お茶の時間2
言葉の内容に比してほぼ無表情なレナートではあったけれど、セレスティーヌには、レナートの言葉はその通り彼の真意なのだろうということが感じられた。
(私が婚約解消なんて言ったものだから、きっと彼を焦らせてしまっていたのね)
セレスティーヌはレナートに深く頭を下げた。
「この前は、せっかく私を見舞いに来てくださったというのに、いらした途端に失礼なことを申し上げてしまい、大変申し訳ありませんでした」
「いや。俺の方こそ、まだ目覚めたばかりだという君の元を訪ねて、混乱させてしまったようで、すまなかったね」
「それに、レナート様は私の命の恩人でいらっしゃるのですよね? そのようなレナート様に対して、一方的にあのようなことを言ってしまって」
「いや、構わないよ。……君は、まだ俺のことを思い出せずにいるんだね」
眉を下げたセレスティーヌを、レナートはじっと見つめた。
「ええ、そうなのです。……すみません」
「俺のことは、このまま思い出せなくても構わない。婚約者として、また一から、俺との関係を築いてはもらえないだろうか」
「……」
セレスティーヌは、何と言葉を返してよいかわからずに、困惑気味に口を噤んだ。この日に会ってからの印象ということだけで言えば、レナートは表情に乏しくはあるものの、素敵で、好ましく感じられる青年だった。けれど、セレスティーヌが事故から目覚めた時に、なぜか彼を前にして、捉えどころのない不安に駆られたことが、セレスティーヌの胸の内に暗い影を落としていた。
少し考えてから、セレスティーヌはゆっくりと口を開いた。
「あの……伺いたいのですが、どうして、私なのでしょうか? 今まで、私がレナート様をお慕いして追い掛けていたようだと、両親からは聞いておりますが。レナート様なら、貴方様の記憶を失くしている私でなくても、いくらでも素敵な方を選べると思うのですが」
レナートは苦しげに顔を歪めた。
「俺が側にいて欲しいと思うのは、セレスティーヌだけなんだ。女性に近寄られると嫌悪感を覚える中で、君だけは違う」
レナートは少し俯くとしばらく口を噤んでから、再びセレスティーヌを見つめた。
「君が俺の記憶を失っているのは、きっと俺のせいだ。……俺は、今まで君の優しさに甘え過ぎていた。素直で温かな君が側にいてくれることが、どれほど幸せで恵まれていることなのか、自覚していたつもりでいながら、君に感謝の気持ちを十分に返せてはいなかった」
驚いたようにレナートを見つめ返したセレスティーヌに向かって、彼は続けた。
「今更かもしれないが、君を失いたくないと、心の底から思っている」
レナートは、手袋をはめたままの右手を伸ばすと、セレスティーヌの左手に重ねた。レナートの瞳には、必死な色が宿っていた。
彼の掌の温かさを手袋越しに感じて、セレスティーヌの胸はどきりと跳ねた。セレスティーヌは、少し躊躇ってから口を開いた。
「今の私には、すぐに結論は出せません。まだ、わからないことも多いので……。ただ、私たちの婚約を今後どうするかを考えるために、失った記憶の代わりに、しばらくは婚約を続けながら、こうしてレナート様と過ごす時間をいただくことはできるでしょうか?」
「ああ、もちろんだ」
ほっとしたように、レナートは表情を緩めた。彼は、セレスティーヌの手に重ねた掌に少し力を込めると、彼女の顔を見つめた。
「大分前に、君に一度、直接触れられたことがあるんだ。ほんの一瞬ではあったが、何の症状も出なかった。……もう一度、君に直接触れてみてもいいだろうか」
レナートの真剣な眼差しに、セレスティーヌは断る理由も思い浮かばず、首を縦に振った。
「はい、構いません」
白い手袋を外したレナートは、その手で躊躇いがちにそっとセレスティーヌの手を握った。白く長い指をした彼の手は滑らかで、その肌の感触に、セレスティーヌの頬は再び赤く染まった。
「大丈夫、みたいだ」
相変わらず表情の動かないレナートだったけれど、彼が胸を撫で下ろした様子がセレスティーヌにも伝わってきていた。
「ふふ、それはよかったです」
セレスティーヌが微笑むと、レナートは徐にそのまま彼女の手を引き、彼女の手の甲に優しく唇を落とした。
「……!? あ、あの……」
「君に再び俺の方を向いてもらえるように、力を尽くすから」
サファイアのような輝きの強い美しい瞳に射貫かれるようにして、セレスティーヌは惚けたようにこくりと頷いた。
忘れられたように二人の前に置かれている紅茶のカップからは、立ち上っていた湯気が既に消えていた。