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貴方様はどなたでしょうか

誤字報告をありがとうございます、修正しております。

「どうなさったのですか、レナート様? さあ、どうぞ中へ」


 ジゼルに促され、セレスティーヌの隣まで歩いて来たレナートに、フレッドとマリアは場所を開けた。セレスティーヌのベッドの脇でレナートは片膝を着くと、彼女の顔を見上げた。


「セレスティーヌ、無事でよかった」


 セレスティーヌは、自分の名前を呼んだ、レナートという青年の切れ長の青い瞳を戸惑いながら見つめた。


(この方が、レナート様。お母様の話だと、私は以前、彼に会うのを心待ちにしていたようだったけれど……)


 まるで鋭い刃のような雰囲気を纏っている彼に見つめられて、セレスティーヌの肩はどきりと小さく跳ねた。


(やっぱり、思い出せないわ。この方はどなたなのかしら? どうして、私に会いに?)


 レナートという名前を思い出そうとすると、セレスティーヌの頭はなぜか再び疼くように痛んだ。彼女は微かに顔を顰めると、掌にじんわりと汗が滲むのを感じていた。レナートは飛び抜けて麗しい容貌の青年ではあったけれど、彼から漂う威圧感がそれに勝っていた。

 それに、セレスティーヌは、レナートからどことなく冷たい印象を受けていた。表情の動きに乏しいレナートから、彼女の無事を喜ぶ言葉を淡々と紡がれても、それが彼の本心なのかは、セレスティーヌにはよくわからなかった。そして彼の両目は、どこか探るように、そして僅かな緊張を滲ませて彼女の瞳を覗き込んでいた。セレスティーヌは、困惑気味にレナートに尋ねた。


「貴方様は、なぜ私のところに来てくださったのですか?」

「えっ?」


 しばらく言葉を失っていたレナートは、ゆっくりと口を開いた。


「……婚約者を見舞うのは当然のことだろう」

「婚約者? 貴方様が、私の?」


 呆然と瞳を瞬いたセレスティーヌを庇うように、フレッドが彼らの間に割って入った。


「すみません、レナート様。娘は事故の後、つい今しがた目を覚ましたばかりで、少々記憶が混乱しているようなのです。恐らく、そのせいでレナート様のことも思い出せずにいるのでしょう」


 レナートは、フレッドからセレスティーヌに視線を移した。


「本当に、君は俺のことが思い出せないのかい? 最近どこで会い、何を話したかも?」

「ええ、まったく思い出すことができないのです。ごめんなさい」

「そう、か……」


 呟くようにそう言った彼の顔を、寂しげな表情が掠める。けれど同時に、彼の瞳の奥に、なぜか微かな安堵の色が浮かぶのを、セレスティーヌは敏感に見て取っていた。それはほんの小さな、見過ごしてしまいそうなほどにささやかな感情の動きだったけれど、彼女の胸の中に、つきりと刺すような痛みを感じさせた。


(……この方、私が記憶を失くして嬉しいのかしら?)


 セレスティーヌは、何かを思い出しそうなむずむずとした感覚を頭の奥に覚えたけれど、同時に痛みの予兆も感じたために、記憶を抑え込んで蓋をするように、一旦静かに瞳を閉じた。


 セレスティーヌの感覚に照らすと、レナートの態度は、想い合う婚約者に対する態度とは大分異なっているように思えた。さらに言えば、セレスティーヌの側もまた、レナートに何の感情も抱いてはいなかった。彼に関する一切が思い出せないのだから、それも当然と言えば当然だったけれど、明らかに出来過ぎたような婚約者の突然の登場に、彼女は狐につままれたような心地でいた。セレスティーヌはそのまま、改めてしばし思考を巡らせた。


――彼が、自分を愛称のセレスではなくセレスティーヌと呼んでいること。

――婚約者であるはずの自分に、彼は指一本触れようともしないこと。

――何より、自分に会いに来た目の前の彼が、笑顔一つ見せないこと。


(私、どうやらこの方に愛されてはいないみたいね)


 さらに、レナートに会った自分が、彼の名前も、そして顔すらも思い出せないことを考え合わせると、セレスティーヌの頭の中で一つの結論が出るまでに、それほど時間はかからなかった。ゆっくりと目を開けた彼女は、レナートを見つめた。


「あの、レナート……様」


 慎重にレナートの名前を呼んだセレスティーヌを、彼は青く澄んだ瞳で見つめ返した。


「ああ」


 自分のことを思い出したのだろうか、という疑問が、セレスティーヌには彼の瞳に透けて見えるようだった。セレスティーヌは、少しぎこちなく彼に向かって微笑みを浮かべた。


「この家まで私を見舞いに来てくださって、ありがとうございます。……せっかくお越しくださったのに恐縮ですが、貴方様に一つお願いがあるのです」

「何だい、セレスティーヌ?」


 小さく首を傾げた彼に、セレスティーヌは一度深呼吸をしてから続けた。


「私との婚約を解消してはいただけませんか?」


 レナートの瞳がみるみるうちに驚きに見開かれ、その喉が小さくひゅっと鳴った。

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