雨宿り
本日2話目の更新です。
程なくして、馬車は小さな山小屋の前に到着した。未だ激しく降り続く雨の中、レナートは御者と共に、自分のローブでセレスティーヌを庇うようにしながら山小屋の中へと駆け込んだ。
次第に夜闇に包まれながらも、弱まる気配のない雨音が外から響く中、レナートと山小屋の主人が話す声がセレスティーヌの耳に届いた。
「申し訳ございませんが、本日はお泊めできるような客室に空きがございません。お食事なら出せますが……。どうしてもご滞在いただくなら部屋を準備いたしますが、十分にご満足いただけるようなご用意をするのは難しいかと」
レナートは、表情を曇らせてセレスティーヌの元へと戻って来た。
「今日中に君を家に送り届けたかったのだが、この雨では難しそうだ。それに、客室も埋まっているようで、雨をしのぐための最低限の部屋で、時間をやり過ごすことしかできないかもしれない」
「私は、それで構いません」
セレスティーヌはレナートに微笑み掛けた。どんな場所だったとしても、セレスティーヌには、もう少し長い時間を一緒にレナートと過ごせるというだけで胸が弾むように感じられていた。レナートは、セレスティーヌの表情にどこかほっとした様子で頷いた。
「わかった」
セレスティーヌはレナートと簡単な夕食をとった後、山小屋の主人に部屋へと案内された。主人は申し訳なさそうに二人に向かって口を開いた。
「こんな部屋しかご用意できず、恐縮なのですが……」
そこは小さな窓があるだけの狭く簡素な部屋で、ベッドもなく、窓際に長椅子が一つ置かれているきりだった。
一つだけある長椅子にセレスティーヌを腰掛けさせてから、部屋のドアが閉まった後で、レナートは申し訳なさそうに口を開いた。
「本当にすまない、君をこんな所で過ごさせることになってしまって。空き部屋も、屋根裏を含めて二つしかないという話で、御者には屋根裏を使ってもらっている」
「私は大丈夫です、レナート様がついていてくださいますし。私はレナート様と一緒に過ごせるだけで嬉しいですから」
窓の外から降りしきる雨音が響く中、レナートはセレスティーヌの言葉に面食らったように目を見開いてから、みるみるうちにその頬に血を上らせた。
「どうして、君はそんなに可愛いことを言うんだろうな……」
レナートは小さく息を吐いてから、部屋に用意されていた薄い毛布をセレスティーヌに手渡した。
「ぎりぎり君が横になれる程度の長椅子しかないが、ここを使って休んでくれ」
「でも、レナート様は?」
「俺は仮眠を取ることは慣れているんだ。遠征先では野宿をすることもあるから、屋根があるだけでも十分だ。そこの床で休むよ」
壁に背を凭せ掛けるようにして床に腰を下ろしたレナートに、セレスティーヌは顔を翳らせた。
「でも、それではレナート様の疲れが取れません。さっきも、私を氷魔法で助けてくださったばかりだというのに」
セレスティーヌはしばらく躊躇ってから、レナートを見つめた。
「せめてこの長椅子に一緒に掛けてはくださいませんか? 少しは過ごしやすいと思うのですが……」
「……」
長椅子の自分の隣に空いた場所を指し示したセレスティーヌに、レナートは少し口を噤んでから彼女を見つめた。
「本当にいいのかい?」
「はい」
「それなら、君の言葉に甘えさせてもらうよ」
ゆっくりと床から腰を上げたレナートは、セレスティーヌの隣に腰を下ろした。隣に腰掛けたレナートの体温と彼の視線に、セレスティーヌの頬もふわりと色付く。
「せめて、俺に寄り掛かってくれ。少しでも楽に休んで欲しい」
「ありがとうございます」
セレスティーヌは、レナートの肩に身体を凭せ掛けるように身体を預けると、一枚だけの薄い毛布を二人の膝に掛けた。
「これでレナート様も少しは暖かく……くしゅん」
小さなくしゃみをしたセレスティーヌのことを、レナートが微かに眉を寄せて心配そうに見つめた。
「雨で身体を冷やしてしまったのだろうな」
レナートは自分が身に着けていたローブを脱ぐと、セレスティーヌの肩に掛けてから彼女を優しく抱き寄せた。レナートの体温の残るローブを掛けられ、彼の腕の中に包まれて、セレスティーヌは激しく打つ自分の心臓の音が聞こえたような気がした。
(暖かい……)
セレスティーヌは、レナートの腕の中から彼を見上げた。
「レナート様の服までお借りしてしまって、よろしいのでしょうか。レナート様は寒くはありませんか?」
「ああ、俺は大丈夫だ。君が隣にいてくれるから、暖かいよ」
レナートはその輝きの強い青い瞳で、じっとセレスティーヌのことを見つめていた。彼はセレスティーヌに回した腕に少し力を込めると、呟くように言った。
「こんな場所で一晩過ごさせることになってしまって、君には悪いが。……君と二人で過ごせる、これほど幸せな時間が俺にまた訪れるなんて、想像してもいなかった。ありがとう、セレス」
そのままレナートはセレスティーヌに顔を近付けると、彼女の唇を掠めるようにして、そっと唇の横に口付けた。
(……!)
セレスティーヌは、胸がどきりと跳ねるのと同時に、胸の中にじわじわと熱い想いが広がるのを感じながら、恥ずかしそうにレナートの胸に顔を寄せた。レナートの心臓の鼓動が、セレスティーヌの耳に響く。彼女が想像していたよりも、レナートの心臓は速く打っていた。
セレスティーヌは、レナートが確かに自分を想ってくれていることも、できる限り大切にしてくれようとしていることも感じていた。どうしても心の中に引っ掛かっていたことを、彼女はレナートに尋ねた。
「レナート様、一つ教えていただいても?」
「ああ、何だい?」
「私が記憶を失くす前には、レナート様が私に触れることはなかったというお話でしたし、すれ違いが生じてしまっていた部分もあるのかもしれませんが。……それでも、最近こうしてレナート様と過ごしていて、思うのです。以前の私はきっと、レナート様のことが大好きだったに違いないと」
レナートがはっとしたようにセレスティーヌを見つめた。彼の切なげな視線を感じながら、セレスティーヌは続けた。
「私がレナート様を思い出せなくなるきっかけになるようなことが、何かあったのでしょうか? 仮に、過去の私が多少の寂しさを覚えていたのだとしても。それでも、レナート様のことを覚えていないなんて、自分でも信じられなくて……」