第十四話
「……私は、サキュバスという種族なんです」
―――獲物の体に馬乗りになり、食材の肌に10本の白い指を這わせる。
―――辺りはシーンと静まり返って、男の悲鳴しか聞こえない。
「サキュバスというのは、キリスト教における悪魔の一種ですね。人間の『性』に関する欲望を、悪として体現する存在。夢魔の一種で、男性の精を吸い取って生きていく、人ならざるもの」
―――筋肉が痙攣し、狂ったように暴れる。
―――犯されるように、壊されるように……。
「これが世間一般で言われているサキュバスなんですが、実際のところは、ほとんど人間と同じものなんですよ。人の精気だけを食料にして、男性を惑わすなんて化け物は、もともと存在しないんです。そんなものは、たんなる想像上の架空のサキュバス像なんですよ」
―――男の悲鳴。
―――犬のあえぎ声。
「食事だって普通のご飯でたりますし、男性の精気なんてとらなくても死ぬことはありません。背中に羽なんて生えてませんし……って、こんなことは今までに何度も説明してきましたけどね。【記憶の書】を新しくしたので、いちおう情報は更新しておかなくてはいけません。万が一もういっぽうの【記憶の書】が紛失してしまったら、新城くんの記憶が再現できなくなって困りますから……」
―――狂ったように痙攣する体。
―――やめてと叫ぶのは誰の口か。
「貴方は、私の所有物なんです」
―――口からはブクブクと泡。
―――いつから男は蟹になったのだろう。
「私の……私だけの物なんです。貴方の髪も、貴方の頭も、貴方の眉毛も、貴方の睫も、貴方の瞳も、貴方の鼻も、貴方の唇も、貴方の口も、貴方の耳も、貴方の顎も、貴方の首も、貴方の鎖骨も、貴方の肩も、貴方の腕も、貴方の肘も、貴方の手も、貴方の指も、貴方の太ももも、貴方の膝も、貴方の足首も、貴方の脳味噌も、貴方の声帯も、貴方の肺も、貴方の心臓も、貴方のアバラ骨も、貴方の胃も、貴方の横隔膜も、貴方の肝臓も、貴方の腎臓も、貴方の小腸も、貴方の大腸も……髪の毛一本から指先に伸びた爪まで、体中に巡っている毛細血管の一本一本にいたるまで……全部、すべて、なんの例外もなく全部、全部、全部……」
―――悲鳴は命の悲哀となって空気を震わす。
―――窓ガラスが震えるほどの心からの絶叫。
「……貴方は私の所有物なんです。私だけの物……だから、貴方を他の人には触れさせたくない、喋らせたくない、誰とも関わらないでほしい……そんな普通ではできないような非現実的なこと ―――それが、サキュバスとしての私にはできるんです」
―――目は焦点を失い、白目になる。
―――黒目がかろうじて残っているのが逆に気持ち悪い。
「人とほとんど変わらないんですけどね。サキュバスには、ある“能力”があるんです。自分の物だと定めた獲物を人にとられないために、普通では考えられないようなことができる能力……」
―――もはや理性をなくした男は、人間をやめて動物になる。
―――人間の尊厳などまったく見当たらないような、その醜さ……。
「事故誘因体質。トラブルメイカー。新城くんは、周りの人から自分がそう言われてたのに気付きませんでしたか?」
―――涙/鼻水。
―――あらゆる体液で染まった醜い顔。
「今まで、新城くんに近づく人は、男女関係なく、災厄に見舞われてきたんです。階段が滑り落ちそうになったり、本当に落ちてしまったり、大事な試合の前日にケガをしてしまったり、交通事故にあったり……新城くんに近づく人は、みんな等しく、災厄に見舞われました。そして、自然とこう言うようになったんです。 ―――『新城克己に近づくな。呪われるぞ』……と」
―――体の内側/痛み/快感。
―――命の危険を感じても、体は動かない。
「新城くんに近づく人は、誰一人の例外なく災厄に見舞われるんです。そして、誰も新城くんに近づこうとはしなくなりました。気味がるようにして行う自己保身。貴方に近づけば災いが起こる。下手をしたら命をおとしてしまうかもしれないというのに、貴方に近寄ろうなんて考える人は、普通いません」
―――叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。
―――悲鳴と命乞いの二重奏。
「それが、私の能力です。獲物に邪魔な横槍がはいらないように、誰もその人に近づかないようにさせる……私はサキュバスですから、本来、能力の対象は男性だけに限定されているんですけどね。女の人にも、間接的にであれば能力の効果は及ぶんです。つまり、貴方にほどこした【拡散確率因子変動能力】によって、貴方に近づいた人間は、男女関係なく災厄に見舞われるんですよ。
貴方に喋りかけた人、貴方に触れた人、貴方に近づこうした人は、不運にあう確率が高くなるんです。ほとんど100%に近いほどに、その人は確実に、間違いなくなんらかの不運……災厄に見舞われます。そして、誰も貴方に近づかなくなる……」
―――激しく、狂おしく、犯されて(くすぐられて)いく。
―――永遠にイき続けるような、無限の快楽地獄。
「鵜飼美里の不運も、すべて私のやったことです」
―――視界は真っ暗。
―――女の言葉は、誰かの悲鳴で届かない。
「あれほどまでに新城くんに近づいてくる女性は、本当に久しぶりでした。私も焼きがまわりましたよ。貴方に近づこうとする人間なんて最近いなかったものですから、術式の更新を怠っていたんです。ですから、鵜飼美里の命はまだある。ああして、わずかな危険にあうだけで済んでいるんです」
―――頭上を見上げれば、見知った女の姿がある。
―――無表情。しかしそこには、普段とは違う愉悦が。
「ですが、それも今日で終わりです。こうして本格的な術式を施せば、鵜飼美里の不運は今まで以上に高まります。この世に生存することができないほどに、彼女の災厄に見舞われる可能性は高くなる……貴方に近づいた瞬間に、死んでくれるでしょう。それはもう、確実に……」
―――脇の下、下腹、太ももの内側。
―――犯され(くすぐられ)すぎて、感覚がもうない。
「その能力……【確率因子変動能力】を施すには、新城くんの自意識をなくす必要があるんです。私本来の力ならば、こんな面倒くさいことをしなくても術式を施す事は可能なんですけどね。その能力のほとんどは封印してしまいましたから、こうしてくすぐり続けて、貴方の意識を堕としてあげないといけないんです。
こうしてくすぐり続けるのは大変なんですけどね……そう、本当に大変で面倒なんですが、面倒すぎて段々と嫌になってくるほどに著しく気乗りしないんですが……貴方のことをくすぐって、深層意識にダイレクトにリンクしないといけないんです。本当に面倒くさいです」
―――くすぐりは激しく、体全体を万遍なく犯していく。
―――男の精を貪り食らう魔物。
「それにしても、新城くんの痴態は素晴らしいですね……そんなに私の指がいいんですか? ただくすぐっているだけなのに、もうイキっぱなしじゃないですか。体中の皮膚という皮膚が開いてしまうかのような快感。一度これを味わったら、たとえ記憶を失ったとしても体が覚えていて、奴隷みたいになるんですけどね。まあ、新城くんに限ってそれはないでしょう。今までも耐え切ってきましたしね。腹立たしいことに。
……涎をたらして、涙を流して、獣のような悲鳴と、言葉になっていない命乞いの哀願と……ほら、そんなに痙攣しては頭を打ちますよ? ガクンガクンって、脳震盪をおこすように痙攣して……気持ち悪い、醜い、浅ましい、トんじゃってるその顔……ダ、ダメですよ……そんな、そんな……アア……魅力的すぎます」
―――恍惚とした表情。
―――見る者に性的衝動をもよおさせる、その危うさ……。
「アハ……ほら、これがいいんですか? もっと、もっと、もっとです……もっともっと、乱れて、狂って、痴態をさらして、ありのままの新城くんを見せてください。そうです。そう……アア、その悲鳴は最高ですね。声が裏返っちゃって、もう自分でも何を叫んでいるのか分からないのでしょう? 理性からくる悲鳴ではなく、生物としての生存本能がさせる根源的な生への渇望……これを一度でも聞いてしまうと、どうしても病みつきになります。ず〜と、聞いていたくなる。一生、休むことなく、永遠に鳴かせ続けたくなってしまいます。でも、それは現実的ではないですしね。今日のところはやはり、あと6時間ほどくすぐり続けることで自重しましょう。休むことなくじっくりと、新城くんの体を撫で回してさしあげます。
……そんなに嬉しいんですか? 6時間と聞いた瞬間に、悲鳴の度合いが明らかに増しましたが……そうですか。新城くんがそこまで望むのであれば、今日は夜通しでくすぐってさしあげてもかまいませんよ? 明日の朝、生徒が登校してくるまでのあいだ、誰にも邪魔されることなく、朝までくすぐり続けてさしあげましょう。大丈夫。私のことなら気にしないで下さい。6時間も12時間も変わりはありませんから。私は、貴方さえよかったら、本当にずーと、永遠にこうしていたいとさえ思っているんですからね。私のことは気にせず、どうぞ私の指に感じ入っていてください。
フフフ、ぶくぶくと口から溢れてくる泡は、どうしようもなくみっともなくて、動物じみていて、あまりにも魅力的ですね。知っていますか? 男の人が我慢できる快感の度合いっていうのは、たかだか射精するくらいの快感なんです。それ以上の快感は、男という性質上感じることができないんですよ。でも、サキュバスの私ならば、それ以上の快感を与えることが可能です。直接貴方のものに触れなくても、通常では考えれないような、普通の男性では一生経験できないような快楽を与えてあげることができます。
……やりすぎると狂っちゃって、廃人になってしまうんですけどね。大丈夫です。私を信頼してください。新城くんがいい子にしていれくれば、壊れるというギリギリのところでやめておいてあげますから。最大限の快楽を感じながら、狂うか狂わないかの瀬戸際を体験する……ほら、考えただけでも素晴らしいでしょ? 今からその時がくるのが楽しみですね。今日はゆっくり責めるので、そこまでの快感を感じるには、あと3時間ほどは必要でしょうか。壊れるか否かというその段階までくると、もう本当にすごいですよ。はたから見ているだけでも様子が違って見えるんです。体はおかしなくらいに痙攣し始めて、目玉はレム睡眠時みたいにグルングルン黒目が回り続け、口からでてくる泡の量が漫画みたいになって、涙と鼻水で顔は大変なことになって……アハぁ! はやく……いっそのこと、いっきにそこまでの快感を送ってあげようかしら……。
……いえ、やっぱりダメですね。そんなことをしたら、新城くんが壊れてしまいますから……アア……でもちょっとくらいなら……一瞬くらいならいいでしょうか……ここまで我慢してきた自分へのご褒美に、乱れまくって痴態をさらす新城くんの姿を……一瞬……そう、ほんの少しだけなら……。
……くすぐる強さはそのままでいいんですよ。ほら、ちょっとだけなんです。貴方の中に流れている精気の循環……つまりそういうツボの部分を的確に刺激して、刺激して、それを全身単位で続けていけば……あっというまに……。
……足首からふくらはぎにかけてをまずゆっくりと、こんな感じで流れにそって、サキュバスの能力もつかって刺激して……アハ……すごい悲鳴です。貴方の体が、生命としての危機を感じ取ったんですね。でも無駄ですよ。私から逃れることはできないんです……ふくらはぎから太ももにかけて……ビクンって痙攣しましたね……うふふ、まるで陸にあげられた魚みたいです……さらにそこから……下腹にかけてを、重点的に―――」
―――怪しく目を光らせて、男の体に没頭する女。
―――彼女の視界は目の前の獲物に没頭/視野狭窄。
―――気付けない。
―――彼女は気付けない。
―――どんどんという足音。
―――悪魔のような不気味なオーラ。
―――ソレが三番館の校舎に侵入。
―――さらには部屋のドアの前……。
―――捕食活動にいそしむサキュバスがいる部屋……そのドアに手をかけた化け物の姿に、夢魔は最後まで気付けなかった。
―――ドアが開けられる。
―――そして、現れた女が、目を見開き、指をさしながら、
「貴様あああああ! 私のカツミに何をやっているのだああああ!」
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美里の目の前には、衰弱しきってトんでしまっている克己と、それに馬乗りになる紫苑の姿があった。
黒装丁の本を読んでから、すぐさまに学校へと直行。
すべての事情を知り、今までのことは何もかも紫苑の仕業だと理解した美里は、忍耐という言葉を忘れて、わき目もふらず学校へ駆けつけた。
そして、目にする。
紫苑が克己のことをくすぐっている光景を……。
体の自由を奪って、克己に対して好き勝手をする女の姿を……。
自分という乱入者が現れたというのに、紫苑は依然として克己のことをくすぐり続けている。そのたびごとに克己の体は痙攣して、悲鳴のような奇怪なあえぎ声が、その口からもれ出ていた。
「…………」
許容できるはずもなかった。怒りはすでに臨界点を突破していた。
頭の中の血管が切れる。
自然と、美里は右拳を堅く握っていた。
そして、克己に馬乗りになっている紫苑に対して、情け容赦のない拳を……。
「―――私を殴る気なんですか?」
その動きを制するように放たれた紫苑の言葉。克己をくすぐることはやめずに、ゆっくりと 紫苑の顔が美里の方向へと向く。
無表情。冷淡な瞳。妖艶な雰囲気を兼ね備えた……風貌。
こちらを淡々と見つめてくる紫苑を、美里はギリっと歯軋りをしながら睨み返す。
そして、殺意と憎悪を言葉にこめて、言った。
「……殴られたくないのなら、とっととカツミの上から降りたらどうだ? それと、カツミをくすぐるのはやめろ。今すぐにだ」
「…………」
「そして、これが一番重要なことなんだが、二度とカツミに近づくな。カツミの半径5メートルの円の中に入るな。そうすれば、痛い目にあわなくてすむぞ」
拳をつきつけて、脅す。
それに対して紫苑は、「バカバカしい」と毒つくように嘆息した。
「……やれやれ、何を言いだすかと思えば……鵜飼さん、それはなんの冗談ですか」
「……私が冗談を言っているように見えるのか」
「はい、そのとおりです。私が新城くんから離れる? そんなことありえません。新城くんは私のものなんですよ? 私だけの物。私のだけの所有物……自分の所有物を、人から手放せと言われて、はいそうですかと、簡単に手放すわけないでしょ」
「所有物……だと?」
「はい、そうですよ。新城くんは私の所有物なんです。他のサキュバスにとられないように契約もかわしてますしね。新城くんをどうしようと、すべて私の自由なんですよ」
「…………」
「それを手放す? ……有り得ない。私には、貴方が何故そのようなことを言ってくるのか、まったく理解できません」
「…………狂ってる」
美里は紫苑の表情を見るに、目の前の女が虚勢をはっているわけでも、いまこの場を逃げるために嘘をいっているようにも思えなかった。
本気―――本気で紫苑は、克己は自分の所有物であると思っている。当たり前すぎて常識になった事柄を、懇切丁寧に、何も知らない子供に対して教えるような真剣さ。
そこには狂気がやどっていて、思わず美里は背筋を凍らせた。
―――しかし、このまま引き下がるわけにもいかない。いったい、どうすれば……。
紫苑を克己から引き離すにはどうすべきか。妄信的なまでに克己に対して思いを募らせている紫苑から、克己を解放し、その怪しげなサキュバスの力から解き放つにはどうするべきか。
たどり着いた答えは、一つだった。
それは―――。
「―――勝負だ」
「……はい?」
「私と一対一の勝負をしろ。それで私が勝ったら、カツミのことはあきらめろ。二度と、カツミには近づくな。そのかわり、お前が勝ったら―――」
「…………」
「―――お前が勝ったら、私は二度とカツミには近づかない。一生、カツミとの接点を絶つ……それで、どうだ?」
間。二人の女性の間に動きがなくなり、克己のあえぎ声だけが教室の中に響く。
しかし次の瞬間、意を決したように覚悟を決めた紫苑は、克己をくすぐるのやめて、ゆっくりと立ち上がった。そして、
「いいでしょう。その勝負受けて立ちます」
「決まりだな…………では、早速―――!」
間髪いれずに、美里の体が疾走した。
それを、紫苑が迎え撃つ。
今、一人の男をかけた、女達の壮絶な戦いが始まった。