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第十六話

 ずっとずっと好きだった。

 いや、それが真実、世間一般で言われるところの『好き』という感情なのか、自分でもよく分からない。それまでの私は本当にどうしようもなくって、持って生まれた強大すぎる力は、私に感情というものを生み出す余地すら与えてくれなかった。

 人の心を自由に操れる―――サキュバスとしての能力。精気を養うために私に付随していたその能力は、他のサキュバスとも異なって強力で、本来ならば不可能であることすら可能にさせていた。一瞬で人の自意識を奪って、操り、精気を抜くのに手間なんてかからなかった。そんな『精気』なんてもの、普段の食事で十分にとれるというのに、私は面白半分でその能力を行使し続けた。

 なんでも叶う―――自分の言うことを聞いてくれない男性などいなく、だからこそ私にとって周囲に存在している人間という生物は、精気をやしなうためのエサでしかなかった。エサ―――獲物、である。人間としてではない、ただの物体として、私の満足感を満たすためだけのエサとしての認識。普段食事でとる、意思など元からもっていない野菜や魚といったぐあいに、私にとっての人間とは単なる食材でしかなかった。

 それが、変わった。

 気付かせてくれたのはどこにでもいるような少年。

 その男の子からも精気をとろうと、その子の邪魔な意識を、自分にとって都合のいいものに変え、操り人形にしようとした時に異変が起きた。力を使っても、目の前の男の子は自分の意識を手放さない。必死な形相(ぎょうそう)を浮かべながら、それだけは勘弁だと決死の覚悟で抵抗する。必死に―――必死に……()を食いしばりながら。

 それは滑稽(こっけい)なものだったのかも知れない。所詮(しょせん)、男の子の行為は無駄なあがきだった。その微々たる抵抗は次の瞬間に霧散(むさん)し、いつもと変わらないような操り人形が出来上がった。……でも―――。

 でもそれは、私にとって許容できない現象だった。

 衝撃だった。理解できなかった。訳が分からなかった―――だから、それが始まりだったのだ。

 その男の子との交わりの中、私はゆっくりと理解していった。人間とは自らの意思を持つ強い存在なのだと。それを勝手に奪うのは、絶対にやってはいけないことなのだと。

 力を制御するために、自分の一部を封印し、そして新たな生活が始まった。

 その男の子といつも一緒に、両親の説得を押し切って高校も同じところに。そしていつしか自分の胸に生まれていた感情。それはどこまでも醜く、気持ちの悪い、それでいて私が一番欲していた思い。

 その男の子を私だけのものにしたい。

 その髪の毛一本から爪の先まで、すべてを独占していたい。

 誰にも渡したくない。

 誰にも触れさせたくない。

 誰にも見せたくない。

 誰にも話しかけさせたくない。

 誰にも、

 誰にも、

 誰にも、

 だから―――


●●●


 家庭科室。

 それが幽斐(ゆうひ)高校校舎の中で一番古い三番館にあるという事実だけで、その内装がどのようなものであるのかだいたいの見当(けんとう)はつく。

 不潔(ふけつ)、ではない。しかし、不潔(ふけつ)ではないということ以外に、そこが家庭科室として機能しうる要素はなかった。

 木造である。コンロは旧式というか歴史的価値があるような遺物である。そして、この部屋にガス管を通してから20年、なんの手入れもしていないという事実が実に致命的だ。

 時々(ときどき)、一人でにガスコンロから火がでることがある。水道は蛇口(じゃぐち)から出ずに(かん)の割れ目からでてくる。

 運が悪ければ部屋中にガスの匂いが立ち込める―――つまりガス管のどこかが破損(はそん)している。

 そんな危険地帯、オンボロと表現するには余りあるそこは、今では廃墟(はいきょ)というにふさわしい痴態をさらしていた。

 瓦礫(がれき)の山が形成されており、前方に設置されていた台の3つが跡形(あとかた)もなく破壊されている。

 フライパンやらナベやらボウルなどが散乱し、台の基幹(きかん)を形成していた材木がちぎれて奇怪(きかい)なオブジェに変わっていた。

 それら瓦礫(がれき)でできた山。うず高く存在するその雑多としたゴミの堆積に、今、何かが動くような気配(けはい)が感じられた。

 それは段々と勢いを増し、動きを見せ、次の瞬間その瓦礫(がれき)の山から紫苑が現れた。

美里に吹き飛ばされ、家庭科室の内装を廃墟(はいきょ)に変え、その瓦礫(がれき)の山に埋もれていた紫苑―――それがなんとか必死に、蹴られた腹を(かば)うような動きとともに這い出してきた。

 もはやその体に無事な部分などなかった。

 傷ついていない部位などない。全身に負傷を負っている。それもただの負傷ではなく、常人をして立つこともままならないといった重傷だ。

「ハアハア……く……」

 それでも、立つ。瞳には意思をたずさえて、紫苑はしっかりと両脚で立った。

 はあはあという息づかい。口の中に鉄臭いものがあると思い、それを吐き出してみたら大量の血液だった。

 どこにこれだけの血があったのだろうかと疑問に思うような大量の赤い液体が、口の中から吐き出され、木造の床で砕ける。

 鮮血が舞った。

 そして、胃の中身が逆流してくる予兆を感じた。胃酸の感覚が喉を通して鼻の奥まで伝わる。その形容し難い不快感を感じながらも紫苑は、胃の中身が外へとでないように必死になって我慢した。

「化け物ですかあの女は」

 正直な内心が言葉としてでる。

それは紫苑にとって、自分の浅はかさを言葉として表現するのと同じだった。

その声には焦りの感情があり、それと同じように紫苑の顔には焦燥(しょうそう)が浮かんでいる。

 ―――あそこまでとは思いませんでした……。

 絶対に勝てると思ったからこそ、自分は勝負にでたのであって、鵜飼美里があそこまでの化け物だと知っていたら、こんな勝負なんてしなかったのにと、紫苑は蹴られた腹をさすりながらに思う。

 カポエラという格闘技。それを取得している自分であるならば、いくら前評判の高い美里に対してだって負けないだろう。しょせん、美里はアマチュアで、なんの武術も学んでいない自己流なのであるから、強いといってもたかが知れている―――そう、さきほどまで思っていたのであるが、

「バカげてる」

 紫苑は思い出す。

 さきほどの光景。まるで本当に人間ではないかのような攻撃力を誇っていた美里の姿を記憶として喚起(かんき)する。

 その技の行使。単純に、蹴る、殴る、といったものでしかないそれらが、まるで一撃(いちげき)必殺(ひっさつ)最終(さいしゅう)奥義(おうぎ)のようにすら感じられた。あまりにも規格外(きかくがい)。人類としての常識が、彼女にはまったくとして通用(つうよう)しない。

 ―――救いといえば、その規格外は攻撃限定で、防御に関してはちゃんと人類の常識を無視していないということくらいですか……。

 殴られれば傷を負うし、心臓を(えぐ)られれば死ぬ―――その人間として当たり前の事実だけが、今の段階で見いだせる救いだと、紫苑(しおん)は情報を分析(ぶんせき)する。

さきほどの攻防(こうぼう)で、美里の左腕をおそらく不能にした。そのおかげで自分は、それとは比べようにならない傷を負ってしまったが、戦果(せんか)戦果(せんか)だ。その隙は、しっかりと抜け目なく利用しなければならない。

 そう思いながら、紫苑は一歩前へと出る。

 そして、さてとどう攻めますかと作戦をねろうとした。そのとき―――

「―――ガバぁ」

 口からさらなる鮮血。

 一歩、歩いた。それだけのことで身体は悲鳴をあげた。

 どうやら完全に胃がやられているらしい。破損、している。口からの血液の逆流はとどまることを知らずに、次から次へとあふれてくる。

 ―――これは……少々、厄介ですね。

 しかしその負傷を前にしても、白取(しらとり)紫苑(しおん)は止まらなかった。

 意識を腹の中身と(のど)にだけ集中する。

 そして紫苑は、気合だけで吐血(とけつ)を制止しようと腹に力をこめた。「フン!」というかけ声。そして、血液(けつえき)の逆流が、完全に止まった。

「――――」

 紫苑の瞳には意思があった。絶対に負けないという強い決意があった。その瞳をもって、紫苑は家庭科室の入り口付近へと目をやった。そこに来るであろう敵を想像し、神経を高ぶらせた。

「ふう ―――では」

 呟く。相手に合わせるようにして言葉のタイミングをずらす。

 そして、廊下から響く足音。こちらへと駆けて来るその音をしっかりと聞くに、紫苑は無表情のまま、



「―――ありとあらゆる性(手)技(段)をつかって、貴方を犯し(倒し)ましょう」


●●●


 家庭科室に飛び込んできたのは、目を見開きながら狂ったように笑う美里だった。

 脳内麻薬は彼女の自意識を奪い、戦闘狂(せんとうきょう)としての実力を遺憾なく発揮させる。

 なまじ意識があるからこそ左腕(ひだりうで)の痛みを感じてしまう。ならば感覚をマヒさせ、意識を手放してしまえば、あとはもう何も考えずに敵を殲滅(せんめつ)するだけでいい。


 (わら)う、(わら)う、(わら)う。

 哄笑(こうしょう)する、嘲笑(ちょうしょう)する、快笑(かいしょう)する。


 それら戦闘狂(せんとうきょう)としての笑顔はすべて紫苑に向けられている。

 いや、しかし今となっては『向けられていた』と過去形(かこけい)をもって表現するのが正しいだろう。

 家庭科室(かていかしつ)へ踏み込んだ瞬間、美里がとらえていたはずの紫苑の姿が、またしても消えた、視界から消え去った。

「―――ギャハっ」

 それは致命的な隙なのであるが、しかし美里は感じている。

 敵がどこにいるのかを、視覚ではなく聴覚をもって把握していた。

「そこだああああ!」

 美里から見て左側、そこに紫苑はいた。

 絡めとるようにして上段蹴りを放とうと、今まさに身体を屈めて臨戦態勢へと入っている紫苑の姿。

 紫苑はその状態のままに、目の前の美里を見据えて、思う。

 ――――いけるでしょう!

 そう確信しながら、自信をもって技を放とうとする。美里から見ての左側―――つまり、さきほど不能にした左腕側からの攻撃。

 この位置からならば遠すぎて美里は右腕を使えない。

 注意が必要なのは脚だけ……そこに気をつけてさえすれば、自分が攻撃を受ける心配はない。そう楽観し、紫苑が技を放とうと力をこめた―――そのとき、

「よいしょおおおお!」

 美里の上半身が回転した。ぐるりと右回りに体ごと旋回する。

 右腕を使った(うら)(けん)だ。

 その裏拳が、紫苑の頭部を狙って閃光(せんこう)のような(またた)きとともに放たれた。

 あまりの(はや)さに美里の旋回(せんかい)が残像として浮かび上がり、遅れて空気を割る音が響く。

 それは、避けられるはずもない一撃だった。というか認識できるはずがない。視覚(しかく)されて反応したのでは遅すぎる。

 防御など不可能な速度をもって放たれた裏拳。致死量を内包(ないほう)した死神からの招待状(しょうたいじょう)―――


 ―――だがしかし、初めからソレが来ることが分かっていれば、どうとでもなる話だ。


重畳(ちょうじょう)!」

 紫苑は、ブラフとして構えていた上段蹴(じょうだんげ)りのモーションをとりやめた。

 そして一歩だけ後ろに下がって美里の裏拳を()ける―――()けた。

 あくまでもカポエラの基本的な動作だけで、美里の裏拳を乗り越え―――

「《アルマーダ》!」

 空振りになった美里の裏拳。

 直撃を果たすことなく受け流されたその力は、そのまま回転として残っており、美里は体勢を整えることなど不可能。

 それをつくかのように、紫苑もまた美里と同じように回転した。



 左回り、

 大きく前へ一歩、

 華麗に、

 演舞を披露するかのように、

 完全に一回転、

 左回りに回る、

 回転が綺麗に一周する、

 身体が前へと向き直る、

 その刹那(せつな)

 美里の左脚が、払うようにして美里の頭部に炸裂(さくれつ)した。



「やあああああああ!」

 一回では終わらない。

《アルマーダ》が一回で終わるはずがない。右回転の余剰効果、軸を中心にして今だに紫苑の体は回っている―――それを利用しないはずがなかった。

 二発目。三発目。四発目。五発目……、

 回転が続く。紫苑の上半身の動きが視認できないほどに加速を増す。

 常人に確認できるのは脚のステップだけで、残像すら感じるほどにその攻撃は苛烈だった。

 紫苑が回転するごとに美里の頭部が破裂する。容赦なく直撃する紫苑の蹴りが、美里の意識を完全に刈り取ろうとする。

 美里の敗北はもう目の前だ。あとはなすすべもなく紫苑に嬲りものにされるだけ。それが未来における美里の確たるビジョン。

 しかし―――

 勝負がつく、美里の体が崩れ落ちるであろうという、その瞬間―――



 ―――最後の最後で、家庭科室が爆発した。


●●●


 ――――え?

 最初、何が起こったのか分からなかった。

 ただ、自分の体が衝撃を受けたということだけが分かった。それ以外は本当に何も分からなくて、自分が今立っているのか、宙に浮かんでいるのか、はたまた地面に横たわっているのか、感覚がつかめない。

 ―――な、なにが……

 状況を把握しようと、すべての感覚器官が消失した世界の中で思う。そしてそこでようやく気がついた。今自分は気絶する最中にあるのだということに。ゆっくりと、意識が遠のいていくのが分かる。

 周りの現状がどうなっているのか分からない。けれど、これだけは言える。なんの冗談か、バチバチと燃える音―――つまりは火災だ。ブラックアウトした暗闇の中で、聴覚と皮膚に伝わった情報が、今、家庭科室は火災の最中にあるということを教えていた。

 ―――こんなところで気を失ったら……

 まずいということは分かっている。だけどもう本当に身体に力が入らなくて、どうしようもなくて……鼓膜(こまく)が完全に麻痺(まひ)してきて……ただ聞こ…えるのは、遠くから……誰かが自分の名前を呼んでいるような……。

 それは決死の絶叫で……私の名…前……を呼んで…いて―――


 そして、ゆっくりと自分の身体が持ち上げられ、誰かの背中に背負われたということを認識したのを最後に、意識が完全に暗転した。


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