贈られた花
本日3話目の更新です。
(私、それほどにレナート様のことが好きだったのかしら)
セレスティーヌは、自分にとって、とても大切だったのであろうレナートに関する記憶が抜け落ちていることが不思議でならなかった。動揺に瞳を揺らしたセレスティーヌを見て、マティアスは慌てて口を開いた。
「すまない、余計なことを言ったね。今の僕の言葉は忘れて欲しい。けれど、君がどれほど仕事に誇りを持っていたか、君を近くで見ていた僕はよく知っているからね。あえて危険の大きい前線で働く必要はないが、君の力をより多くの人を救うために活かせるようになるという、そのことだけは確かだよ」
「ありがとうございます、マティアス様」
セレスティーヌは、ほっと花咲くような笑みを浮かべた。事故の後はどこか心許ないような気持ちでいたセレスティーヌだったけれど、思いがけず新しい力が得られたこと自体は素直に嬉しく思えた。仕事にやりがいを感じているセレスティーヌにとっては、希望の光が目の前に差し始めたような、そんな心地がしていた。
マティアスは、ほんのりと頬を染めてセレスティーヌを見つめると、思わず口元を手で覆った。
「君がそういう笑顔を見せるのは、今まではレナート様だけだったのだが。そうか……」
小声で呟いたマティアスを、セレスティーヌは不思議そうに見つめた。
「マティアス様、今何か仰いましたか?」
マティアスはふっと笑みを零すと、ぽんと彼女の頭を撫でた。
「いや、何でもない。……思ったよりもセレスティーヌが元気そうで、君の笑顔も見られてよかった。もう不要かもしれないが、軽く回復魔法だけかけておくよ。この様子だと、君自身でも問題なく回復魔法を使えそうだが、今はこれ以上、君の魔力を使わせたくはないしね」
ふわりと柔らかな光がセレスティーヌを覆った。身体が軽くなる感覚を覚えて、彼女は改めてマティアスに向かって微笑んだ。
「いつも温かなお気遣いを感謝しています、マティアス様。マティアス様のような上官に恵まれて、私は本当に幸せ者です」
「また、何かあればいつでも声を掛けて欲しい」
「はい、頼りにしています」
嬉しそうなセレスティーヌの笑顔に見送られて、マティアスはちらりと名残惜しそうに彼女の姿を振り返ってから、彼女の部屋を後にした。
(さっきの、彼女のあの反応。ビクトル先生から、彼女がレナート様の記憶を失くしていると聞いた時はまさかと思ったが、どうやら本当にそのようだな。力が覚醒した状態に身体がまだ馴染んでいないために、もしかしたら記憶にまで影響が出ているのかもしれないが……)
セレスティーヌの美しい笑顔に高鳴っていた鼓動を落ち着かせようと深呼吸をしてから、マティアスは帰りの馬車へと乗り込んでいった。
***
「セレス。レナート様とマティアス様から先程いただいた、お見舞いのお花を持って来たわよ」
セレスティーヌの部屋の扉が開き、母のマリアが侍女のジゼルと一緒に、二つの花瓶に生けられた花を持って来た。
マリアが手に持った花瓶には明るい黄色のフリージアが、ジゼルの抱えた花瓶には艶やかなピンク色の薔薇が、それぞれ霞草を添えられて瑞々しく咲き誇っていた。
マリアはにこやかにセレスを見つめた。
「お二人からいただいた花束を花瓶に移したの。どちらも可愛らしいお花で、部屋が明るくなるわね。どちらのお花が、どちらからいただいたものか、わかるかしら? なんてね……」
冗談めかしてマリアが微笑んだ。
セレスティーヌは、マリアがテーブルに置いた花瓶に生けられたフリージアを見つめると、上品な甘さと爽やかさを感じる香りに瞳を細めた。ジゼルがその隣に並べた花瓶から漂う、薔薇の芳しい香りも素敵ではあったけれど、彼女が以前から好きだったのは、フリージアの香りだった。
(私の婚約者がレナート様だったなら、きっと……)
セレスティーヌはマリアに向かって口を開いた。
「そのフリージアをくださったのが、レナート様。薔薇をくださったのが、マティアス様ではないでしょうか」
マリアが驚いたようにジゼルと顔を見合わせた。
「あら、正解よ、セレス。よくわかったわね」
セレスティーヌは、優しい黄色のフリージアをじっと見つめた。一見冷たく見えたレナートだったけれど、彼が選んだフリージアの花には、彼の温かな気持ちが込められているようにも感じられた。
(私が好きなものを、レナート様はちゃんとご存知なのね。……さっきは、レナート様がいらっしゃった時、まともにお話しすらせずに帰っていただいて申し訳なかったけれど。また機会があるなら、次はもっと彼と向き合ってみたいわ)
まだ失ったままの記憶には不安を覚えていたけれど、セレスティーヌは、魔力の向上を自覚したことで気持ちが前向きになったようにも感じていた。無理をしてまで記憶を取り戻したいとは思わなかったものの、目覚めてから少し時間が経って落ち着いたためか、過去の記憶に思いを馳せても、あまり頭痛は感じなくなってきていた。
フリージアから漂う柔らかな香りを、セレスティーヌは胸いっぱいに吸い込んだ。