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友人の訪問

 レナートを見送った後、マリアはセレスティーヌに驚愕の面持ちで話し掛けた。


「今日のレナート様を見て、驚いたわ。今までは、婚約した後だって、セレスに触れることすらなかったのに」

「さっきレナート様からも伺ったのですが、今までに一度もですか?」

「ええ、そうよ。少し心配していたから、ほっとしたのだけれど、いきなりのことで驚いたわ。……後は、あなたが落ち着いたら、彼のことを自然と思い出せるといいわね」

「そう、かもしれませんね」


 セレスティーヌには、まだ様々な出来事が受け止めきれてはいなかった。事故に遭った後は、自分に婚約者がいたことすら覚えていなかったから、突然目の前に現れた、美しく優秀な魔術師であるレナートが婚約者だと言われても、まだ胸から戸惑いが消えてはいなかった。

 事故後に目を覚ました時には、セレスティーヌは何かを思い出しそうな感覚と共に頭痛を覚えていたけれど、今では、頭痛がしなくなった代わりに、記憶の蓋がぴったりと閉じてしまったかのように、何も思い出すことができずにいた。

 母が屋敷の中に戻った後も、セレスティーヌは部屋には戻らずに、先程までレナートと座っていた庭のベンチに腰掛けていた。涼やかな風が頬を撫でていくのを感じながら、セレスティーヌはレナートの言葉を反芻していた。


(レナート様、私のことを本当に想ってくださっていたようだったわ)


 自分も彼が好きだったなら、どうして彼に関することだけ思い出せないのだろうということが、セレスティーヌの素朴な疑問だった。


(レナート様は、私が彼を思い出せずにいるのはご自分のせいかもしれないと、そう仰っていたけれど……)


 セレスティーヌがぼんやりと思考に耽っていると、馬の蹄と馬車の車輪の音が近付いて来た。外門を潜った馬車を見てセレスティーヌがベンチから立ち上がると、馬車から軽やかに降り立った女性を見てその顔を輝かせた。


「エマ!」


 長い赤髪を靡かせた女性は、ひらひらと手を振りながら駆け足でセレスティーヌに近付いて来た。


「セレス、よかった! 元気そうで。心配したんだから」


 エマはセレスティーヌにぎゅっと抱き着いた。


「もっと早くお見舞いに来たかったんだけど、最近仕事が忙しくて、なかなか抜け出せなくって。明日からあなたが復帰するってわかってはいたんだけど、どうしてもその前に会いたかったの」

「ありがとう、エマ。嬉しいわ」


 セレスティーヌは、エマを連れて屋敷の中へと入ると、ジゼルにお茶の用意を頼んでから応接間に入った。


「ねえ、マティアス様は、この前セレスの所にお見舞いに来たんでしょう? その時、私のことも一緒に連れて来てくれればよかったのに」


 口を尖らせたエマに向かって、セレスティーヌは微笑んだ。


「お見舞いも兼ねていたのかもしれないけれど、今後の仕事に関係する話で来てくださっていたのよ」

「あら、そうなの? てっきり、マティアス様はセレスの顔が見たくて来たんじゃないかって、そう思っていたわ」


 エマは冗談混じりにそう言って笑った。彼女はセレスティーヌの同僚で、同じくマティアスの指揮下で働いている。明るく屈託のない性格で、同僚の中でもとりわけ気の置けない友人だった。

 応接間の扉がノックされ、ジゼルが茶菓子と紅茶を運んで来た。セレスティーヌはジゼルに礼を言うと、再度エマに向き直った。


「忙しい時に仕事を休んでしまって、ごめんなさいね」

「何言ってるの。酷い事故に遭った後だもの、まずは身体を大事にしないと。ところで……」


 見舞いに持参した菓子折りをセレスティーヌに差し出しながら、エマは心配そうに眉を寄せた。


「今日、セレスに会いに行くってマティアス様に話したら、まだあなたは記憶の一部が戻っていないと聞いたのだけれど。それは本当なの?」

「ええ、そうなの。レナート様に関することだけが、記憶から抜け落ちてしまっているみたいなの」

「えっ、嘘でしょう!? あなたが、あのレナート様のことを?」


 エマは驚きに丸く目を見開いていた。


「……今すぐに天変地異が起きたとしたって、私は驚かないわ」


 呆然と呟いたエマに向かって、セレスティーヌは苦笑した。


「やっぱり、エマもそういう反応なのね。私、そんなにレナート様のことが好きだったの?」

「ええ、それはもう。こんなことって、起きるものなのね……」


 眉を下げたエマに向かって、セレスティーヌは尋ねた。


「レナート様に対して私がどんな感じだったのか、教えてもらえないかしら?」

「そうねえ。いつもにこにことして、甲斐甲斐しく彼に尽くしていた感じかしら。あなたはレナート様が大好きで、彼と婚約した時も本当に嬉しそうにしていたし……でも、彼のことだけ思い出せないなんて、セレスもどこか無理をしていたのかしら」

「無理を?」

「うーん。何て言ったらいいのかしらね」


 エマは思案気に宙に視線を漂わせた。


「セレスが幸せなら、それでいいと思ってはいたのよ。でも、レナート様は、いつもあのポーカーフェイスでしょう? それに、セレスに触れようともしないし。あなたの命を救った人でもあるし、生い立ちも訳ありだっていうから、仕方ない面もあるのかもしれないけれどね……」

「ねえ、エマ。知っていたら教えて欲しいのだけれど」


 セレスティーヌはエマに尋ねた。


「レナート様は命の恩人だというのに、私、彼に助けられたことすら思い出せないの。私、どんな状況で彼に助けられたのかしら?」

「ああ、それも覚えてはいないのね。その時、私もすぐ側にいたから、それなら話せるわ。……あの時のレナート様は、本当に凄かったわよ」


 エマは少し遠い目をした。


「普段なら、攻撃魔法を扱う魔術師がある程度いるはずの拠点だけれど、あの時は、魔物討伐に人手を取られて、守りが手薄になっていたのよね。突然、大型のケルベロスの群れが拠点の中まで襲って来た時、あなたは、怪我人の治療中ですぐには動けなかったわ。回復魔法を掛けた怪我人を先に逃したあなたの前で、ケルベロスは鋭い牙のある口を開けて……あの時は、私も背筋が凍って足が竦んで、悲鳴すら上げられなかった」


 その場面を思い返して、微かに身体を震わせたエマは続けた。


「そこに駆けつけてくださったのがレナート様だった。あなたを庇うようにケルベロスの前に身体を滑り込ませて、氷魔法で一撃だったわ。あなたの元に一直線に飛んで来てくださったのだけれど……まさに闘神といった鮮やかさだった。あれは見ていた私も鳥肌が立ったもの、あなたが惚れても無理はないわね」

「そうだったのね……」


 セレスティーヌは小さく息を吐いた。


「本当に命も助けてくださっていたのね。それなのに彼のことを全く思い出せないなんて、申し訳ないわ」


 エマは改めてセレスティーヌを見つめた。


「でも、レナート様のことだけ覚えていないなんて、それだけ我慢をしていたのかもしれないわね。正直なことを言わせてもらえば、あなたは本当に幸せなのかしらって、そう思う時もあったわ。どことなく、あなたが寂しそうに見えることもあったから」

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