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君の道にもし色があるのなら  作者: 緒花
祓い師の娘
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捌 食事

 都子が引き戸に手をかけたその時。


 グー…。

 都子の腹が小さく悲鳴を上げた。


 「あ」


 都子は腹を抑えた。


 「あはは、都子のお腹が鳴ったー!お腹空いたんだー!やっぱり寝る前に食べれば良かったんだよ」


 拍子抜けする程高らかに笑う飛虎の声が聞こえた。


 「お前たち夕飯食べてないのか?」


 笑い転げる飛虎に睨みをきかせ、風呂敷に入っている魚を見下ろした。


 「都子、今日はご飯食べて休もう?除霊は明日の朝でも大丈夫だから」


 「う、うん。…あの、良かったら一緒に食べませんか?生ものだからすぐ腐らせちゃうし、二人じゃ食べきれないから。捨てるのは魚に申し訳ないし…」


 嬉しそうに風呂敷を広げる飛虎を見ながら男は目を丸くした。


 「…随分と大漁だな。ではお言葉に甘えてお裾分けいただくよ」


 この家にはいくらか薪が残っていたので囲炉裏で火を焚いて魚を焼いた。少し時間が経っていて身がぼそぼそしていたけど火を通せば大抵の物は食べられる。友人の受け売りだ。

 初めて自分で釣った魚を嬉しそうに頬張る飛虎を眺めながら都子は焼き上がった二匹目の魚に齧り付いた。


 「あの…その足痛くないんですか?」


 全身返り血だらけで気づかなかったが、男の右足には大きく抉られたような傷痕があった。何か巨大な刃物に傷つけられたような、獣に爪で引っ掻かれたかのような痛々しい傷だ。

 普通の人なら激痛でのたうち回るだろうその傷を、男はまるで擦り傷を労わるようにケロッとした顔で傷口に唾をつけた。


 「痛くない。痛みは感じないんだ」


 壊死して痛覚が死んでしまったのだろうか。ただこの状態をこのまま放置するのは好ましくないと思った。

 都子は、小袖から赤い巾着袋を取り出し、炎症止めの薬草を何種類か取り出した。適当な器と棒を用意して器に薬草を投げ入れ、すり潰す。最近作ってなかったから手順を忘れたかもと思ったが身体が覚えていたようだ。薬の煎じ方は恩師のところで一緒に学んでいた友人から習った。炎症止めの他に解熱薬、腹痛に効く薬の作り方も教わった。一人旅で何か起きた時に自分で対処できるように知り得る限りの薬の作り方は叩き込まれた。簡単な解毒剤だって作れる。


 「慣れた手つきだな」


 「そうでしょうか」


 出来上がった塗り薬を男の傷口に塗りつける。滲みるかもしれないけど痛覚がないようだから別に伝える必要もないと思い、言わなかった。


 「一晩安静にしてれば痛みも……熱も引いてると思います」


 熱があるのかも分からないけれど。


 「ありがとう、助かる。痛みを感じないせいで傷に気づかず足や腕を何度も駄目にしてしまったことがあるんだ。娘さんのお陰でこの身体を捨てずに済むよ」


 「身体を捨てる?その身体は自分の身体じゃないんですか?」


 「この身体は俺のものじゃない。そこら辺に転がっている死体を頂いてるんだ」


 男が人間ではないことには気がついていたし、そういう類の妖怪なんだと思えば驚きも少なかった。そして死体の身体を使ってると聞いて痛みを感じないということにも納得ができた。


 「既に役目を終えた死体を勝手に頂戴しておいて更にボロボロにするのは元の持ち主に申し訳なくて…」


 「だったら薬草の知識くらい覚えておいた方がいいです。弱っている人を助けてくれる人はいますが、結局最後に自分を守れるのは自分だけです。ずっと一人で旅をしていて頼る人もいないのに傷を治す方法すら知らないのは駄目だと思います。他人の身体をボロボロにするのは申し訳ないなんて言って使い物にならなくなったらさっさと捨ててるんでしょう?たとえあなたが痛みを感じないからといっても、そのまま放置するのはいただけません。……ごめんなさい、生意気なこと言って…。友人の受け売りなんですけど、あなたを見てると少し心配です…」


 「……」


 男は都子をじっと見つめて嬉しそうに笑った。

 都はその様子を見て顔を顰めた。今の話のどこに笑う要素があっただろうか。

 都子の反応に気がついたのか、男は慌てて両手をぶんぶん振った。


 「す、すまない。変な意味で笑ったんじゃないんだ。感謝してるだけなんだ。ご飯まで用意してくれて、見ず知らずの俺を心配までしてくれた。…ありがとう」


 「そんな大袈裟な」


 「大袈裟なんかじゃないさ。俺は他の妖怪からも嫌われているからどこの集落にも群れにも属させてくれなくて、ずっと一人で生きてきたから、こうして誰かに親身になって貰えるのが堪らなく嬉しいんだ」


 都子はただ話を聞くことしかできなかった。かける言葉が思いつかなかった。どんな言葉をかけても彼は正面から受け止めるだろう。また、嬉しいと笑うだろう。

 きっと彼は心が素直なのだろうなぁ、と都子は思った。

 結局、都子は気の利いた言葉もかけられず、その後はただ無言で魚にかぶりついていた。

 飛虎は男と意気投合したのか明け方近くまで語り明かしていたようだが、都子は途中で寝落ちしてしまったので二人が何を話していたのかは分からなかった。



***



 「君はもしかして犬神かい?」


 隣で眠っている都子の上に掛け布団を掛けようと口で引っ張りながら、魚を咥える男に飛虎は問いかけた。


 「ご名答だ。よく分かったな」


 「分かるよ。首から下が死体で中には憑物を溜め込む妖怪なんて犬神以外に僕は知らないよ」


 半死半生の物の怪。人、妖怪、呪い、何でも取り込む呪詛の器のような存在が犬神の正体だ。極普通の犬だった時に空腹で苦しんでいる状態で首から下を土に埋められ、目の前には食料を置く。飢えで苦しんでいるところで首を切り落とされ、頭はそのまま勢いで食料に飛びつく。それはまるで生首の状態だけで生にしがみつく異様な光景。何故そこまでして生きようとするのか。死ぬ間際の身を悶えるような飢えが忘れられなかったのか。犬神は空腹に耐えられない。死ぬ寸前に目の前にある食べ物にありつきたいと本能のままに欲した。ただその強い執念だけが彼を歪めた形で現世に留まらせたのだ。


 「…」


 彼が暴走した理由は一つしかない。

 男は村人を''喰い殺した''と言った。

 男は骨が浮き出る程痩せている。

 死体の体だから痩せこけているのは当然だが、自分の特性を少しも理解していない訳ではないだろう。

 それでも、暴走している時の記憶がない彼には村を襲った根本の原因には気づけないだろう。これまでたった一人で生きてきたというのなら、きっと彼にそのことを教えてあげられた人はいなかったのかもしれない。


 「お腹、空いてたんだね」


 「…情けない話、食料を調達するのが苦手なんだ…。魚を釣ろうにも俺が川に近づけば魚は逃げていくし、動物も寄ってこない。木の実だけでは腹は満たされない。毎日が飢えとの戦いだった」


 極限まで空腹に陥ると我を忘れて暴走してしまう。死際の飢えというのは精神的にも心的外傷が酷く深いのだと思う。

 彼に自覚はないだろう。この村の有様も空腹のせいだとは思いもしないだろう。


 「お腹いっぱい食べなよ。魚は余る程あるんだから」


 「ああ、ありがとう」


 飛虎は魚にかぶりつく男を一目見てからそっと目を逸らし口を閉ざした。

 彼には真実を教えなければならない。彼には償う義務があるし、自覚しなければこの先、必ず同じ過ちを犯す。

 それでも、今だけは。今だけはお腹いっぱい食べて欲しい。

 この状態が、不自由なその体が男には生きる上でとても不便なはずなのだ。だけれども、それでも生きたかった。生きたいという意思があるだけで男の中に死ぬという選択肢は存在しない。だから、たとえこの先永遠に孤独でも、信じるものが何もなくても、たった一人で前を見据え、たった一人でしぶとく、真っ直ぐに、地に足をつけて歩かねばならない。

 足を浮かせて歩く術はないのだから。

ごめんなさい、お祓いできませんでした。次話に持ち越しです…。

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