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お茶の時間1

 レナートはセレスティーヌの前に進み出ると、薄い手袋をはめた手をセレスティーヌに差し出して彼女の腕を取った。レナートはセレスティーヌを前にしても相変わらずの無表情だったけれど、彼の不遇な生い立ちをジゼルから聞いたためか、セレスティーヌにはそれが今となってはあまり気にはならなかった。

 レナートに腕を取られて歩くセレスティーヌの様子に、二人を玄関口から見ていたマリアの目が大きく見開かれた。


(あら、お母様、どうなさったのかしら……?)


 セレスティーヌは、内心で母の様子を不思議に思いながらも、レナートと応接間に向かった。既にそこにはお茶の準備が整えられており、数種類のクッキーに一口大のケーキ、彩り鮮やかな砂糖菓子やチョコレートといった菓子類がテーブルに並べられていた。レナートとセレスティーヌがテーブルを挟んで椅子に座ると、ジゼルが紅茶のポットとカップをトレイに乗せてやって来た。

 ジゼルは、どことなくぎこちない雰囲気の漂う二人に向かって、明るく笑い掛けた。


「レナート様、お忙しい中お越しくださってありがとうございます。お嬢様とどうぞごゆっくりとお過ごしください。本日はお天気もよいですし、後で庭の散策などなさるのもお勧めです」

「ああ、ありがとう」


 ジゼルは、不安気な表情を浮かべているセレスティーヌに、振り返り際、励ますように小さくウインクをした。セレスティーヌはジゼルに向かって頷くと、彼女から目の前のレナートに視線を移した。彫刻のようなレナートの顔を見つめながら、セレスティーヌは思わず小さく感嘆の溜息を吐いた。


(……この方、改めて近くで見ると、本当にお美しい顔立ちをしていらっしゃるのね)


 白磁のような滑らかな肌に、文句の付けようがないほどバランスのよい目鼻立ち。小さな顔を彩っているすっと通った鼻筋に、上品な薄めの唇、そして何より、長い睫毛に彩られた切れ長の大きな碧眼がとても魅力的だった。深い海の色を映すような、サファイアのようにも輝く深い青色の瞳に、セレスティーヌは我を忘れて見入っていた。


「俺の顔に、何か付いているのかい?」


 怪訝な表情を浮かべたレナートの声に、セレスティーヌははっと我に返った。改めて聞くレナートの低くよく通る声は、セレスティーヌの耳朶に心地良かった。


「……すみません。貴方様のようなお美しい方が私の婚約者だったということが、俄には信じられない思いで、つい見惚れておりました」


 なぜ、事故後に目覚めた時には、彼の冷たい印象ばかりが目につき逃げ出したいような気持ちになったのだろう、彼の不幸な境遇を知らなかったためだけなのだろうかと、セレスティーヌは不思議に思いながら、頬を染めて正直な思いをレナートに伝えた。セレスティーヌの言葉に、レナートは面食らったようにその両目を瞠った。


「やはり、君には敵わないな」


 呟くように言ったレナートの表情に、セレスティーヌはその瞳を瞬いた。


(あっ……)


 ほんの少しだけ、レナートの口元が緩んでいた。とても笑顔とは呼べない微かな表情の動きだったけれど、セレスティーヌは、彼が喜んでいるようだと敏感に察していた。セレスティーヌは、過去の自分がレナートの表情をよく汲んでいたという、ジゼルの言葉がわかったような気がした。


(不思議な感じね。まだ彼を思い出せないのに、感覚としては、身体がどことなく覚えているのかしら……)


 レナートは、セレスティーヌの顔をじっと見つめた。


「……それから、一つ訂正させて欲しいのだが」

「ええ、何でしょうか?」

「俺は『君の婚約者だった』のではなく、今でも、君の婚約者でありたいと思っている。それから、」


 少し言葉を切ってから、レナートは続けた。


「俺などよりも君の方がずっと美しいよ、セレスティーヌ」

「……!!?」


 みるみるうちに、セレスティーヌの頬は真っ赤に染まった。


(さすがに、お世辞だとは思うけれど。このお顔でその口説き文句は、反則だわ……)


 セレスティーヌも、男性に言い寄られたことは一度や二度ではなかったけれど、レナートの非の打ちどころのない美しさは、また次元が違っていた。いざ彼を前にして、自分が彼を慕って追い掛けていたようだとの両親の話を思い出すと、セレスティーヌは、記憶のない間に、まさか自分がそのような分不相応なことをしていたのかと、顔から火が出そうな思いも感じていたのだった。

 けれど、思いのほか彼もセレスティーヌのことを想ってくれていたようだった様子に、セレスティーヌは意外な気持ちでいた。目の前のレナートの顔にも、いつしかほんのりと血が上り、薄く染まっていた。ふっと視線を逸らした彼を見て、セレスティーヌは驚いた。


(どうやら、照れていらっしゃるみたいね)


 何とも言えないこそばゆいような思いを胸に感じながら、セレスティーヌも恥ずかしさから逃げるようにして、手袋をはめたまま紅茶のカップへと手を伸ばしかけていたレナートに向かって、話題を変えようと尋ねた。


「よろしければ、もう手袋を外されてはいかがですか? カップも滑りやすくなりますし……」

「ああ、これか」


 レナートは自分の手元に視線を落とした。


「これは、いつも着けているものだから、気にしなくて構わない。……そうか、君は覚えていないのだったな」


 視線を上げたレナートは、セレスティーヌに向かって続けた。


「俺は、体質なのか、精神的なものなのかはわからないが、女性に触れると発疹が出てしまう。だから、大抵はこのような手袋をはめているんだ」

「発疹、ですか……」

「手袋越しに触れても発疹が出ることもあるし、そもそも女性は苦手だから、できる限り女性の側に近付くことのないように気を付けてはいるがね」


 セレスティーヌは呆気に取られて、レナートをまじまじと見つめた。ジゼルから、女嫌いと有名だとは聞いていたレナートだったけれど、どうやらセレスティーヌの想像の斜め上を行っていたようだった。


(女性に触れることすらできないなんて。だから、この前私を見舞いに来てくださった時にも、私には触れようとなさらなかったのかしら。……あっ、でも)


 セレスティーヌは慌ててレナートに尋ねた。


「レナート様は先程私の腕を取ってくださいましたが、お身体は大丈夫ですか?」

「ああ、何も問題はない」

「それなら、よかったです」


 ほっとセレスティーヌは安堵の息を吐いた。どことなく、先程会った時の彼が緊張気味に見えたのはそのせいもあったのだろうかと、セレスティーヌは思った。


「あの、以前も、あのように私をエスコートしてくださっていたのですか?」


 レナートの眉が、ほんの僅かに寄せられた。彼は首を横に振った。


「すまない。君に触れることが、今までは怖かったんだ。きっと君なら大丈夫だろうとは思ったのだが、万一症状が出たらと思うと、なかなか踏み切れなくてね。……ただ、前と変わらないままでいては、君に振り向いてはもらえないだろうと思ったから」

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