない。となれば舟で運んだものだ。ここは北上川のそばだな。築館から東に向かったのか。恐らくは、登米のあたりだな)

 だが先ほどの侍に、ここは登米でしょう、などと言えば斬られるのだろう。平蔵は身震いがした。

 平蔵はさらに気の匂いを嗅いだ。先ほどの侍とは違う男の匂いがした。

(違う侍だ。それも武将だろう。少しばかり甲冑の匂いが混じっている)

 落人が夜盗化して農地を荒らすことが、当時は珍しくなかった。平蔵は汗混じりの甲冑の匂いを覚えていた。

(甲冑の匂いが強くはないから、今は身に付けていないにしても、馬に乗るばかりでなく、甲冑を身に付け慣れた男だ。それに)

 もうひとつ、身震いの種があった。

(少しばかり血の匂いがする。ここで斬り合いがあったわけではないだろうが、戦場に長くいたことがある男の匂いだ)

 その武将が、平蔵が来る直前までこの台所にいたということだ。

(料理に興味のある武将なのだろう。本来なら自分で調理したいというところか。しかしその時間はない)

 四人、ということは何かの会合だ。

(饗応しようというのだろう。それなりの料理を出したい。そこで料理人を調達した、ということだな。そこで俺が選ばれたと)

 料理にも興味があるというそんな武将の名を、平蔵は噂に聞いていた。九年前に出羽から陸奥に来て岩出山を本拠とした武将だ。だが平蔵を馬に乗せて来た侍に、その名を言えばこれも平蔵の首が飛ぶに違いない。よほど秘密の会合なのだ。

 そこまで考えてから、平蔵は誰がここにいるのか、と想像することを止めた。それよりも夕餉の準備だ。

 米は炊き、野菜は茹で、魚は焼く。さて、貝はどうしよう。

 茹でれば貝殻から出汁が出る。その味を生かすには、と考えて平蔵は塩味のみの潮汁にすることにした。塩味の加減が難しいが、味噌汁や醤油汁より出汁の味がより引き立つ。味噌は魚の味付けとしよう。普通に考えれば汁は味噌、魚は塩なのだろうが、わざわざ料理人を呼んだのだから何かしらの工夫をしたほうが、呼んだ武将も満足するだろう。

 米も菜も魚も調理は慣れた作業だった。潮汁の塩加減は、ままよ、と湯に一掴みの塩を放り込んだ。塩気の濃淡について客先の好みを知りたいがそれはわからぬ。わからぬので自分の好みに合わせた。

 一時を経て夕餉の支度が出来た。その後も厨房を動くなと侍に言われ、半時ほど待たされた。ただ待つのも飽いたので余った米で握り飯を作って食った。平蔵を連れて来た侍は外で見張りをしていた。その侍にも握り飯を渡した。

「こんな時に自分の飯を食うか。度胸があるものだな」

 侍に感心された。武将が夕餉に不満足であれば斬られるのかな、と思った。だがすでに仕事は済んだのだ。

「腹が減って手が空けば、食うより他はねえべ」

 そう言うと侍は笑っていた。

 握り飯を食い終わる頃、侍に声を掛けられた。

「我が主人は満足された。ご苦労だった。これから家まで送る。すまぬがまた目隠しをする」

 目隠しをされてまた馬に乗せられ、家まで送り届けられた。貰った金子は豪農で差配をした時の稼ぎの、何十倍かに当たっていた。


二、世平白髪多


 伊達政宗は、寛永五年(1628年)に仙台城を出て、新しく造営した若林城に住んでいた。幕府には屋敷として届け出て、隠居所とも称していたが、実際は近代城郭であった。新たに城を造ったことからも想像できるように、彼の天下への野心は消えていなかった。しかし彼は世の中が徳川の天下で、すでにそれを動かしようもないことを理解していた。彼は幕府への恭順をどの大名よりも強く示しながら、もしかしたら、という天下への野望を消し去ることは無かった。彼の心情は単純ではない。

 彼はこれまでに数々の戦を行ってきた。初陣も含め相馬氏とは何度も戦った。それに父である輝宗を失った畠山氏との戦い。蘆名氏と雌雄を決した摺上原の戦い。

 中には自分が馬上で戦ったわけではないが、戦を扇動したものもあった。例えば岩崎一揆。関ヶ原の合戦の頃、秀吉の奥州仕置で割を食った和賀氏らをけしかけて南部領に攻め込ませたものだ。

 彼は多くの戦を戦い、あるいは扇動した。それには勝った戦も、負けた戦もある。成功もし、失敗もした。彼は確かに天下を目指していた。そのためにも領土を拡げよう、多くの土地を切り取ろうとしていた。

 その後、時は流れた。大阪の陣も終わり、世は太平へと移っていった。

 伊達家の表高は六十二万石。これはもはや動かしようがない。領国経営で実質の石高は増やしていけるが、それで何人兵が出せるなどと勘定して何になろう。日ノ本に戦の種は、もうどこにも見当たらなかった。

 武将としての野心が消えることは無い。だがそれよりも、平和な世の中でどこに楽しみを見出していくか。そこに軸足を移さざるを得ない自分、というものを政宗は感じていた。


 その頃、平蔵は仙台で暮らしていた。

 慶長六年(西暦1601年)、伊達政宗は岩出山から仙台に居を移した。その仙台の西部に山城を築き、平地を城下町とした。それは平蔵が目隠しをされて連れ去られ、夕餉を作らされた年の翌年にあたる。

 平蔵は仙台の街が造られ始めた頃、自分も栗原郡を出て仙台に出て行こうと思った。人の集まる所で力を試してみたくなったのだ。伊達藩六十二万石の中心都市はみるみるうちに発展していくところだった。

 その仙台で平蔵は商売を始めた。煮売家である。仙台は普請の仕事が多く、独身の男たちがそれを担っていた。そうした握り飯しか持たぬ人々を相手に、煮た野菜や魚を売った。今で言う弁当屋のようなものである。その中で、平蔵の店は味が良いと評判になった。

 その平蔵が仙台に来てから二十七年経った。当初は訪れる客に荒っぽい輩が多かった。食うだけ食った後に土下座して、ここで働かせてくれ、などと言う者はまだ可愛いほうだった。ツケだ、と言ったきり、文句を言えば刀で脅そうという者もあった。また、客の間で殴り合いの喧嘩が起こったことも何度かあった。

 ただ、太平の世が続くにつれて、そうした客は少なくなってきた。人々は次第に穏やかになってきた。

 それは良いことだ、と平蔵は思っている。

「昔は大変だった。今の若い者は」

などと、戦国末期に苦労したことを若者に話しても煙たがられるだけである。時代は変わったのだ。

 平蔵は栗原郡にいた頃に所帯を持っていた。掘っ立て小屋のような家に住んでいた頃、寄り合いのあとに若い女が付いてきて、そのまま居ついてしまったのだ。

「おら、家さ帰ったら女衒さ売るって、父親に言われでっから、こごさ置いでけねべが」

 それも可哀想だと思った。親が引き取りに来たが、女房にすると言って突っぱねた。本来、農家の三男で土地も持たない平蔵に、来る嫁などいる筈がなかった。しかし、居ついてしまった女を結局、平蔵は女房にした。

 その女房は、平蔵が仙台に行くと言えば文句も言わずについてきた。その後、子が五人生まれ、三人が育った。一人娘は商家に嫁いだ。長男は家を継ぐと言って厨房に入った。次男は呉服屋で奉公をしているが、番頭に聞けば見込みがありそうだと言う。家で波風が立ったことも無いではなかったが、振り返ってみれば幸せな一家だと平蔵は感じている。

 長男は来月、嫁をもらう。そうすれば平蔵は店を子にまかせて隠居してもよいか、などと思う。ここまで無我夢中だった。そろそろ休んでも良い頃だ。

 だがあの、自分がまだ若かった、世の中がまだ太平に定まらなかった頃に懐かしさを覚えることがある。例えば、あの目隠しをされて知らぬ館で調理をさせられた、あれは何だったのだろう、などと。


   三、残躯天所赦


 政宗は、若林城に街の商人や料理人を呼びよせることがあった。

 本来は、自分の造った街に出て、好きな店に行きたかった。しかし、政宗が行くとなれば警護も必要になる。それならお忍びで行きたいところだが、独眼竜の自分が行けば眼帯をした目を見ただけで政宗とわかる。これではお忍びにならない。好きに街に出るわけにはいかなかった。

 代わりに政宗は、仙台で評判の店の主人を呼び、話を聞き、時に注文をして物を買った。呉服屋や箪笥屋を呼んで自分の案を披露し作らせたりもした。それらはやがて仙台平や仙台箪笥といった仙台名物へと発展していった。

 そして、料理で評判の店があれば、料理人を呼んで食事を作らせた。評判の料理に舌鼓を打った後、主人に話を聞き自分が作る料理で試したりもした。

「次は趣向を変えよう」

 ある日、政宗は家来に言った。

「貴人を相手の料理人ではなく、下々の者を相手の料理人を呼べ。下々の者が何を食し、どんな味を好んでいるのか、それを知りたいものだ」


 平蔵が若林城に招かれた。若林城で政宗に出す料理をせよ、というのである。

 何が何だかわからぬままに城の厨房に招かれた平蔵は、その匂いを嗅いで驚いた。

(この匂いには、覚えがある)

 それを辿ればかなり古い記憶になる。そう、目隠しをされて連れて行かれた厨房と同じ残り香ではないか。

(あの日の武将が、この厨房に出入りしているに違いない)

 だが、と平蔵は思い直した。

(甲冑と、血の匂いがしない。そこが違う)

 戦の時代は、その武将にとっても終わったのだ。

 目の前には食材として、米、魚、野菜、貝があった。

(あの日と同じものを作ってみるか)


 政宗に出された料理は、見た目は平凡なものだった。炊いた米、焼いて味噌で味をつけた魚、煮た野菜。だが、色の無い貝の汁物を見て、政宗は、おや、と思った。

 貝には手をつけず、政宗はその汁をまず飲んでみた。

「これは」

 貝殻の出汁と塩味だけ。それでいて味わいがある。こんな単純な汁物は初めてか。いや、違う。以前にも飲んだことがある。いつだったか。

 政宗の記憶は過去に飛んだ。

 あれは、登米の寺だ。

 政宗は家臣の白石宗直と共に、わずかな供回りの者とその寺に赴いた。和賀忠親、稗貫広忠とそこで会談をした。

 和賀と稗貫は豊臣秀吉の奥州仕置きで領地を取り上げられ、伊達家の庇護下にあった。彼らは南部領となってしまった、かつての領地を取り戻したいと願っていた。あの時期、徳川方と豊臣方の合戦は避けられないと思われていた。そうなれば、徳川も豊臣も奥州など気にしている暇はない。そのどさくさに紛れて南部藩に攻め入れば、白石宗直が加勢する。切り取った南部領は和賀と稗貫のものだ、と政宗は彼らを炊きつけた。

 豊臣の時代が徳川の時代に移ろうとしていた当時、大名同士の勝手な戦は禁じられていた。そのため、この四人の会合は秘密裏に行わなければならなかった。寺には、数日の間だけ建物を借り受けたい、その間、寺を訪れるのは我等だけにしてほしい、と申し入れていた。

 しかし、会談場所の寺の厨房を見て、政宗は和賀と稗貫に馳走をしたい、と悪戯心を起こした。自分で調理をしたい、とも思ったが、会談の席を外すわけにはいかなかった。そこで白石に、誰ぞ料理人を連れて参れ、と命じた。しかしこの辺りに土地勘のある登米郡の者ではこの寺の所在がばれてしまう。そこで白石は隣の栗原郡から料理人を目隠しして連れてくるよう自分の家臣に命じた。

 その時に作らせた料理のおかげもあってか、会談は思い通りに進んだ。和賀と稗貫に南部領を切り取らせ、実質的な伊達領を拡げようという目論見が四人の中で合意された。

 その和賀たちの起こした岩崎一揆は失敗に終わった。

 あの会談から七か月後の九月二十日、和賀らは決起した。それを約束通り水沢城主白石が支援した。だが、一度は奪った花巻城も南部軍に取り返された。さらなる誤算は関ヶ原の合戦が、それに先立つ九月十五日、たった一日で終わってしまったことだ。どさくさに紛れて攻め込む予定が、どさくさ自体が無くなっていた。

 直接的な証拠が無くても、状況から政宗の扇動は明らかだった。徳川家に対して政宗は白を切った。だが、関ケ原合戦前に徳川家が伊達へ約束した、「百万石のお墨付き」は反故にされた。

 だが、と政宗は思った。ものは考えようだ。奥州に百万石の大藩があれば、徳川家にしてみれば目の上の瘤だ。どれだけ恭順を誓っても何か理由をつけて潰そうとするだろう。六十二万石だからこそ、このような隠居所と称する城を建てても、お咎めもなく暮らしていける。

 ふっ、と政宗は自嘲気味に笑った。和賀らの一揆が失敗した時も、百万石のお墨付きが反故にされた時も、政宗は、はらわたが煮えくり返るような思いをした。あれも悪くなかった、などと思えるのは自分が年を取ったからか。馬上で過ごした少年の日々は去った。世は太平となり、自分は白髪の老人となっている。

 さて、今飲んでいるこの汁は、あの寺で四人の会合をした時に飲んだ味と同じだ。調理人は同じ者ではないか。

 この汁を前に飲んだ時から三十年近く経つ。それならこれを調理した者にとって、この三十年はどんな年月だったのだろうか。

「誰かある。今日の料理人を呼べ。話をしたい」


 平蔵は、若林城の庭に案内された。縁側に、片目に眼帯をした男が座っていた。この人が伊達政宗か。平蔵は庭に平伏した。

「御隠居様の御尊顔を拝し、恐悦至極でございます」

「ああ、そんな堅苦しい挨拶はよい。面を上げよ」

 眼帯の男の声が上から注いできた。平蔵は顔を上げた。

「あの汁物について聞きたい」

「潮汁でございますか」

「ほお。貝の出汁と塩だけの味付けを潮汁と言うのか」

「海の水の味に似せたもの、ということで、わたくしはそう称しております。旬の貝に凝った味付けは不要と思いました」

「なるほど」

 そこで老いた武将は開いた片目を真っ直ぐに平蔵へ向けた。

「この潮汁とやらを、前にも人に出したことはないか」

「ございます」

「ほう。どこで誰に」

「それを話すわけには参りませぬ。決して人には話すな。言えば斬る、ということでしたので」

「ほほう」

 なるほど、間違いなく登米の寺で夕餉を作ってくれた者だ。政宗は確信した。

「それを頼んだ者がわしだ、としたら何とする。それなら仔細を話せるであろう」

 平蔵は困った。あの時の侍の、決して他言するな、という強要と、目の前の政宗の言葉をどうやって両立させれば良いのだろう。

 そこで平蔵は、この若林城の厨房で感じたこととは異なることを話すことにした。

「御隠居様はお戯れを仰っております」

「ほう」

「わたくしは、少々鼻が利きます。あの日、三十年近く前になりますか。その潮汁を作った厨房では甲冑と血の匂いがいたしました。しかし、今日の厨房からも、ご隠居様からも、どちらの匂いもいたしませぬ。あの日の厨房には、ご隠居様とは全くの別人がいたものと思われます」


   四、不楽是如何


 平蔵が家に帰ると、女房から心配そうに声をかけられた。

「いかがでございましたか」

 女房にとって、政宗に呼ばれたことは名誉よりも先に心配事であったらしい。

「ああ、料理だけでなく、ご隠居様と話もした。塩味だけの貝汁をずいぶん気に入られたらしい」

 その政宗との会話で、昔のことを持ち出されて肝を冷やした、などという余計な話は女房にはしなかった。

「それは、ようございました」

 妻は安堵したようであった。

「褒美をいただいた」

「あら、こんなに」

「こんだげあれば、田圃の二枚か三枚は買えんでねえが。店は息子にまかせて築館さ帰らねが」

「おや、旦那様もわだすも農家の子ではございますが、もう何十年も田圃仕事も畑仕事もしてねえべし」

「それは人に頼めばいい。小作人も雇えると思うんだげんと」

「なんじょだり。旦那様のお好きなように。わだすはどこへでもついで行ぎますので。いまさら、おらを引き取ろうっつう女衒もねえべし」

「ははは。まあ、まだ決めたわけではねえ。ゆっくり考えっぺし」


 平蔵が去ってから、政宗は考え込んでいた。

「昔と違って、わしからは血の匂いがせぬ、か」

 もはや馬上で戦う時期は去ったのだ。戦国時代は遠い昔となった。あの頃に戦った多くの武将が戦いの中で世を去った。あるいは、豊臣、徳川時代の政治に敗れて表舞台から消えた。だが自分は白髪となっても、まだこの仙台で生きながらえている。

(残躯天の赦す所、だな)

 天は自分が生き残るように差配したのだ。それならばこの太平の世をどう過ごす。

(生きている間を、楽しまなくてどうするのだ)


 政宗は晩年、料理を趣味とした。凝ったものよりも、旬の品をさりげなく出すことを信条としていた、と言う。

 それは、平蔵の影響を受けたからかもしれない。


   ―了―


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