大好きなあなたと
本日4話目の更新です。最終話です。
「ん……」
セレスティーヌの瞼が微かに動き、その瞳が見開かれた。幾度か瞬きを繰り返した後、アメジストのような彼女の瞳が最初に捉えたのは、海の色を映すようなレナートの澄んだ碧眼だった。
「気付いたかい、セレス」
心配そうに彼女の顔を覗き込むレナートのことを、セレスティーヌも見つめ返した。
「レナート様……」
レナートが彼女の手を優しく握っていることに気付くと、セレスティーヌは頬を染めながらレナートに尋ねた。
「ずっと、私についていてくださったのですか?」
「ああ、そうだよ。身体の具合はどうだい?」
「もう、問題なく動けるようです」
セレスティーヌがゆっくりと上半身を起こすと、レナートはほっとしたように息を吐いた。
「君に怪我がなくてよかった。君の前にいた魔物を見て、背筋が凍るようだった」
セレスティーヌは、感謝と尊敬を込めた眼差しでレナートを見つめた。
「レナート様は、今回も私を助けてくださいましたね」
にっこりと花咲くような美しい笑みを浮かべたセレスティーヌは、ふっと遠い目をしながら続けた。
「以前にレナート様が私の命を救ってくださった時も、まるで美しい神様が奇跡を起こしてくださったようだと思いましたが。今回も、諦めかけていた時にレナート様の温かな腕を感じて、どれほど嬉しく、心強かったか。……本当に、ありがとうございました」
レナートの瞳がはっとしたように瞠られた。
「君は、記憶を取り戻したのかい?」
「はい」
セレスティーヌは、穏やかな瞳でレナートを見つめた。
「どれほど私がレナート様のことをお慕いしていたのかも、ようやく思い出しました」
「だが……」
レナートは、少し視線を彷徨わせてから苦しそうに顔を歪めた。
「俺は、君のことを深く傷付けてしまった。すまない。……君は俺を許してくれるのか?」
セレスティーヌはふわりと微笑んだ。
「レナート様が謝る必要はありませんわ。それに、今ではレナート様のお気持ちも、考えていらっしゃることも、あの頃と比べたらずっとわかるようになりましたから」
「では、君が作ってくれた回復薬を、俺が宝物のようにしまい込んで使えずにいたことも……」
「はい。今となれば、想像はつきます。この前のように使っていただけた方が、嬉しいですけれど」
セレスティーヌはくすりと笑みを零すと、レナートの手をそっと握り返した。
「私、魔物に襲われ掛けていたあの時、レナート様にもうお会いすることができないのではないかと、それだけが怖かったのです。またこうしてレナート様と一緒に過ごすことができて、幸せです」
セレスティーヌの言葉に、レナートは思わずぎゅっと彼女の身体を抱き締めた。
「俺もだよ。君が無事で、本当によかった」
レナートの腕が解かれると、セレスティーヌはじっとレナートを見つめた。
「私、誰にも見付からないままに、魔物の毒牙に命を奪われるのかと思っていたのですが……私の居場所が、よくおわかりになりましたね?」
不思議そうに首を傾げたセレスティーヌに、レナートはやや苦笑した。
「君には話していなかったが。君に贈った婚約指輪の対になる腕輪を、俺も持っているんだ」
「腕輪、ですか……?」
「ああ、そうだ。君の婚約指輪にあしらわれた魔石と、対になる魔石が嵌められた腕輪だ」
レナートは、セレスティーヌの婚約指輪と同じ青紫色に輝く魔石のついた腕輪を彼女に示すと、魔石の内側の輝きを見つめた。
「この魔石は稀少なもので、身に着けた者の体力や魔力といった状況や居場所を、対になった魔石の持ち主に知らせる効果を秘めているんだ」
「では、この魔石が私の居場所をレナート様に知らせてくれたのですね……」
レナートはセレスティーヌに頷いてから続けた。
「俺は、君が魔物との戦いの前線に出ることには反対してきたし、その時期をできるだけ先延ばしにしたいとも思っていた。どうしても、君のことが心配だったからね。でも、君は仕事への向上心も強いし、いつかその日が来た時に備えて、その魔石を用意していたんだ。君に万が一のことがあった時に、できる限り駆け付けられるようにね」
神秘的な輝きを内側から揺らめくように放っている、婚約指輪にあしらわれた美しい魔石を、セレスティーヌは改めて見つめた。レナートも彼女の視線を追って、魔石を眺めながら口を開いた。
「君が魔物討伐に同行する初日と聞いていたあの日、魔石の中の炎のような光が一度激しく揺らいでから、とても弱々しく、小さくなったんだ。恐らく君の身に何かがあったのだろうと想像がついたから、俺は急いで君の元に向かった。まさか、ジリアンがあれほど最低な魔術師だったとは、それまで気付かなかった。……君まで巻き込んでしまって、すまなかった」
セレスティーヌは首を横に振った。
「いえ、それもレナート様に謝っていただくようなことではありませんから」
「俺は彼女に欠片も興味がなかったから、彼女が何を考えているかに思い至らず、まさか彼女が君を襲う可能性があるなんて想像もつかなかった。……彼女は、君にしたことをすべて吐いたよ。当然ではあるが、彼女はもう牢の中にいる。今回彼女が犯した罪に鑑みて、今後、もし彼女が牢を出ることになっても監視用の手錠が必ず着けられることになったから、君の側に近付く危険はない」
「わかりました、ありがとうございます」
「君の命を狙ったのだから、牢に入れる程度では、俺には生温いように思えるがな」
顔を顰めたレナートは、気を取り直したようにセレスティーヌを見つめた。
「魔石の中の光が大きく揺れた時、君に何か特別なことが起きているようだった。俺は、君が記憶を取り戻したのではないかと思っていたのだが、やはりそうだったのだな」
「はい。もう、欠けていた記憶は全て戻っていると思います」
「……君は、記憶が戻った今でも、俺を婚約者として受け入れてくれるだろうか」
やや緊張気味に尋ねたレナートに向かって、セレスティーヌは明るい笑みを浮かべた。
「もちろんです。……大好きです、レナート様」
セレスティーヌの言葉に、レナートの瞳が微かに潤んだ。
「本当に、君は戻って来てくれたんだな」
少し掠れた声でそう呟いたレナートは、セレスティーヌの頬にそっと手を添えると、彼女の唇に自らの唇を優しく重ねた。
初めて重ねられたレナートの柔らかな唇の感触に、セレスティーヌの頬は恥ずかしそうに真っ赤に染まっていた。
「もう、絶対に君を離さないから」
レナートの腕が、きつくセレスティーヌの身体を抱き締めた。セレスティーヌは、溢れるほどのレナートへの愛しさを感じながら、胸にいっぱいに広がる幸せを噛み締めていた。
***
「セレス、準備はいいかい?」
「はい、レナート様」
前線での戦いの経験を徐々に重ねていたセレスティーヌは、強い瞳でレナートの言葉に頷いた。
初めての魔物討伐で苦い経験をした後、セレスティーヌは改めて魔術師団内部での魔法の練習を重ねてから、少しずつ魔物討伐に参加して経験を積んでいった。自らの危機管理の意識を高めるだけでなく、誰よりも討伐予定の魔物や戦いの場所に関する情報を調べて、事前準備を欠かさない彼女は、次第に周囲の信頼も勝ち得ていった。今では、第二魔術師団の魔物討伐の隊にセレスティーヌの姿を見掛けることも少なくない。
覚醒後の彼女の魔力は、彼女が自覚していた以上に圧倒的な威力を誇り、その実戦での活かし方をどんどんと吸収していくセレスティーヌは、魔物討伐に欠くことのできない人材になりつつあった。
魔物討伐の場でも抜群に息の合ったレナートとセレスティーヌの二人は、理想的なカップルとして、魔術師中から羨望の眼差しを向けられるようになっていた。
「頼りにしているよ、セレス。だが、無理はしないようにな」
「はい。レナート様も、どうか無茶だけはなさいませんように」
二人は微笑みを交わして頷き合うと、すぐに真剣な表情になって魔物に対峙する陣形へと入った。
「……セレスが第二魔術師団に同行してくれた方が、俺も安心だからな」
実戦を経る度に成長を感じるセレスティーヌの姿に瞳を細めながらも、その愛の深さゆえに彼女の身を心配してやまないレナートは、独り言のようにそう呟いた。同じ戦いの場にいた方が、セレスティーヌの姿が視界に入り、いつでも助けに行けるからと呟かれた彼の言葉だったけれど、彼女によって第二魔術師団が窮地を救われる未来が遠くない将来に待っていることを、この日の彼はまだ知らない。
セレスティーヌは後方から魔術師団を支援しながら、激しい威力のレナートの氷魔法に尊敬の眼差しを向けていた。
(私も、もっと戦闘の場でもレナート様のお役に立てるようになりたいわ)
セレスティーヌは、ふと普段のレナートとのギャップに思い至って頬を染めた。
魔物と戦っている時の強力な氷魔法からは想像がつかないほどに、いったん戦闘の場を離れたレナートによる、セレスティーヌへの溺愛が蕩けそうに甘いことを知っているのは、彼女ただ一人だけなのだった。
最後までお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました! いつか甘めの後日談が書けたらと思っていますが、ひとまずここで完結とさせていただきます。
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