第一話 エタニティ・ユナイト
西暦2045年、人類は幾多の困難の末に待望の夢を実現した。
VRMMO——フルダイブ型仮想空間ゲーム。正式名称はバーチャル・リアリティ・マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン。
意外にもその歴史は深く、1900年代初期を始め、数多の小説、漫画、映画などのSF作品にメジャーなジャンルとして取り上げられてきた。
それらの創作物に着眼点を当て、様々なベンチャー企業がVRMMOの開発に挑戦した。
2010年代頃には視覚、聴覚を360度再現し没入感を提供するヘッドセットが発売され、一躍大ブームを巻き起こされている。グラフィックは超精細なテクスチャで構成され、ゴーグル越しに見る映像はまるでそこに存在しているかと錯覚するほどにリアルだと十中八九の利用者に称賛された。
だがいかんせん、それも完全系とは言えず、五感すべてを再現しているわけではないため、キャラクターや仮想体を操作するためには、コントローラーやプレイヤーの生身の身体を動かす必要があった。
その欠点に対する一部の不満に焦点を合わせた別の企業が2020年頃に五感全てを網羅する民間用VRゲーム機器を発売。——だがそれも、失敗に終わる。
まず、嗅覚や触覚、味覚などを専門的に開発してきた他企業にアライアンスのネゴシエーションをとり、文字通り五感を再現することはできた。しかし、開発費に莫大な費用がかかり、民間用として市販するには、とても一般の家庭が購入できるような代物ではなかった。
にも拘わらず、そのゲーム機の評判は最悪な結果となった。
せめてもの開発費削減のために妥協されたグラフィック性能。つまり精巧と謳われた映像のクオリティが低下してしまった。
しかも、広告などで『五感すべてを疑似体験。現実のような感覚があなたを夢の世界に誘う』などと啖呵を切っていたのにだ。
その期待させてからの残念な結果に人々は納得するわけもなく失望の念を唱えた。
しかしそれだけでは終わらず、プレイした人の中には眩暈、頭痛、動悸などの症状を訴える者が続出し、病院では入院患者が殺到した。
無論、企業の開発責任者は傷害罪、及び詐欺罪で逮捕されることになった。
不幸は相次ぎ、開発の際に借金していた会社は、消費者からの元手を取ることができずに倒産してしまう。
それら一連の流れはニュースの報道やネット記事で閲覧され一時期世間を震撼させた。
この事件がきっかけとなり、VRMMOブームは沈静化し衰退することになった。
その事件以来20年間、VRMMOは商業面で失敗する『不幸のさえずり』と謳われ、オフィス内では暗黙の了解として口に出すのも憚られた。
そんな現状を知ったゲーム中毒者たちには夢幻のVRは夢のまた夢で希望は絶たれたと思われた。
これまでの長い歳月を得て尚、実現することができなかった本物の仮想現実。
——しかし、そのヴァーチャルリアリティに関する負の歴史に終止符を打ち、変革をもたらす。
2040年4月、冬も終わり暖かいそよ風がふく季節、それは突如、渋谷の広告で流れた。
屹立するビルの巨大モニタから流れるとあるゲームの告知を眼下のスクランブル交差点から見上げていた人々は、何かに取りつかれたようにSNSに発信、拡散していく。
ネットで話題に上がった新作VRMMOの名は——エタニティ・ユナイト。意味は『永遠に融合する』。開発元はジェンスという企業だった。
ネットユーザーにこのゲームに惹かれた理由は、タイトルの斬新さ以外にも複数ある。
一つ目はフルダイブ型VRマシンに関するもの。
従来、発売されてきたリモコンつきのゲーム機とは異なり、必要とするのはジェンスが発売するゲームソフト専用のヘッドギアのみだ。つまり、現実の肉体による操作は必要ないということだ。現実の森羅万象を知覚するための感覚器官が遮断され、プレイヤーの脳から出力される電気信号も神経回路を通る過程でアバターへと変換される。プレイヤーが仮想空間で感じ取る五感もヘッドギアの電子回路からアバターへと入力されることで再現できる。
二つ目は仮想世界内で進む時間の加速倍率。
操作方法だけで度肝を抜かれるほどに愕然とさせられるものだが、公式ウェブページの有益な情報によると、フルダイブしている間、プレイヤーが感じる内部時間は、現実の約五倍。
つまり、一分のダイブが五分、一時間なら五時間もの間ダイブしている気持ちになる。そんな驚異的な機能が搭載されているにも関わらず、なんと価格は七万円ほどで済むのだ。
これほどのシステムなら開発費に莫大な資金を要したはずなのに、こんな値段で済むなんて赤字もいいところではないだろうか。
これら三つの理由で、発売される五年前の発表段階で話題性を読んだのだ。
過去の前例から、どうせ出鱈目だろうとバッシングを受けたエタニティ・ユナイトの開発者にして量子物理学者である肥後湊太郎は、とある雑誌のインタビューで凛然とした表情で答えた。
「ゲームとは何か。そう考えた時、僕は冒険することと結論づけた。試行錯誤、紆余曲折、トライアンドエラー。僕はそういった言葉が結構好きでね………。そう考えると人生そのものがゲームなのかもしれない。失敗をも楽しむ、それがゲームの醍醐味さ………。大丈夫、僕は必ずエタニティ・ユナイトを完成させるさ。僕の人生そのものだからね」
彼のカリスマ性によるものなのか、ネット掲示板では彼を擁護、あるいは称賛する者も現れた。
科学者の肥後湊太郎の宣言から四年後の夏、ネットの公式サイトからβ(ベータ)テストの募集が始まり、数万人の応募者から百名の当選者がベータテスターに選ばれる。
それから二カ月のテスト期間を終え、半年後の二月、エタニティ・ユナイトの予約開始。それも僅か一分で完売。
このビッグニュースをマスコミたちが大スクープだとワイドショーなどで題材的に取り上げ大盛り上がり。
その瞬間、全国には約一万人ものVRMMOユーザーが爆誕し、大盛況を博した。
小学五年生からオンラインゲームに耽溺してしまったネトゲ廃人の加古川弓月はエタニティ・ユナイトのゲームソフトのパッケージをまじまじと凝視していた。
パッケージに載っているイラストは、中央に青髪の青年が片手剣を天空に捧げ、傍らには杖を握り、ローブを纏った白髪の魔術師、赤髪の頭に鉢巻、装備はシンプルな革鎧と籠手の拳闘士、両手の指を絡ませ、祈りを捧げている修道服を着た金髪の僧侶が並んでいた。
そして中央から少し上にタイトルのロゴがプリントされている。
裏側にはゲームのワールドマップが記載され、フィールドは東、西、北と三分割に区切られている。
恍惚とした表情である程度パッケージを眺め終えた弓月は次につい先程開封したエタニティ・ユナイト専用のヘッドギアを熟視した。
商品箱にあるサンプル画像の通り、形状はヘルメット型で顔は全て見えるように開けられている。色は多種多様でカラフルなものが販売されていたが、今回弓月が選んだのはシンプルかつスマートな漆黒。
左耳のパーツには開発会社であるジェンスのロゴが印刷され、その下にエタニティ・ユナイトの小型カセットの挿入口がある。
額の部分にはライトが二つ搭載されているが、今はまだ消灯されている。おそらくこれが電源の有無を示唆するインジケータランプだろう。
内部を覗いてみると、頭頂部には装着者がログイン、あるいはログアウトした際に快適に過ごせるためにスポンジが取り付けられ、側頭部や後頭部には衝撃を吸収するクッション性能抜群の革張りが施されている。
右耳のパーツには電源ケーブルを繋ぐコンセントの穴が一つ存在している。
これらのゲーム機を陶然と見つめながら、弓月はある種の感慨深さに浸っていた。
それもそのはず、弓月はこの一年間、高校受験のために愛してきたネットゲームに関する情報を完全にシャットアウト、封印していたからだ。
それも自主的にではなく母親からの指示によるものだ。母からの禁止条例はゲーム中毒者の弓月にとって拷問にも等しかった。しかももし勉強を怠けて違反していたら全てのゲーム機の没収、アンド今後一切娯楽となるゲームを買わないというペナルティつきだ。
それが宣言されたあの日から、苦痛に嘆き、苦悶に叫び、苦心に耐えてきた。
さらに、もし入試が不合格になったら予約に成功したエタニティ・ユナイト等のゲーム機のキャンセルというプレッシャーの重圧にもありったけの精神力と胆力と忍耐力で逆境に立ち向かい、無事に合格し、四月から入学が確定した。
そんな弓月からしたら、エタニティ・ユナイトは悲願の代物であり、このヘッドギアは大願の賜物でもあるのだ。
VRの魅惑に取りつかれた彼を、誰が責めることができよう。
これまでの苦労に視界が歪み、胸のあたりがほんのり熱くなる弓月。
だがそれを必死に堪え、ケーブルを自宅にあるコンセントに突き刺し、おもむろに視線をヘッドギアに向ける。
するとブゥゥンという微かな振動が手に持っていたヘッドギアから伝わり、額に搭載されてる右側のライトから深紅色の証明が点灯する。これがプレイヤーのログインが完了すると深紅の光が消灯し左側のランプから翡翠色の証明が点灯するようになっている。無論、その時には既にログインしているわけだからプレイヤー自身はそのライトを見ることができないわけだ。
弓月は早鐘のように高鳴る動悸と昂揚感を押さえ、早まらないように慎重に箱に入っていた取り扱い説明書を熟読する。
使用法はイラストによって詳細に記述され、その内容は意外にも単純明快なものだった。
イラストでは簡素な服を着た男性がケーブルで繋がれたヘッドギアを装着し、ベッドに仰向けになるというものだった。
とりあえずイラスト通りの再現を実行してみようと思う。
カセットが挿入されたヘッドギアを、固唾を呑みながら弓月は極度の緊張を押し切り深々と被った。
そして右頬あたりにある丸いボタンをそっと押し込んだ。
——直後、肉体から意識が離脱するような浮遊感と共に、機械のような音声と、視界に膨大な情報が流れ込む。
七色の線が円を描くように視界を走り、そしてホワイトアウトした。
足が地面につく感覚と肢体の指先まで伝わる触覚が弓月の意識を呼び覚ます。
確かにさっきまで横たわっていたはずなのに、気づけば起立している。
そんな状況に弓月は微かな感動を覚え、いつの間にか瞑っていた瞼を持ち上げる。
開いた目線の先は自室ではなくリアリティ溢れる雄大な景色。
……というわけではなく、シンプルなホワイトルームで弓月の目の前にはホログラムのような透明な板が表示されている。おそらくこれが【メニューウィンドウ】と呼ばれるものだろう。
つまりここはまだ仮想世界ではなくそこに行くまでのキャラクター設定部屋なのだろう。
感心しつつも弓月はメニューをまじまじと観察してみる。
内容は以下の通りである。
ウィンドウは大小三つに区切られ、左に大きなウィンドウが表示され【ability】と書かれた下にSTR、VIT、AGI、INTという順番で羅列され、各々の横には数値と深緑色のバーが設けられている。
ネトゲ廃人たる弓月には既知の事実ではあるのだが、STRは筋力値、VITは防御値、AGIは敏捷値、INTは知性値である。
これら四つの項目によって仔細にキャラクターの能力を設定することができる。
右上の小さな窓には弓月が操作するアバターのフィギュアが表示され、着ているのは黒生地のシンプルなスポーツパンツだけだ。
購入する際に身体スキャンを済ませたため、アバターの顔は弓月と瓜二つなのだが、それが余計に自身の羞恥心を増幅させる。
その下、つまり右下の小窓にはゲーム内で登場する武具総覧が用意されている。
リストアップした武器で現在表示されているだけでも、片手剣、細剣、短剣、長槍、短槍、斧槍、戦斧、鉤爪と八つも存在するが、スクロールすればもっとたくさん列挙されていることだろう。
この一覧表から初期装備を選択するということだ。
鷹揚とした気持ちを抑え、まずは試しにキャラクターのフィギュアをタップしてみる。
するとキャラクターウィンドウが拡大され、しかし他のリストとステータスの窓は消えたわけではなくタブとして窓の左上に表示されていた。
指先で画面上を右にスワイプすると、直立不動のフィギュアが左に回転する。そのシュールな光景に弓月は思わず吹き出すと、次に二つの指で外側にスワイプしてみる。すると、画面内でフィギュアがズームされ、顔の造形がもっと詳細に視認できる。
ある程度、操作の感覚や勝手を掴めてきた弓月は、メニューウィンドウを元に戻し、まずはアバターの細かい造形から決めていく。といっても、弓月は自身の容姿や中肉中背の体格に不平不満やコンプレックスを抱いてるわけでもないので、いずれ染めようと思っていた黒髪だけを金髪に変更する。後ついでに虹彩もドパーズ色に変換する。
髪型は現実と同じ、前髪が長めのショートヘア。
次に服装だが、小窓を拡張したことで右に出現したTシャツのアイコンをタップすることで村人服を着させることができる。初期装備なので華美のない簡素な衣装だが色を事細かに設定できる。
しかしゲームを攻略していく上で装備レベルも向上するはずなのだ。
そう考え、弓月は特に逡巡することもなくオーソドックスな白いインナーと黒いズボンを指定する。
アバター作成が終了したら次は武器選択だ。
一応、武器の名称を長押しすることで表示される画像を全て閲覧しておいたのだが、これも特に懊悩に苛まれることもなく決断する。
弓月が指を伸ばした先は片手剣と綴られた文だった。タッチし、表示された【≪片手剣≫を選択しますか?】という文章を一瞥し、OKボタンを一押しする。すると、鮮烈な深紅色で【警告】という文字が書かれた窓が表示される。内容は、一度指定した武器以外のものは装備することができず、さらに今後一切別のアカウントでも武器の変更は叶いません、というものだった。
だが弓月はその注意事項に目を通した後も躊躇せずOKボタンをタッチした。
ステータスはSTRとAGIに数値を多めに割り振り、キャラクター構成が完了し、キャラクターネームも【ユツキ】で決定した弓月は金髪になった自分の身体の手で設定の終了ボタンを押した。
直後現れた最終確認にも受諾すると、不意に視界が崩壊し落下感が訪れた。
意識が途切れる直前、弓月はぼんやりと、そういえばスポーン地点はランダムだったなとだけ考えた。