休日の誘い
憧れの彼女に微笑まれて、俺の胸がどれほど高鳴ったか想像がつくだろうか。自分の中にそれほど生き生きとした熱量があるなんて、それまでは思いもしなかった。
今までは、彼女に気付かれないように遠くから見ていただけだったのが、彼女に俺の存在が知られたせいか、よく目が合うようになった。目が合う度に花のように微笑んでくれる彼女に、俺は夢見心地だった。ある日、彼女と目が合ったと思ったら、彼女はふわりと微笑んでから、少し頬を染めて俺の元に小走りにやって来た。
「レナート様。先日は、助けてくださってありがとうございました。できれば、何かお礼をさせていただきたいのですが……」
やや俯きながらほんのりと頬を染めて恥ずかしそうに話す彼女に、俺は答えた。
「それなら、一緒に来て欲しい場所があるんだ」
どうしてその時そんなことを言ってしまったのか、自分でもよくわからなかった。けれど、セレスティーヌは少し不思議そうな顔をしつつも、こくりと首を縦に振ってくれた。
俺は以前、ある山の麓に一面に広がる美しい花の群生地を偶然見付けていた。もし俺に特別に想える人ができたなら、いつか一緒に来たいと思うほどに、神秘的な美しさを湛えた場所だった。セレスティーヌに出会い、彼女とその場所に行けたなら、と漠然と胸の奥で思い描いていたら、それが思わず口に出てしまったようだった。
そこに連れて行った彼女は、その場所をとても気に入ってくれて、喜んでくれて。それから自然と、彼女と過ごす機会が増えた。こんな幸せが自分の身に訪れるとは、想像してもいなかった。
けれど、同時に俺は怖くなった。俺は、自分の感情に欠陥があるということを自覚している。セレスティーヌが温かな愛情を向けてくれるほど、彼女が俺の本質を知ってしまったら、いつか離れていってしまうのではないかと不安になった。
そして、俺の耳の奥には母の言葉が蘇っていた。
『あなたは周りを不幸にする』
『あなたなんて、生涯誰も愛せない』
俺といても、セレスティーヌは幸せになれないのではないか。それは言い知れぬ恐怖だった。セレスティーヌは、温かな愛情に恵まれた家庭で何不自由なく育ってきている。疎まれ、蔑まれながら育った俺とは、育った環境が正反対だ。大切に育てられた彼女を、俺のせいで不幸にしてしまったらと思うと、どうしてよいかわからなくなった。
矛盾していることはわかっていたけれど、彼女を失うことも、彼女にこれ以上近付くことも怖かった。
彼女に抱く感情は、彼女のためだけの特別なものだったけれど、彼女に寂しげな顔をさせている自分に、彼女を愛していると言う資格があるのかもわからなかった。
この自分の体質ゆえに、セレスティーヌに触れることは避けていたし――もし彼女に触れて全身に発疹が出てしまえば、悲しませるだけでなく、きっと愛想を尽かされるだろうと思っていた――、彼女を一度愛称のセレスで呼んでしまえば、呼ぶ前の距離感には戻れないような気がしていた。彼女の笑顔が見たいのに、あまり近付き過ぎてしまいそうになると、自分に歯止めをかける自分がいた。
それなのに、つかず離れずの中途半端な状態で彼女を待たせておきながら、風の噂で彼女に多くの縁談が来ていると知り、副団長に昇進してすぐに慌てて彼女との婚約を結んだ俺は、どう見ても卑怯者だ。
部下のクリフォードは、わかりにくいとよく言われる俺の感情を察してくれる、セレスティーヌ以外の数少ない人間の一人だ。仕事以外の話でも、人好きのする親しみやすい彼とは話しやすかった。けれど、そんな彼にすら俺は呆れられていた。
「レナート様、いくら何でも順番が間違っていませんか? 僕がとやかく言うことじゃないとはわかっていますけど、手すら握っていないセレスティーヌ様と婚約だなんて。まずは愛称のセレスで呼ぶところから始めた方がよかったのでは? セレスティーヌ様も、いくらレナート様を慕っているとはいえ、よくこんな婚約を受け入れてくださいましたよねえ……」
クリフォードの言う通りだった。婚約までしておきながら、俺はまだセレスティーヌとの関係に踏み込むことに躊躇していた。俺たちには、婚約という名目的な呼称が付いただけだった。
それでもセレスティーヌは、俺が彼女を大切に想っている気持ちは理解してくれているようだったから、俺はそんな彼女に甘え続けていた。……もっと彼女に対する想いが伝えられていれば、誤解が生じてもすぐに解けるような信頼関係が築けていたならば、こんなことにはなっていなかったのかもしれない。
今更としか言いようがないが、見舞った彼女に婚約解消を提案されたあの時、初めて魂の叫び声が聞こえたような気がした。
――彼女のいない人生なんて、考えられない。
あと一度だけでもいい、どうかやり直すチャンスが欲しい。
我儘で勝手な自分を痛いほど自覚しながらも、そんな思いで、俺はベッドの中から他人のように俺を眺める彼女に縋ったのだった。
***
「最近、毎日のようにレナート様が迎えに来てくださるそうですね?」
レナートに送られて帰宅したばかりのセレスティーヌを、ジゼルがにこにこと嬉しそうに見つめた。
「ええ、そうなの。お仕事がお忙しいはずなのに、何だか申し訳ないわ……」
「あちらがそうしたいと仰るのだから、よいではないですか。今までお嬢様が尽くして来た姿を見ていた身からすると、それくらいしていただいても、罰は当たらないと思いますよ」
「それから、次の休日もレナート様が誘ってくださったのよね」
君が気に入ってくれた場所にまた一緒に行きたいと、レナートはそうセレスティーヌに告げていた。
セレスティーヌは、レナートとの距離感にまだ戸惑いを感じていた。セレスティーヌに負けず劣らず、このところ彼女を迎えにくるレナートの姿に目を瞠って驚いている様子の周囲からしても、どうにも落ち着かないような心地がしていた。
(どうして、彼は私を選んでくださったのかしら……)
セレスティーヌは再びそう考えていた。同じ質問を直接レナートにしたことはあったけれど、具体的な理由はわからず仕舞いだったからだ。
レナートのことが嫌かと言えば、決して嫌ではなかった。あれほど素敵な人に愛されるなんて、望んでもなかなか得られないことなのだろうとも、セレスティーヌは理解していた。けれど、そのまま彼に惹かれてもよいものなのか、失われた記憶が彼女を躊躇わせていた。
「お嬢様、そんな難しい顔をなさらないでください。是非、今度の休日も楽しんでいらしてくださいね!」
にこやかなジゼルの言葉に、セレスティーヌはやや苦笑しながら頷いた。
副題を追加してみました(変更の可能性があります)。




