肆 新たな門出
「…あれ?」
都子は眉を顰めた。
飛虎との契約を解除する為のお札を祠に貼ったのに祠に一切反応がない。ピカーッと光ったりガタガタ震え出すようなこともない。全く一寸たりとも動かない。
「何でだろう。やり方は間違ってないはずなんだけど…」
何度か貼り直してみるがやはり反応はない。
…やばい、原因が分からん。
「都子…もしかしたらなんだけど」
「なに?」
飛虎は言い辛そうに視線を彷徨わせながら口を開く。
「さっきの退魔結界で僕、神威をほぼ使い切っちゃったかもしれない…。だから祠も本来の機能を失ってしまったんじゃないかなって…」
「…ああー…なるほど…」
肩の力が抜ける。
そりゃそうか、もうほとんど神の力を失くしていた飛虎に村全体を守る結界を張らせた上に無象に蔓延る怨霊も祓わせたんだから僅かに残ってた神威が底をついちゃってもおかしな話じゃない。
「だったら祠じゃなくても森とか町とかでも解除できるけど…」
ほとんど神堕ちと言っても過言じゃない飛虎だけど人間に恨みとか妬みがあるわけではなさそうだから人間に危害を加えるようなことはしないだろうし、このままずっと縛り付けておくのは可哀想だと思う。それに今まで不自由な生活をしていた分これからは自由な生き方をしてもバチは当たらない。果たして神様にバチが当たるのかはさておいて。
ただ、正直飛虎が野良妖怪として生きていくには性格が純粋過ぎて些か不安が残る。
この契約は施した者が解除しない限りは術者が死亡するまで有効であると教えて貰った。
「一つ提案があるんだけど…あの、嫌じゃなければ一緒に来ない?」
「え…?」
この村は神様の加護が宿った村になった。もう悪い悪霊も寄り付かないだろう。神の力を失った飛虎がこの村に残る必要はない。
「飛虎、祠から出たことないんでしょ?本来なら用もないのにいつまでも縛り付けておくのは良くないことだと思うんだけど、正直、飛虎を一人にしておくのはもっと不安だし」
「…いいの?」
飛虎は上目遣いで都子を見上げた。
「一人は…寂しいよね」
都子がそう言うと、飛虎はパァッと花が咲いたように笑い、嬉しそうに鼻先を着物に擦り付けてきた。
一人が寂しいのは都子も同じだった。
やっぱり一人ぼっちは寂しい。どんなに強がっていても心の奥底ではずっと求めていた。誰かに、必要とされたかった。誰でもいい。隣にいて欲しかった。
…もう、あんな思いはしたくない。
飛虎を救う為とか言って手を差し伸べてはいるけれど、本当は自分の孤独の穴埋めの為に、利用しているに過ぎないのだから。
小さい頃から、父に蔑んだ目で見られ、お前の存在が不幸を招くという理由で父と離れて暮らしていた。都子は村人が建てた社に半ば監禁される形でずっと独りぼっちでそこにいた。
その期間はよく覚えていないけど恐らく四、五年くらい。気がおかしくなるような期間、村人が食事の配膳に来る以外、たった一人都子は社の中で生活していたのだ。話し相手もおらず、家族に会うことはまかり成らん。偶に村長が見知らぬ大人を連れて話をしに来てくれたこともあったが、彼らは都子にではなく都子の持っていた力に興味があったのだと子供ながらに理解していた。
一人にも慣れたそんな頃、村長から許嫁の話を聞かされた。許嫁が誰なのか見てみたいと思った都子は産まれて初めて、自分から社の外に出て行った。
その軽はずみな行動が、のちに都子が村を追放される原因となった事件に繋がる。
その時の父の呻くような声を忘れられない。
泣きながらたった一言だけこう言った。
『この、疫病神が…」
言いつけ通り一人でいなかったから、あの日、社の外に出てしまったから、あの日…一人でいることをやめてしまったから。
…後悔しても、起こってしまった事件をなかったことにはできないし、父が私をいらないと言った言葉も恐らく本当で。後悔しても遅いなんて今まで何度も思ってきたし、それでも今日までずっと悔やんできた。悔やんでも悔やみ切れない。
…でも…父様…それでも、私は…っ…。
もうひとりはいやです。
***
老婆の住む家の中はこれから引っ越しでもするのかと疑いたくなる程何もない部屋だった。
あるのは囲炉裏と鍋、薄い布団と押し入れに必要最低限の数の着物が数着だけ。
老婆は押入れから木の繊維で編んだぼろぼろの籠を取り出した。籠の蓋を開けると中には鮮やかな赤い襟巻きが入っていた。
見た限り老婆が持っている物の中で一番綺麗な物だった。
「これは佐吉の形見なんだよ。家にあるほとんどの物はお供えしてしまったけれど、どうしてもこれだけ手放せなかった」
老婆は愛おしむように襟巻きを撫でた。
そして、すっと目を閉じて小さく息を吐くと都子の前にそれを差し出した。
「え、…え?そんな大事なもの、貰えないよ」
「貰っておくれ。都子ちゃんに貰って欲しいんだよ。きっと佐吉もそうしろと言ってくれるはずだからね」
老婆は柔らかな笑みを浮かべ、都子の首に襟巻きを巻きつけた。
とても、温かかった。
「…それに私にはこれがあるからねぇ」
そう言って老婆は嬉しそうに押し花にした朝香草を小袖から出して見せた。
「お婆ちゃん…。ありがとう…っ、大事にする」
首元に巻き付いた襟巻を握り締めてお礼を言う。お礼を言うのは慣れていないので少しだけ声が裏返ってしまったけれど、都子は気にしないことにした。都子も嬉しいのだ。初めて会った時の老婆はまるで死人のように生気のない姿をしていた。目に光は宿っておらず、生きることを諦めた者の目だと一眼で分かった。あれは生きている人の姿じゃなかった。
都子は死に対して人より敏感であった。それは過去の出来事から来ているのだが、それを他人に話したことはない。
でも、今回のことは辛い過去を背負う都子だからそう見えたわけではない。だれでもそう見えたと思う。
「それとね、女の子は身嗜みにも気を使うもんだよ」
「う、うん…。心に留めておく…はは」
自分のぼさぼさ髪をササッと手櫛で整える振りをして苦笑いを浮かべた。
その日は、老婆の家で一泊した。
そして、別れの日もあっという間にきてしまった。
「お婆ちゃん、またね」
「ああ。都子ちゃん、村のことどうもありがとうねぇ。近くに来たらまたこの村に立ち寄っとくれ。次はご馳走を用意して待ってるよ」
「うん!」
都子は満面の笑みで返事をして村を出た。
今はまだ夜明けを少し過ぎたくらいの時間だ。明日までに次の村に着いておきたいなぁ、と考えていると、後ろから声がかかった。
「神様」
老婆の声だった。
「ありがとうございました」
飛虎は照れ臭そうにはにかんだ。
その姿を見て都子は小さく笑みをこぼすと振り返ることなく次の村に続く一本道を新たな仲間飛虎と歩いて行った。
新たな仲間と共に旅は続きます。




