第十三話
白取紫苑という女性に出会ったのは、小学生の時だったと克己は記憶している。
その頃は、やっと自分の厄介な性格を認識し始めたころで、不器用ながらもいろいろな活動や内省に励んだのを今でも覚えている。
今となっては無駄であると分かっていることも、当時の自分にとってはことごとくが重要だった。まるでその行為が世界の命運を握っているのではないかと、本気で思っていたのだから始末におえない。
そんな痛々しい小学生時代に、紫苑は自分の前に現れた。克己は今でも覚えている。紫苑が克己の学校に転校してきたときのことを。
その無表情で人を寄せつけないようなオーラをまとっている少女の姿を克己は昨日のことのように思い出せる。
それからさまざまな紆余曲折があり、彼女と友人関係を形成するに至った。
自分の“性質”のせいで、気味がるがって近づいてこない周りの人間とは異なり、紫苑はその後も自分の友人でいてくれた。
そのことに、どんなに感謝していることだろう。おかしな思想と難儀な性格をかかえた自分が、人並みに学校生活を営んでこれたのも……すべてとは言わないがほとんどが彼女のおかげだ。
これからもこの関係を続けていきたいと、克己は切に祈っている。自分ひとりで完結している克己にとって、紫苑はかくのごとく、ほかに代えることができない大切な存在だった。
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「坂上くん、貴方は一応、条例のほうを調べて下さい。ある一定以上の火力の行使は禁じられている可能性がありますから、とにかく条例のほうを。図書室に関連法令はすべてあるので、それでお願いします」
教室大の室内で織りなされる、人と書類が作る喧噪―――その中にあって紫苑は、さきほどから生徒会役員の面々に指示を送り続けていた。
合計で7人の正式生徒会役員とプラス克己の姿。
それがあるのは幽斐高校の三番館―――木造校舎の中にある生徒会室だ。『コ』の字形に配置された長テーブルの各所に役員達は座り、押し寄せる仕事に忙殺されていた。
書類が舞い、怒鳴り声が響く。その動きの中で、携帯電話を片手に交渉を続けていた者から悲鳴にも似た嘆願が紫苑に向けられた。
「か、会長! キャンプファイヤーを行う予定だったサッカー部のグラウンドの使用許可がとれません。頑なにサッカー部のキャプテンが固持しています」
「……理由は?」
「なんでも、キャンプファイヤーを行ったあとには燃えカスが残るし、グラウンドがどうしても汚れてしまうからだとか……神聖な場所を黒こげにすることはできない、と」
押し黙る紫苑であった。
場所の確保は最低限なされなければならないことで、それができない場合には、調達した木材などがすべて無駄になってしまう。
そうなっては虎の子の生徒会費を使った意味がなくなり、ひいては議会の連中に不信任案提出の口実を与えてしまうことになるだろう。
ここまで一瞬にして考えた紫苑は、しかし横から救いの手がさしのべられるのを聞いた。それは紫苑の横に座る、克己の言葉だ。
「ならば、防火シートを敷けばいいのではないかね? たしか昨年度の『ドキっ!! 恋する乙女の炎も止める消化器使用講習!』で使うため、防火シートを購入していたろう。それをすべて使い、キャンプファイヤー予定地に敷き詰めれば、グラウンドが汚れる心配はないね」
放たれた言葉に「それです」と実行の命令を発する紫苑。すぐさまに管轄の災害委員会に連絡し、防火シートの提出を求めた。しかし問題はそれだけではない。今度は地域住民との架け橋を担っている役員から、
「会長! 近隣住民から、やはり19時から20時まで学校にて騒がれるのは迷惑だという苦情が多くあるようです。これでは改善に向かっている近隣住民との仲に新たな確執を生んでしまうのでは!?」
「……実弾を投入してください。町内会長、副会長宛に『慶應』1枚ずつ。あと近隣住民で70歳以上の老人がいる家庭に、創立祭で使用できる校券を一人あたり500円をめどに配布してください。近隣住民の勢力を分断し、一つにまとまられるのを避けましょう。とにかく、多数派に恨まれなければいいんです」
問題は山積みで、それごとに紫苑の指示と克己のアシスタントが入っていく。生徒会を指揮系統として、その実行は常備委員会と創立祭特別委員会の面々がこなしていった。
まるで嵐のような放課後だった。幽斐高校では土曜日は午前中授業で、だからこそこうして午後のすべてを創立祭に向けた準備にあてられる。
喧噪そのままに、生徒会の全員はキャンプファイヤーの実行にと奮闘をし続けていった。
実家が木材屋の生徒から木材のクズを調達し、火種とする。丸太はさすがに譲ってもらうことはできずに、これもまた予備費である生徒会費から捻出することになった。
創立祭終了後には例外的な事後承諾を議会から得なければならず、議会に攻撃の口実を与えることになってしまうのだろうが、今はそんなことよりも創立祭の成功に向けた努力が急務であった。
そうこうしているうちに時間はすぎていく。
日が暮れ、下校時刻が過ぎる。その段階で今日の分の仕事は終了し、雑多とした書類の山も片付けられていた。
今では、ほとんどの生徒会役員は帰宅し、克己と紫苑だけが残っているだけだ。
現在19時を過ぎ、夜天には丸々と太った満月がでていた。校内はシーンと静まり返っており、幽斐高校創立時からあるという木造建築の校舎は、どこか幽霊屋敷のような様相をかもしだしている。
その幽霊屋敷ぶりが伺い知れるように、幽斐高校の学校の七不思議は、ほとんどがこの木造校舎をモチーフとしたものばかりである。
現に克己たちのいる生徒会室にも『自殺した男子生徒が夜な夜な奇怪な喘ぎ声をあげる』という眉唾ものの怪談があった。
そんな歴史的遺物として価値があるような木造校舎―――その中にある生徒会室で、克己と紫苑は、忙殺された仕事の疲れか、何をするでもなく椅子に座っている。
シーンと静まり返った木造校舎に二人きり。克己は、小学校の頃から付き合いのある紫苑に、机を挟んで向かい合っていた。
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「……すみませんでしたね、新城くん。創立祭の準備を手伝わせてしまって」
「なに、かまわないよ。待ち合わせは夜ということだったのに、早く来すぎた私も悪いのだしね」
「……そう言ってくれると、助かります」
学校に早く着きすぎてしまった克己は、紫苑の頼みを聞いて生徒会の手伝いをしていたのだった。
その際にも、他の生徒会役員から煙たがれるようにして邪険に扱われたのだが、克己はそんなことは気にしていない。
嫌われるのには慣れているというか、もはやその周りの反応が自分の一部になっているような気もする。
嫌われるのが“日常”などと割り切るのは気持ち悪いが、とにかく紫苑の役にたててよかったと、克己は椅子に座り、紫苑を見つめながら、そう思う。
――――それにしても、案外、紫苑君の機嫌はよさそうだね?
上機嫌そうな紫苑の姿を見て、克己はホっと安心していた。
昨日、最後に会ったときには、無表情の中にも自分のことを蔑むような感情があって、“不機嫌全開!”と主張していたのだが、今の紫苑からはそんな様子は感じられない。それどころか、明日の遠足を楽しみにしている子供のように、何かに期待しているような様子が、目の前の紫苑からは感じられた。
紫苑に怒られるのではないかとビクビクしていた哀れな男は、途端にリラックスする。そして、ふむ、とばかりに一息いれてから、
「ところで、紫苑くんは今日学校を休んだというのに、放課後だけ出てきたのは大丈夫なのかね? 教師に何か言われたりしないのだろうか」
「それは大丈夫です。先生には、一日休んだら調子がよくなったので、せめて創立祭の準備だけでも行いたいと、許可をとってありますから」
「ほう、やはり日頃の行いがいいと、なかなかに利益があるのだね」
「まあそうですね。ダテに生徒会長なんていう面倒くさい仕事を引き受けてませんから、それ相応の見返りみたいなのは、確かにあります」
「ふむ、それに紫苑くんは優秀だからね。この生徒会室だって、元々は資料室として使われていたのを、先生方が君の仕事がはかどるようにと準備してくれたのだろう? 並大抵のことではないよ、それは」
「……ほめても、何もでませんよ?」
夜の校舎で、他愛もない雑談に興じる2人。思えば、美里が現れるまでは、こうして毎日のように紫苑と話していたのだったなと、克己は遠い過去を思うようにして思い出していた。
そこに若干の感慨を感じざるをえない。ああ、そういえば自分の日常とはこういうものだったなと、原点回帰でもするかのように悦に浸る。しかし―――
――――この状況は普通とは言えない、か。
紫苑からの呼び出しを受けて、不気味さが支配する夜の校舎に、今、自分はいるという現状。はたして、なぜ紫苑は自分のことを呼び出したのか、それも下校時間のとうに過ぎた夜の学校をワザワザ指定してきたのは何故なのか。克己は、他愛ない紫苑との会話を楽しみながら、自問自答する。
そんな克己に対して、紫苑が何気ない様子をもって、口を開いた。
「……それで、新城くん」
「ん? なにかね」
「昨日言っておいた、あの本のことなんですが……持ってきていただけたでしょうか?」
「ああ、もちろん。それならば、バックの中にいれて、ここに……」
なかった。いつも持ち歩いているバックが、今ここにはない。
グルリと周囲を見渡すが、広々とした生徒会室には机とパイプ椅子しかなく、目当てのものは見つからない。どこかに置いた覚えもないし、これはどういうことだと考えるに、
「す、すまない紫苑くん。どうやら本をいれたバックごと家に忘れてきてしまったようだ」
「…………」
「そ、そんなに大事なものならば、今からでもとってくるが……」
「いえ、けっこうです。こういうこともあろうかと、予備の本を持ってきていますから」
そう言うと、あの見覚えのある魔術書じみた本を取り出す。
それは、克己の持っていたものとほとんど同じもののように思えた。
「おお、それは助かった。さすがは準備がいいね、紫苑くんは」
「いえ、当然のことです。“計画は常に万全に”ですから」
「計画というと、やはりこれから何か始めるのかね?」
「はい、その予定です」
「う〜む、やはりな。君があそこまで強く約束をとりつけてくるなど、今までになかったことだからね。なあに、なんでも言ってくれたまえ。他ならぬ紫苑くんの頼みだ。それがなんであろうと、私は応じるよ」
「……それは、よかったです」
それっきり、黙りこむ紫苑。よほど言いだしにくいことなのか、紫苑は克己をまっすぐに見据えながらも、それ以上、克己に対して言葉を続けることはしなかった。
ただ小さな声で、独り言のように―――
「……【記憶の書】を忘れたということは……ことなんでしょう……鵜飼美里の影響は……たしの思っていた以上に……」
「ん? どうしたね紫苑くん。もう少し大きな声で、」
「…………まさか……深層意識に埋め込んでおいた……まで効力が薄まっているのであれば……に手立てが……」
「し、紫苑くん?」
とまどい。
それに対して紫苑は、持っていた“本”を目の前の机に勢いよく置くことで答えた。ゴンという音が響いて、場の空気は一変する。
それは始まりをつげる銃声の音。
日常と非日常とをへだてる境界線が、今、確かな音をもって崩壊した。
「―――それでは、始めましょうか」
●●●
机に置いた禍々しい装丁の黒本を、紫苑は丁重な手つきで、開く。
克己がいくら試みても開くことのなかったその本が、簡単に開いた。その途端、本の中から暖かい風が吹き、色をもった空気の動きとして克己の周りをとりかこむ。
その風の動きは、意思をもっているような変幻自在の動きだった。普通の風ではないことがすぐに分かる。
おかしな現象。
非日常。
こんなものは、まるで……魔法のような―――
「さてと、【記憶換装術式】の準備は完了しましたし、あとは貴方の体だけですね」
「し、紫苑くん?」
「そんなに怯えた表情をしないください。すぐにすみますから……と、もうそろそろですかね。【弛緩香】の充満した部屋で10分経過……はい、すべて準備は整いました」
「な、何をいっているかね紫苑くん。というか、私の周りを囲んでいるこの風はいったい……」
「その風は、貴方の精神脈動に連動して、この“本”の中に記憶を置き換えるためのパイプラインですよ……そんなことよりも―――」
猛禽類を思わせる鋭い目付き。
紫苑は、獲物を前にしての高ぶる興奮をそのままにして、
「―――新城くんの体は、まだ動きますか?」
「―――っ!?」
―――体が、動かないっ!?
紫苑の言葉に対して、克己は腕に力をいれようとしてみる。しかし、その体はビクとも動かなかった。まるで筋肉という筋肉が弛緩してしまったかのような脱力感が克己の全身を支配している。
それは、握力がほとんどなくなっている状態で、手を握り締めようとしている状況に似ていた。力をいれようとするのに、疲労しきった筋肉がそれを拒む。克己の体は、完全に弛緩しきっている。
「―――準備はすべて整ったようですね」
言いながら、紫苑が克己の体を正面からゆっくりと押した。
ふんばりのきかない克己の体は、それだけで座っていた椅子から転げ落ちた。
「ぬ、ぬうっ!?」
受身もとれないまま無様に倒れこむ。全身に痛みが走った。しかし、その苦しみよりもなによりも、今なにが起こっているのか―――その未知への恐怖のほうが格段に上だった。
何がなんだか分からない。目の前の出来事を現実のものと認識することができない。自分の体が突如として動かなくなったこと。さらには、自分のことを見下ろしてくる妖艶な雰囲気を纏った紫苑の姿。
それは、今まで見たこともない光景……のはずだった。しかし、どこかで自分はこの状況を経験したことを覚えていた。
記憶にはないが、体が覚えているというか、とにかく何度も何度も経験したことに対する確かなデジャブを克己は感じていた。
そんな困惑する克己に対して紫苑が動きをみせる。紫苑は絶対零度の中にも愉悦の浮かんだ視線で、克己のことを見下ろしながら、
「……新城くん、私思うんですけど『3』という数字はとても不安定ですよね。『4』ならばいいんです。まだ安定しています。でも『3』という数字はとても不安定で不純物が入っていて、とっても気持ちが悪いですよね?」
「な、何を言っているんだね。というか、なんで私の体は急に動かなく……」
「……だから私『1』を引こうと思うんです。『3‐1』は『2』ですよね? ほら、とっても安定しています。もともとは『2』だったんですから、『1』引くことに何もおかしいことはありません」
幽鬼のような印象。
フラフラと、現実に定まっていないかのように揺らめく魔物。
紫苑は言葉を切ると、動けないままの克己の体にゆっくりと馬乗りになった。
仰向け状態で寝そべる克己の腹に腰かけ、真正面から克己の怯えた顔を見下ろす。そして紫苑は、克己の腕をとってバンザイをさせた。
「それじゃあ、いきますね」
「な、何を、あひゃひゃひゃひゃひゃ!」
唐突―――紫苑は克己の体をくすぐり始める。
バンザイをさせた脇下を中心に、紫苑の細く長い指が這い回っている。
情け容赦のない、手加減なしのくすぐり。
「にゃ、にゃにをするのひゃひゃひゃぁぁ」
「喋らないでください。舌をかみますよ」
紫苑はくすぐりを止めずに言った。
馬乗りになりながら、暴れる克己を拘束し、そして容赦なく指を体に這わせていく。
白くて長い指が体を往復するたび、自分の体は嘘のように痙攣する。笑うということがこれほどまでに苦しいものだとは知らなかった。
まるで痙攣するかのように、溺れる水の中で必死にもがくように、体は暴れていく。
「あひゃひゃにゃああぁぁ!!」
「狂ったような悲鳴ですね。でも力を使うには、新城くんの自意識をなくす必要があるんです。もう少し頑張ってください」
「あひゃアひゃぎゃぁあ! やめひゃああてぇぇぇ!!」
「涎をとばして、肺の中の酸素をすべて吐きだすしかないほどに笑って、笑って、笑って……苦しいですか? 新城くん」
「ふひゃはぁああ! あひゃヒュぎゅうぁぅぅ!」
「……聞くまでもなかったですね。でも大丈夫ですよ。すぐに夢心地になります。新城くんの体のどこをどうくすぐれば一番いいのか、私には分かってますから。ほら、これまでの経験上、こうすると……」
言うと紫苑は、右手で克己の内太ももを下から上になぞった。
サワサワと触れるか触れないかの微妙なタッチで、紫苑の細く長い指が、克己の内太ももを蹂躙する。
途端、克己の体はビクっと大きく痙攣し、感極まった悲鳴があがった。それはさきほどまでとは違い快楽をもった悲鳴だった。
「やみゃてぇ…ひゃあああ! はぎゅうぅぅ、おねひゃいぃぃ」
紫苑の10本の指が克己の全身を犯していく。敏感な部分をすべてくすぐり続け、克己が許しを哀願しようとも容赦するそぶりさえ見せない。
克己の両目から黒目がなくなり、完全に白目になる。
そして、ビクっと痙攣して腰が浮き上がり、体が弓なりにそった。しかし、紫苑はその暴れる体を、まるで荒れ馬を制するかのような見事さで制御していた。
「新城くん、いい顔になりましたね。目も裏返っちゃって……でもまだですよ。もっともっと乱れてください」
「ひゃあああ…やみゃあア! ひゃはひゃヒぃ……ゆるひへえぇぇぇ!!」
紫苑は、克己の体に指をはわせ、衣服を剥き、肌という肌に快感を塗りこんでいく。
痙攣して笑い続ける克己。
そして紫苑は、今までの2人の関係が分かる言葉を、その口から言った。
「――――貴方は、私のものです」
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「ん? なんだこれは……」
克己の部屋で、美里はある物を見つけた。
克己がいなくなってから、おもむろにはじめたエロ本探し。それに飽きつつあった美里はすぐさまその見つけたものに近づく。
それは、机の上に無造作に置かれていた。
「これは……克己の通学用バックではないか。なんだあいつ、学校に行くのに持っていかなかったのか」
どれ、とばかりにその中を開ける。開け放つ。プライバシーなど知らないとばかりに、堂々とバックを開け、そして黒装丁の“本”を取り出した。
「やはりこれも忘れていったか……そうだ、ついでだからこれも物色してみよう。たしか、カツミはどんなにがんばってもこの本は開かないと言っていたな」
しかし、自分の力ならワケもないことである。美里は力いっぱいに、本を開けようと―――
「って、なんだ、簡単に開くじゃないか。危うく破くところだったぞ」
簡単に開いたその本。黒装丁の魔術書じみたソレを、美里は「どれどれ」と興味深そうに読んでいく。
それは、時代錯誤にも手書きの本だった。万年筆で書いたのか、黒いインクが所々ににじんでいて、古風な様相をかもしだしている。興味をひかれた美里は、その文字を目で追っていった。
その、内容―――
「な、なんだこれは……!」
絶句。
驚きを隠せぬままに、文字を追っていく。
そこには、信じられないことが書かれていた。それは一人の人間の体験したことを文章にしたもののようで、その語り口には聞き覚えがあった。
しかし、それよりもなによりも驚愕するのは、その内容である。
美里は信じられなかった。しかし、信じるしかなかった。今、自分の身に起こっている不可思議な不運。その答えが、すべてこの本の中に書かれている。
思えば、自分が命の危険にあったときには、常に克己が横にいた。それとは逆に、克己と一緒にいなかったとき……自分の自宅にいたときには、まったくといっていいほどに危険な目にはあわなかった。その矛盾、不具合……その答えが、すべてこの本の中につまっている。
ありえない。
いやしかし、こう考えればすべては繋がる。伏線は伏線として、今、自分に起こっている出来事を説明できてしまう。
「しかし、信じられん……まさか……」
本の内容。
その中で一番にありえなく、信じられないことを、美里は言葉にしてだす。
「―――白取紫苑が、サキュバスだと!?」