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頬の熱

 セレスティーヌの視線の先で、レナートの喉がごくりと動く。彼はセレスティーヌを見つめた。


「君の言う通り、美味いな。……ほかのものも、温かいうちに食べようか。昨年と同じような露店が並んでいたから、どれも、君が美味しいと言っていたものを選んだんだ」


 まだ湯気の立っている肉を焼いた串や、こんがりと揚げたパン、シロップ漬けのフルーツなど、二人は少しずつ分け合って食べた。昨年も食べたと言われても、セレスティーヌの記憶からは抜け落ちたままだったけれど、レナートの言葉の通り、そのどれもがセレスティーヌの口に合うものばかりだった。


(こうしていると、レナート様と婚約者同士なのだと言われても違和感はないわ……)


 隣同士、触れるほど近い距離に座って、美しい星空を眺めながら露店の食事を楽しんでいると、レナートをあまり知らないとは思えないほどに、しっくりとくるような感覚もあった。それは、自分が忘れてしまった、積み重ねてきた時間によるものなのだろうかとセレスティーヌは考えていた。

 一通り食事を終えて、セレスティーヌが澄んだ星空を眺めていると、レナートが呟くように言った。


「昨年になって、ようやく君とこの祭りに来られたんだ。それまでは、仕事と重なってしまって、なかなか来ることができなかったから」


 どこか懐かしむような調子で呟いたレナートに、セレスティーヌの胸はつきりと痛んだ。


「……レナート様は、昨年私たちが一緒に過ごした時のことを覚えていらっしゃるのですものね。明日も、私が好きだった場所に連れて行ってくださるとのお話でしたが、私にとっては初めてでも、レナート様はつまらなくはないでしょうか?」

「そんなことはない。俺は君と一緒にいられさえすれば、それでいい」


 レナートは少し身体をセレスティーヌに近付けて、腕をそっと彼女の背に回した。そのままレナートの肩に寄りかかるような格好になった彼女の胸はどきりと跳ねた。


(こんなお美しい方がすぐ隣にいて、まだ慣れないことも多いけれど……)


 セレスティーヌは、間近にあるレナートの顔をちらりと見上げた。彼の顔はやはりあまり表情が動いてはいなかったけれど、どこか穏やかに見えた。セレスティーヌも、ふわりと胸が温まるのを感じていた。


 少しずつ周囲の人が減り始めた頃合いになって、レナートが口を開いた。


「……君との時間を切り上げるのは名残惜しいが、そろそろ戻ろうか」

「はい。明日も、またお会いできることですし」


 二人が並んで馬車へと戻る途中、露店の並ぶ横で、ふとレナートが足を止めた。


「少しだけ、ここで待っていてもらっても?」

「ええ、わかりました」


 ある露店の店主と話してから戻って来たレナートの手には、小さな紙袋が握られていた。


「気持ちばかりだが、これを君に」

「開けてもいいですか?」

「ああ」


 セレスティーヌが袋を開けると、中からは美しい銀細工の髪飾りが姿を現した。星の意匠にアメジストが飾られたその髪飾りを見て、セレスティーヌははっと気付いた。


「これは、もしかして……」


 セレスティーヌは自分の鞄の持ち手を見た。レナートから手渡された髪飾りと同じ星の意匠にアメジストの輝く、チェーンの付いた銀色の飾りがそこには揺れていた。

 レナートは、セレスティーヌの鞄に揺れる小さな飾りを見つめた。


「昨年、君はあの露店の前で、しばらくどちらか決めかねて悩んでいたようだったから。俺が両方買うと言っても、君は結局、手頃なそれを選んだ。遠慮する必要なんてなかったんだがね」

「そうだったのですね。……今年は素敵な髪飾りまで買ってくださって、ありがとうございます」


 セレスティーヌの鞄に付けられたその星の意匠の飾りは、彼女自身、どこで手に入れたものかは記憶になかったものの、大切にしていたもののような気がして、気に入ってそのまま付けていたものだった。


(ああ、私は確かに、昨年レナート様とここに来ていたのね……)


 鞄に付けられた飾りと髪飾りをそれぞれ彩る、全く同じ星の意匠を見比べながら、セレスティーヌは、思い出せない彼との時間が確かにそこには存在していたのだと感じていた。


 二人が馬車に乗り込み、馬車がセレスティーヌの家の前まで辿り着くと、レナートは手を貸してセレスティーヌを馬車から降ろした。


「今日は遅くまでありがとう」

「こちらこそ、お時間をくださってありがとうございました。それに、色々と買っていただくばかりで。……この髪飾りも、大切にします」

「君が喜んでくれたなら嬉しいよ。また明日、迎えに来るから」


 セレスティーヌが微笑みを浮かべてレナートの顔を見上げると、彼の深く澄んだ青い目には微かな熱が籠っていた。

 レナートの美しい顔がすぐ目の前に近付いたかと思うと、その唇がセレスティーヌの頬にそっと優しく触れた。


「……!」


 初めて頬に触れる彼の柔らかな唇の感触に、セレスティーヌは惚けたように固まっていた。


「おやすみ、セレス。よい夢を」

「お、おやすみなさい。レナート様」


(今、私のことも、初めて愛称で呼んでくださったわ……)


 レナートが乗った馬車が見えなくなってからも、セレスティーヌは頬に上った熱が冷めるまで、しばらくその場に佇んでいた。


***


 ぼんやりとした様子で頬を押さえながら家に入ったセレスティーヌの元に、ジゼルがやって来た。


「お嬢様、お帰りなさいませ。……あら、お顔が赤いようですが、どうなさったのですか?」


 ジゼルの言葉に、どうやらまだ頬が染まったままだったらしいということに気付いて、セレスティーヌの顔はさらに赤くなった。


「何でもないのよ、ジゼル。ねえ、ところで、今更なのだけれど」


 セレスティーヌはジゼルを見つめた。


「私、レナート様と出会って、親しくなってからどのくらい経つのかしら?」

「そうですね……レナート様にお嬢様が命を助けられたのが三年前くらいで、婚約なさったのが半年ほど前でしょうか」

「そう……」


(私の知らない、レナート様と過ごしていた三年分の私を、彼は知っているのね)


 自分にとっては何もかもが急なことに思えていたけれど、重ねてきた月日を考えれば、彼にとってはきっとそうではないのだろうと、セレスティーヌは未だぼうっとする頭で改めて考えていた。


(どうして、私はレナート様のことだけを思い出せないのかしら?)


 医師のビクトルの、思い出したくないから思い出せないのかもしれないという言葉が頭に蘇りつつ、セレスティーヌには、それが不思議でならなかった。


 セレスティーヌは、鞄の持ち手で揺れる星型の飾りにそっと触れた。ついさっきレナートに贈られたばかりの髪飾りを彩る、同じ星の意匠と再び見比べながら、昨年はどのような気持ちでレナートからそれを受け取ったのだろうと、失くした記憶に思いを馳せた。


 セレスティーヌの身の周りには、所々記憶のないものが混じっている。思い出せないものは仕方がないと、彼女はそれをそのまま受け入れて過ごすようになっていたけれど、それはやはりどれもがレナートに関連するもののようだということがわかってきていた。


(……もしかしたら、あの方も何かレナート様に関係があるのかしら?)


 回復職の魔術師が属する同じ第五魔術師団で、セレスティーヌが事故後に仕事に復帰してから、一人だけ、彼女がどうしても思い出せない人物がいた。エマによると、マティアスと同様にいつも前線部隊に同行している人だから、普段はあまり関わることもないとの話だったけれど、セレスティーヌには胸の奥がむずむずとするような感覚があったのだった。


(まあ、考えても仕方ないものね。……また明日もレナート様と出掛けるのだし、そのうちレナート様に聞いてもいいかもしれないわ)


 翌日もレナートに会えることに自然と胸が弾むのを感じながら、セレスティーヌはその日の眠りについた。


 セレスティーヌを送ってから再び馬車に乗り込んだレナートが、彼女に負けず劣らず顔中を真っ赤に染めながら片手で顔を覆っていたことは、彼女には知る由もなかった。

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