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君の道にもし色があるのなら  作者: 緒花
祓い師の娘
20/34

拾玖 姉上

 極限の疲れの所為か料理の味が全く分からず、表情筋だけが無駄に痛んだ夕食を終えて自室に戻ろうと席を立った桐仁は、寝支度を手伝おうと共に部屋に向かおうとした疾風に自分の部屋に戻るよう命令し、無理矢理帰らせた。部屋に到着した桐仁は自分以外に誰もいないにも関わらず疲れた顔を微塵も見せない澄ました表情をしていた。部屋の隅に置かれている箪笥に向かってゆっくりと歩みを進めた。

 箪笥の上に置かれた不恰好に木で編まれた籠に首から下げていたお守りをそっと入れた。

 そして急にズシン…と鉛のように重くなった足を何とか引きずりながら壁際に寄る。布団も敷かずに壁を背もたれにして寄りかかるとその場に小さく蹲った。

 緊張の糸がぷつりと切れたのかそのまま立ち上がることなく泥のように眠った。



***



 桐仁は幼い頃に血の繋がった家族を全員亡くしている。

 桐仁の母は桐仁が物心つく前に、男と駆け落ちしたことで斬首された。北条の一族は誰しもがお祓い様の力を宿す可能性を持っており、いずれ子を授かった時にその子供がお祓い様になる可能性もある。一族の者が一族を抜け、その後月日を経て一般人の中にお祓い様が誕生してしまうことを北条家は恐れている。故に一族を抜けること、それは即ち死を意味するのである。

 桐仁の父と姉は桐仁が七歳の頃に除霊に赴いた村で亡くなったと兼人に聞かされた。

 父は特段厳しい人で、桐仁は一度として父から褒められたことはなかった。どんなに厳しい修行にも耐え忍び、成し遂げても認めては貰えなかった。


 『この程度のこと、できて当たり前だ。

寧ろ、今までできなかったことを恥じと思え』


 桐仁の祖父であった先代が過労で亡くなった時、父はお祓い様の重労働に酷く嘆いていた。その後、姉にお祓い様の力が宿ったことを知った父は絶望した。自分が生きている間は娘を守ってやれるけれどその後、娘を守れる人はいるのか。また、大事な人をお祓い様の力によって殺されてしまうのかと、苦悩していた。

 桐仁は姉を守る為、お祓い様である姉の盾として姉を死なせない為という理由で幼い頃から父の過酷な鍛錬を受けさせられてきた。

 できないことも多かったけれど、それ以上にできることも増えたのは間違いない。

 然れども、父から認めてもらえない自分は本当に成長できているのだろうか、父がいなくなった後も一人で姉を守っていけるのだろうか、自分は強くなれているのだろうか、という考えが途切れることなく胸中に渦巻く日々を過ごしていた。


 『こんなところで何をしている?』


 木陰で蹲っていた桐仁を心配してか、姉が不安気な声色で近づいてきた。


 『また父上にやられたのか…』


 姉は小さな手で手拭いを桐仁の修行で付いた傷跡に包帯代わりに巻き付けていく。

 あの当時、桐仁は姉のことを''父に言いつけられているから守らなければならない''という認識しか抱いておらず、好きとも嫌いとも思っていなかった。言い方を変えれば無関心であったのだと思う。

 あの時は姉との会話の仕方も分からなくて適当に遇らうつもりで「気にしなくて良いです、これくらい大したことないので」と言ってその場を離れようとした。


 『桐仁は凄いな…』


 ''凄い''という言葉に桐仁は顔を顰めた。父に褒めらることがない桐仁は自分のことを落ちこぼれであると思っていたからだ。

 姉には最近よく凄いだとか偉いだとか褒められるが、何故そんなに褒められるのか理解できなかった。

 そんな言葉、自分には一番似合わない。

 不審な目を姉に向けても、姉は愛おしむように微笑んでいた。優しく頭を撫でられる。桐仁は正直鬱陶しいと思ったが黙っていた。お祓い様の力がある姉は、自分とは違う。姉弟であっても立場が違う。お祓い様の言ったことが正しく、それに逆らう意思を見せることは不敬である。


 『私も見習わないと』


 そう言った姉の表情は微笑んでいるはずなのに、笑っていないように見えた。どうしてそう思ったのか自分でも分からないけれど、これは嘘の笑顔だと思った。

 偶に姉はこうして何もかもを諦めたかのような態度を見せるのだ。それは相手に対してとかではなくて、自分に対してに見える。

 歳に似合わず大人びた人ではあったけれど、年相応に笑ったり怒ったり泣いたりしない訳ではない。でも、姉にだけはどこか他の人と違う空気が流れているような気がしていた。

 どう言えばいいのか分からないが、何となく姉はお祓い様というものに対してあまり良い印象を抱いていないように感じるのである。一族が崇拝して止まない神の力を。それどころか自分よりも桐仁や父の方がずっと凄くて格好良いのだと言っていた。最早意味が分からなかった。人外の力を持っている自分は他人とは違うのだという余裕からくるものなのだろうか。普通の人が死ぬ程の努力をしても、お祓い様は特別な力があるだけで我々の決死の努力を容易く飛び越えていく。姉の言葉一つ一つが皮肉にしか聞こえなかった。

 でも、そんな考えを抱いてしまう自分も浅ましいと思った。


 『凄くなどありませぬ。姉上は神の子であるお祓い様としていずれ北条家の当主となられるお方。そんな方の下に仕える者として厳しい鍛錬をこなすことは当然の責務にございます』


 だからこの地獄の鍛錬に辛いだとかやめたいとかいった感情はない。あるのは『死ぬ覚悟』だけである。お祓い様は他の祓い師とは違い、たくさんの除霊でたくさんの人を救えるし、霊や人ならざる者たちとの会話も可能であるから、祓い師は時としてお祓い様を守る盾になる時もある。自分とお祓い様のどちらに価値があるかなど一目瞭然なのだ。


 『姉上を守る盾になるお役目、しかと果たせるよう精進して参ります』


 『私を守る為に桐仁が死ぬのか』


 『それが最良の手段であるならそれもやむなしかと存じます』


 『そうか。だが、私は明日には死ぬかもしれないぞ』


 『…………は?』


 姉の言っている意味が分からなくて目をぱちぱちとさせて聞き返した。

 桐仁とは正反対に姉は驚く程落ち着いていて、それが何故か桐仁の心を酷く騒つかせた。


 『別に明日自害するとかそういう話ではない。自らの意思とは関係なく、明日急に病に侵されて死ぬかもしれないし、事故に遭う可能性だってある。人って案外簡単に死ぬんだよ』


 『申し訳ございません、姉上の言いたいことが桐仁には理解できませぬ。勉強不足で姉上の真意に気づけず不甲斐ないです』


 『ならばこれから知っていってくれればそれで良い。あのね桐仁、死ぬ覚悟というのが私には分からない』


 その言葉に桐仁はぽかんとして姉を見上げた。姉は桐仁を真っ直ぐに見つめていた。


 『死ぬつもりが全くなかったとしても死ぬ時は死ぬし、死にたいって思った時に限ってどうにも死に切れない。皮肉なものだが、死ぬってことはきっとその程度のものなんだよ』


 『はぁ…』


 『私はいつか桐仁が傍にいない時に突然死ぬかもしれない。でも、それが桐仁の所為になるのは違う。守れなかったことでお前が責められるのも違うし、責任を負わされるのも違う。他人の生きる死ぬを他人が背負う必要なんて微塵もありはしないし、そこに命の優劣なんてものも本来存在しないはずなんだ』


 『し、しかし…姉上はわたし達よりたくさんの人々を救える力を持っています。命の重さが全く違います』


 『確かに、私の持っている力はたくさんの人の助けになるかもしれない。だからと言って少ない人を助け続けることと広くたくさんの人を助け続けることの重さが違うとは私は思わない』


 その言い方では、まるでお祓い様の力が我々と同義のような、言い方を悪くするならお祓い様の力そのものが大した力ではないと言っているように聞こえてしまう。他の一族の者が聞いたら発狂ものだろう。

 ただ、そう言い切った姉の姿は桐仁の目にとても眩しく映った。ひどく格好良いと思ってしまった。


 『で、では…わたしはこれからどの様に生きて行けば良いのでしょう。姉上の盾になること以外の生き方などとうに忘れてしまいました』


 『ならばその生き方も忘れてしまいなさい。その代わりに別の覚悟がある。桐仁にはその覚悟を持って生きて欲しい』


 『別の、覚悟…ですか?』


 『生きる覚悟だ、桐仁』


 それを聞いて桐仁は心を握られるような感覚に見舞われ、目を大きく見開いた。雷鳴に撃ち抜かれたような想いであった。

 とうの昔に枯れてしまっていたと思っていた涙が目に溜まっていくのが分かった。姉の姿が涙で歪んで見えた。

 涙の所為で姉の姿が見えなくなるのが嫌だと思うのに涙を拭うことさえ忘れて姉を見上げ続けた。

 

 姉は桐仁の目線に合うようその場に膝立ちになった。綺麗な着物が汚れてしまっても気にも留めていない様子であった。


 『共に生きよう、桐仁。私もお前も、そして父上も』


 「姉を守る盾になれ」と父上に言われたその瞬間から自分の価値は姉を守るという定義の上に成り立つのだと思った。お祓い様の力を持つ姉はいずれ多くの苦しむ人々を救うだろう。その力は確かに紛うことなき神の力である。その力を失ってしまうことに比べたら何の力もない者が盾となり散っていくのは大したことではないと、それで良いのだと、自分に言い聞かせてきた。でも、そうではなく、もっと思うがままに、自分の意思で、自分のやり方で、生きていけば良いのではないか。自分には価値がないと言って簡単に命を捨ててしまう必要なんてないのではないか。生きていても、良いのではないか。


 『………』


 目に溜めていた涙が音もなく溢れ落ちた。

 その瞬間、とめどない涙が頬を伝って流れていった。


 『桐仁!?ご、ごめんなさい!!桐仁の頑張りを否定したとかそう言うのではなくて…!!』


 いきなり泣き出した桐仁に姉はドッと汗を噴き出す。何故か酷く青ざめていて、混乱しているようだった。

 先程までの格好良い姿はどこにいったのやら。これでは格好がつかないな、と思いながらも姉のあまりの動揺した姿がちょっとだけ可笑しくて申し訳ないけれど吹き出してしまった。


 『桐…ひ、と?』


 突然笑い出した桐仁に呆気に取られた姉がぽかんとこちらを見ていた。その姿も面白くて笑いが収まらなくなる。腹が痛くて堪らない。

 この人はこんなに愛らしい人だったろうか。


 『わ、笑いすぎじゃない?』


 眉を寄せて怒りを見せる姉だったが、その仕草さえ愛おしく思える。

 生きたい。この人の隣で生きていきたい。この人の生きる未来に自分も居たい。

 姉がお祓い様だからじゃない。


 『共に生きよう』


 その言葉だけで充分だった。

 生きることを許された日。

 死にたくないと心からの思えた日。



***



 チチチ…と鳥の囀る声に目を覚ます。

 桐仁はゆっくり顔を上げて部屋を見渡した。だだっ広い畳の部屋、障子窓から差し込む朝日、生活感のない殺風景な部屋に唯一置かれた箪笥とその上には編み籠の小物入れ。中には赤い椿の刺繍が施された、しかしくたびれて糸がほつれてしまったお守りが入っている。


 「……」


 喉の奥の筋肉がきゅう…と締まる感覚がした。

 大袈裟に息を吸い込み、膝に顔をうずめた。


 姉の夢を久しぶりに見た。もう、二度と会えないこの世で最も愛おしくて大切な人。

 こんな夢見たくなかった。どれだけ願っても会うことなんてできないと分かっているから。この夢を見たことでその事実を再確認させられて心臓が抉られたかのように痛くてたまらなくなるから。でも、それ以上に。


 「……覚めたくなかった」


 消え入るような声だった。


 夢の中で会えるのなら一生覚めなくても良いと本気で思ったこともある。でも、それは生きることを放棄することだ。姉の教えに反する行いだ。

 だから、それだけは絶対にできない。


 わたしは生きています。

 貴方がくれた覚悟を胸に秘め、今日もしぶとく息をしています。

 わたしが生きているのは貴方のお陰なのです。

 貴方だったのです。

 一番欲しかったものを初めてくださったのは。


 姉が亡くなったのはもう七年も前のことである。

 当時、桐仁は数えで七歳を迎えたばかりたった。

 共に生きようと言った姉は父と共に呆気なく死んだ。

 正直、父の顔はもう朧げで声はもうどんなだったか覚えていない。

 然れども、あの方の、姉上のお声は、お姿は今でも変わらず鮮明に確かに桐仁の心に残っている。

お読み頂きありがとうございます。

二話連続で桐仁視点のお話でしたが次からは都子視点に戻ります。新キャラも出ます!

では、次もどうぞよろしくお願い致します。

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