第七話
結局のところ、植木鉢の落下は事故であったという結論で落ち着いた。
植木鉢を支えていた支えが劣化し、砕け、それゆえに植木鉢は落下した。そのような結論に学校側は至ったのである。
しかし克己と美里はそうは思っていない。あれは確実に事故ではなく事件だったと確信していた。
「状況的に見れば明らかに事件だろうね。事故だとするならば都合がよすぎる。命を狙われている者の頭上に、偶然、植木鉢が落下してくるなど考えられないだろうからね。状況証拠は十分、しかし確固たる証拠はないが……」
下校途中の通学路。そこで克己は言葉を発した。学校もすでに終わり、それぞれの家へと帰宅している最中、横には当然に美里の姿がある中で、克己は疑問点を口にする。
「しかし分からないのは、犯人は、いったいどうやって植木鉢を君めがけて落下させたかということだよ。一応あれから3階だけではなく他の階すべてを調べてみたが、植木鉢落下当時、誰もベランダにはでていなかったという……それでは一体どうやって犯人は植木鉢を落としたのだろうね」
「……私に聞いても分からないぞ。というか、そういうややこしい話しを聞いていると、とりあえず私は誰かを殴りたくなるのだが……」
美里の告白を聞くに克己は、ナチュラルに美里から1メートルほど距離をとる。そして、まあ考えても分からないことは置いといて、と前置きしてから、
「これで犯人は幽斐高校の関係者だということが分かったね。部外者はさすがに高校の中には入れない。とするならば、内部犯の犯行と見てほぼ間違いないだろう。これからは学校の内外にと注意が必要だが……まあ、不意打ちでなければなんとかなるだろう」
「そうだな、では明日、学校中の生徒全員を拷問にかければ事件は解決だな。うん、それが一番手っ取り早い」
楽観そうに言う。しかし克己は、美里の態度がいつもと違うことを見過ごさなかった。
――――昨日に比べて、少し覇気がないか。
克己は、隣りを歩く美里からどこかカラ元気のような印象を覚えていた。昨日までとは違う、明らかに不自然な陽気さを美里はまとっていた。
しかし、それも無理からぬことだと克己は思う。命を狙われる―――その事実を言葉として表現するだけで何やら陳腐な匂いがしてくる。虚構の世界で語り尽くされているテーマ、そんなことを言われても現実感など誰も感じないだろう。
しかし実際にその危険に直面してみれば、これほどの恐怖はなかった。
今、周囲を歩いている人間のすべてが自分達のことを殺そうと画策している殺人鬼のような錯覚に陥る。
今にも前方を歩く制服姿の男が振り返り、そして襲いかかってくるのではないかという恐怖―――そこに宿る死の実感は、いくら美里をもってしても克服できるはずがない。
それを慮ってか、克己は柄にもなく美里に対して励ましの言葉を向けることにした。隣を歩く美里に対して、安心させるような声色で、
「まあとりあえず安心したまえ、家には君の両親もいるのだろうし、まさか大事には至らないだろう。とにかく、家の中で大人しくしていれば大丈夫だよ」
大丈夫ではなかった。
言葉が言い終わる寸前、克己の言葉に反応した美里は、ビクっと背筋を震わせた。
それは一瞬のことで、すぐにいつも通りの美里に戻るのだが、どうも様子がおかしい。
何かに怯えているような、そんな印象が美里からは感じられる。それは普段の様子とはまったく異なったものであって、姿の見えない敵に恐怖しているかのような、そんな様子がそこにはあった。
その美里の姿を見るにつけ、いきなりどうしたのかと克己が疑問に思う。その矢先、美里の口からでたのは怯えたような言葉だった。
「いや実は、今日うちの両親は用事で留守なのだが……」
「は? 留守、かね」
「……ああ」
帰宅に歩みを続ける途中、上見坂駅からここまでかなりの距離を歩き、もうそろそろ美里の家が見え始めるという場所まで来ている。
そこに来ての美里の言葉―――。
それに対するのは克己の怒号だった。
「君はいったい何を考えているのかね! 君はよもや、両親のいない家で一人、夜を過ごそうと思っていたのか!? 君は今の状況が分かっているのかね!?」
突然の大声。それに対して美里は「仕方ないじゃないか」という言葉とともに顔をうつむかせた。
いつもは勝ち気につり上がっている目尻も若干やわらいでおり、まるで傷を負った子鹿のようにその様子は変貌している。
そして美里は、うつむきながら、申し訳なさそうな声色で口を開いた。
「お前に迷惑をかけたくなかったんだ。もちろん、私の母さんや父さんにもな。だから、その……言い出せなくて」
力なく呟かれた言葉。
それを聞くに克己は「バカな」と内心で毒つき、思わず眩暈を覚えた。今、美里に必要なのは他人の力であって、その力を頼るのに迷惑もクソもないだろう、と。
「…………」
克己は、隣りで歩く大人しくなった美里の姿を見つめる。そして美里の性格について考えるに、一つの特性に気がついた。
――――この女は異常なまでに他人の力を借りるのを拒む傾向にあるようだね。
今までの一連の騒動をともにしたことから結論づけられること。そしてそれはなぜだろうかと推測するに、
――――この痴女は女にしてはあるまじき力を持っている。今まではほとんどの問題を自分一人で解決してきたのだろう。だからこそ人に力を借りる必要はない……いや、これはそういうことではなく、どうすれば人から力を貸してもらえるのか分からないだけか。
命を狙われるという異常事態に、今まで何事も一人でこなしてきた人間が、初めて人の力を借りなければならなくなった。だからこそ戸惑い、人から力を借りるにはどうすればいいのか分からないのだろうと、克己は予測する。さらには、
――――両親には心配をかけたくない、と。
朝も思ったが、やはりこれは美里の我が儘だと克己は結論づける。親からしてみればこれほどに迷惑な話しはない。
だが克己も自分の身を考えてみるに、やはりそこだけに関しては美里に共感できるものがあった。だからこそ克己は、「仕方のないバカだ」と自分のことを棚にあげて、
「君の気持ちは分かった。だが、私は君の気持ちを無視する」
「え?」
「無視すると言ったのだ。君は今日、私の家に来たまえ。泊まっていくといい」
「な、何を……」
「とにかく、今日はうちに来るのだ。異論はないね?」
「い、いいのか、そんな……迷惑じゃ……」
「ふう、君も相当だな。まあいい、黙って私に付いてくるのだ。とりあえず君の家によって着替えなどを持ってきたまえ。待ってるから」
「……本当に……い、いいのか?」
美里の言葉にもはや克己は答えない。その沈黙こそが肯定の意思表示で、それ受けた美里は嬉しそうに笑った。
えへへへ、とはにかむような笑顔を見せ、それとともに美里は超スピードで自分の家へと走り出す。その光景を黙って見ていた克己は、ふむ、と頷き、いきなり生じたイベントの名前を言った。
「――――ドキドキわくわくのお泊まり会……だね?」
●●●
一軒の平屋から騒々(そうぞう)しい話し声が聞こえてくる。
木造で立てられた平屋。一階建てのその住宅は美里の家とは比べようにもならないくらいに年季が入っており、外装の木材が黒ずんで見えるほどだ。
平屋だけあってその面積は広い。
しかし、所々(ところどころ)隙間が開いているのか、冬になると室内でも0度を下回るのが困ったタネだった。そんな年季が入っているというよりはボロいと形容するのが正しいような平屋、そこの居間ではさきほどから夕御飯が振る舞われていた。
15畳ほどはある畳の居間である。そこにあるテーブルは古風なほり炬燵で、夏が近い今となっては面影も何もないが、しかし情緒というものを感じさせている。
そしてそのほり炬燵の上には、豪華とは言えないがそれなりの料理が並んでいた。肉じゃがに大根卸しの効いたサバの丸焼き。ご飯はどんぶり一杯によそられ、それだけ見ても予期せぬ来客を歓迎する意思が見て取れる。
その料理をさきほどから食べているのは、その家の住人である克己と招待された美里、そして克己の母親であった。
「どんどん食べてね美里ちゃん。お米だけは一杯あるから〜。うふふふ、白米フィーバーね?」
しゃもじ片手に克己の母親―――新城貴子は言った。
その顔には満面の笑みがあり、来客がそんなにも嬉しいのかいつもよりも3割増しのテンションだ。3割増しといっても普段と変わらないあたりが克己の母親たる由縁だろうが。
「あ、ありがとうございまひゅ」
美里は慣れない体験に思わず言葉を噛む。お泊まり会どころか友達と遊んだこともない美里にとっては何から何までが新しい経験で、面食らうことが多かった。
大丈夫だろうか、自分はなにか失礼を働いていないだろうかと美里は恐縮しながら、本日5杯目になるご飯のお代わりを元気いっぱいに要求した。
「おかわり!」
「うふふふ、一杯食べてね? 克ちゃんは普段小食だから、作りがいがないのよね」
客人にあるまじきお代わりの連打を見せる美里に、貴子はまったく動じていない。
それどころか、その顔には優しく微笑む慈愛に満ちた表情があり、口にした言葉がお世辞ではないことが伺い知れた。
「しかし君はよく食べるね。見ているこっちが胸焼けを起こしそうだよ。いつもそうなのかね?」
「そうだが……というかカツミが食べなさすぎなのではないか? そんなにも小食だから背が低いのだ。もっと食べなければ大きくなれないぞ」
「……そういう君は少し育ちすぎだと思うがね」
ボソっという言葉。それに反応したのはその場にいる2人の女性陣だ。
「克ちゃん、それはセクハラよ? いくら美里ちゃんの胸が大きいからって、そんなこと言ったら、メっ」
「そうか、カツミはやはり巨乳派だったのだな。ふふふ、今夜はこれで骨抜きにしてやる」
「私がしているのは身長の話しだよ! というか文脈からしていつ胸の話しになったのだね!?」
ダン、とテーブルを叩いて強調する克己。
その激高に貴子は「克ちゃん近所迷惑〜」と間延びした口調でたしなめた。それを受けてすぐさま大人しくなる克己。どうやら克己も母親には頭があがらないようで、いつもの暴走具合もここでは最終形態に移行することはマレらしかった。
「おかわり!」
元気な声が響く。今夜6杯目である。あれほどまでに山盛りだった米粒がこの短時間で一つとして見あたらなくなったのは軽い手品のような感じさえする。
「うふふ、どんどん食べてね。それに何か必要なものがあったら遠慮なく言ってね? 自分の家だと思ってくつろいでちょうだい」
再度、美里のどんぶりを山盛りにしながら貴子が言った。
それに美里は「はい」と元気良く答える。
そんな女性陣の意気投合を見て、克己は自分がなんだか蚊帳の外に置かれているような疎外感を感じていた。