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美しい青年

(ん、ここは……?)


 セレスティーヌが薄く瞳を開けると、柔らかく大きなベッドに寝かされていた彼女の視界に、見慣れた薄紅色の天蓋が映った。まだぼんやりとした頭のままで、セレスティーヌがそのアメジストのような紫色の瞳を数回瞬くと、ベッドのすぐ脇から、彼女の顔を侍女のジゼルが心配そうに覗き込んでいることに気が付いた。みるみるうちに瞳を大きく見開いたジゼルに向かって、セレスティーヌは掠れた声で呟いた。


「……ジゼル?」

「よかった、お嬢様! 意識が戻られたのですね」


 ジゼルは潤んだ瞳でセレスティーヌを見つめると、ほっと安堵の溜息を吐いた。


「旦那様と奥様を呼んでまいります。少しだけお待ちくださいね」


 微笑みを浮かべ、ぱたぱたと早足で部屋を出て行くジゼルの背中を眺めながら、セレスティーヌは重く怠い感覚の残る上半身をゆっくりと起こした。持ち上げた頭の奥がずきずきと痛む。改めてベッドの上から自室を見回すと、セレスティーヌは、今さっき聞いたジゼルの言葉を頭の中で反芻していた。


(私、意識を失くしていたの……?)


 何があったのかを思い出そうとしても、頭の中が深い霧に包まれているようだった。セレスティーヌは、朧げな記憶を辿ろうとしても、掴み切れない記憶の断片がするりと指の間から零れ落ちてしまうような感覚に、小さく一つ溜息を吐いた。

 ばたばたという慌ただしい足音と共に、勢いよく部屋の扉が開くと、セレスティーヌの両親が彼女に駆け寄って来た。


「セレス! 本当によかった。身体はまだ痛むかい?」

「いいえ、お父様」


 彼女の艶やかな蜂蜜色の髪を撫で、その手を握った父フレッドに向かって、セレスティーヌは首を横に振った。


「大丈夫です。少し頭痛がするだけですわ」


 セレスティーヌの母マリアは、彼女の華奢な身体をぎゅっと抱き締めた。


「心配したのよ、セレス……! あなたが目を覚まさなかったらどうしようかと、気が気ではなかったわ。また後でお医者様も来るけれど、あなたはもう三日三晩眠り続けていたのよ」

(私、そんなに長いこと意識を失っていたのね)


 セレスティーヌは母の言葉に驚きながらも、瞳一杯に涙を浮かべたマリアを見上げて微笑んだ。


「お母様、ご心配をお掛けしてすみませんでした。……あの、お父様」

「ああ、何だい?」

「私、どうしてそんなに眠り続けていたのでしょう? 記憶が曖昧なのですが……」


 フレッドは険しい表情で眉を寄せた。


「君が魔術師団での仕事帰りに乗っていた馬車を引いていた馬が、突然暴走したらしいんだ。横転した馬車の中にいた君は、傷だらけで意識がなかった」

(ああ、そういえば……)


 馬車に乗っていた時に前方から突然聞こえた馬の嘶きと、激しい馬車の揺れ、そして全身に感じた鈍い痛みを、セレスティーヌは少しずつ思い出した。魔術師団では回復職を担っている彼女は、その日も怪我人の治癒を行ってから、家路に向かう馬車に乗り込んで事故に遭ったのだった。蘇った恐怖にふるりと身体を震わせた彼女の背を、マリアが労わるように撫でた。


「思い出したようね、セレス。怖かったでしょう」


 フレッドが小さく息を吐いた。


「セレスの上官のマティアス様が、君の治癒を快く引き受けてくれたのだが、それでも君の意識は戻らなかった。ここ数日は、君のことをどうか返して欲しいと神に祈ることしかできなかったが……とにかく、しばらくは無理せずゆっくり休むといい」

「まあ、マティアス様が私に回復魔法を?」


 マティアスと言えば、回復職を担う魔術師の中でも、常に前衛部隊での戦いに同行している敏腕魔術師である。彼女が新人の時から何かと目を掛けてくれる、優しい上官でもあった。


「ああ。君の元にすぐに駆け付けてくれて、非常に心配していたよ。また仕事に復帰した折にでも、しっかりと礼を伝えるといい」

「はい、お父様」


 優しい笑顔の父に向かって、セレスティーヌはこくりと頷いた。後ろに控えていたジゼルも、三人の様子に穏やかな笑みを浮かべていたけれど、窓の外から聞こえて来た馬の蹄と車輪の音に、急いで窓辺に駆け寄った。


「どなたか、いらしたのかしら?」


 マリアの言葉に、ジゼルは馬車に刻まれた魔術師団の紋章を見て振り返った。


「魔術師団の馬車です。レナート様がいらしたのではないでしょうか?」

「おお、そうか。すぐに遠征先から戻ると彼から連絡があったから、きっとそうだろう。ちょうどよいタイミングだな」


 笑みを零したフレッドに、ジゼルは喜色を浮かべて頷いた。


「すぐにレナート様をお連れいたしますね」


 ジゼルは零れんばかりの笑顔でセレスティーヌを見つめてから、慌ただしく部屋を出て行った。


(レナート様……?)


 セレスティーヌは、聞き慣れない名前に内心で首を傾げていた。怪訝な顔をしていた彼女に、不思議そうにマリアが話し掛けた。


「レナート様がいらっしゃる時は、あなたはいつも頬を染めて楽しみにしていたのに。せっかくこれから彼に会えるというのに、嬉しくはないの?」


 マリアを諫めるように、フレッドが口を開いた。


「あんな事故の後で目覚めたばかりだ、まあ無理もないだろう。せっかくだが、今日はレナート様にはセレスが疲れない程度でお帰りいただく方がいいだろうな。……まあ、いつも長居はなさらない方だから、心配は無用かもしれないが」

「あの……」


 セレスティーヌは困惑気味に両親を見つめた。


「レナート様とは、どなたでしょうか?」

「「……!!」」


 フレッドとマリアは揃って絶句すると顔を見合わせていたけれど、その時、部屋の扉が軽くノックされ、ゆっくりと開いた。


「レナート様がいらっしゃいました」


 扉の外側、侍女のジゼルの後方には、艶のあるプラチナブロンドの髪を靡かせ、海のような深い青色の瞳をした、はっとするほど美しい青年がその姿を覗かせていた。国で最高ランクの魔術師であることを示す、魔術師団の濃紺のローブを纏ったすらりと長身の彼は、しばらく部屋の入口で立ち止まったまま、セレスティーヌのことをじっと見つめていた。

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