セレスティーヌの回想2
不安と寂しさに揺れる胸を抱えていたある時、レナート様の魔物討伐の遠征があった。彼を見送ろうと、第二魔術師団の馬車に近付いた私は、第五魔術師団の先輩であるジリアン様がレナート様に回復魔法を掛けている姿を見た。
「レナート様、昨日も魔物と戦っていらしたのですから。しっかり回復なさってから出掛けてくださいね」
ジリアン様は、私と比べて段違いに強い魔力を誇り、魔術師団の遠征にもよく同行している。その日は第二魔術師団には同行しない様子だったけれど、代わりにレナート様を見送る際に回復魔法を掛けていたようだった。
美しく、魔力も強いジリアン様の姿を眺めながら、私の足は止まった。
(ジリアン様、羨ましいわ……)
私はそれまでに幾度も、いつかレナート様と一緒に戦えるようになりたいと、そう彼に希望を話していた。けれど、彼は私の言葉をいつも聞き入れてはくださらなかった。それでも、私は必死に魔法の練習を重ねていたけれど、レナート様の側で彼を支える力のあるジリアン様を見る度に、私の胸はずきずきと痛んでいた。
遠征の度にレナート様に回復薬を手渡していた私だったけれど、ジリアン様の姿を前にして心が折れてしまい、私はその場から引き返した。私の背中からは意外にも、戻って来たジリアン様の声が掛けられた。
「また、そんなものを作って来たの? あなたはレナート様にとってご迷惑だってことが、まだわからないのかしら」
彼女は、私が手にしていた回復薬を冷ややかに見つめていた。
(レナート様にとって、ご迷惑……)
迷惑、という言葉を聞いて、私の心はすうっと冷えた。もしかしたらそうなのではないかと、常々、私の胸の中に浮かんだり消えたりしていた言葉だったからだ。
その日は第二魔術師団に同行できないことが不服そうな様子だった彼女は私に、第二魔術師団の部屋を顎で示した。
「ねえ、いいものを見せてあげるわ」
恐る恐る、私はジリアン様について第二魔術師団の部屋へと入って行った。
第二魔術師団の面々が皆揃って遠征に向かうからか、第二魔術師団の部屋には誰も人がおらずがらんとしていた。ジリアン様は、部屋の奥に並ぶキャビネットの一つに手を掛けた。
勝手にほかの魔術師団のキャビネットを開けようとしている彼女に、私が戸惑いを覚えていることに気付いたのか、彼女はふっと笑みを漏らした。
「どうせ誰も来ないのだから、気にすることはないわ。ここが、レナート様のキャビネットよ」
その場所がレナート様のキャビネットだということすら知らなかった私は困惑しつつも、ジリアン様が開けたその扉の中を見つめた。
「ほら、これをご覧なさい」
(これは……)
ジリアン様が取り出した箱の中を見て、私の心は凍り付いた。手渡された箱を、震える手で受け取る。そこには、私がレナート様に渡したはずの回復薬が、手付かずのまま残されていた。
一つ一つだと、仄かな虹の各色が感じられる程度の回復薬だったけれど、並べられると、それぞれに色付いていることがよくわかった。赤・橙・黄・緑・青といった色にばらばらと染まった回復薬が、使われることのないままに、箱の中から顔を覗かせていた。
ジリアン様は、青ざめて立ち尽くしている私を勝ち誇ったように見つめた。
「そんなに出来の悪い回復薬を、よくもレナート様に渡せたものね。どれも効力の低い不良品じゃない。レナート様はお優しいから、捨てることもできずにいたのでしょうけれど」
震える私の手から、回復薬の入った箱が床に滑り落ちた。パリン、パリンと、回復薬の入った薄いガラスの瓶が割れる音が耳に響く。床の上に流れ出て、次第に色が混ざっていく回復薬を、私は呆けたように見つめていた。
(ジリアン様の回復魔法で回復なさることはあっても、私の回復薬は一つとして使ってくださらなかったなんて。やっぱり、ご迷惑だったのね……)
使われた形跡すらない回復薬が、何より雄弁にそれを物語っているようだった。
(レナート様は、私の回復魔法が好きだなんて仰っていたけれど。あれはきっと、私を傷付けないための嘘だったのね)
今までに一番レナート様が嬉しそうにしていたように見えた、初めての回復薬を手渡した時。あの時の私の理解が誤りだったと思うと、私には、レナート様のすべてがわからなくなった。
(きっと、彼の表情の微かな動きも、繊細な感情の現れも、私がわかったつもりになっていただけで、結局、何一つわかってはいなかったのね)
瞳からぼろぼろと涙が零れ落ち、視界が滲んだ。レナート様への想いだけでなく、今まで懸命に取り組んできた回復職の仕事までもが否定されたようで、私はガラスの瓶が割れる音に、自分の心が砕け散る音が重なって聞こえたような気がしていた。
そのままぼんやりと、霞む視界の向こう側に散らばった回復薬の瓶を眺めていると、私の背後から声が掛かった。
「セレスティーヌ? 今の音は……」
いつの間にか姿を消していたジリアン様に代わって、なぜか、レナート様がそこにいた。床に飛び散った回復薬と割れた瓶の破片を見て状況を理解したのか、彼の顔は硬直したようだった。
言葉を失っていた彼に向かって、私は何と言ったのだろう? 自分が恥ずかしくて、ずっと彼に迷惑を掛けていたことが申し訳なくて堪らなかった。
今まで、お側にいてごめんなさい。ずっと、ご迷惑だったのでしょう?
そう言いたかったような気もしたけれど、それらの言葉は私の喉でつかえたように消えていった。
代わりに、ただ一言だけ言い残したような気がする。私は彼の元から逃げるようにして、彼に背を向けて駆け去った。
――好きになんて、ならなければよかった。
顔を両手で覆いながら泣いていた私を激しい衝撃が襲ったのは、帰りの馬車に揺られていた時だった。咄嗟に防御魔法だけ自分に掛けた私は、そのまま意識を手放した。
この後、3話で完結予定です。
朝のうちにもう1話、昼にあと2話投稿予定です。
もう少しだけお付き合いいただけましたら幸いです。