拾肆 妖刀
「食料も都子へのお土産も買ったし、そろそろ宿に帰ろうか」
飛虎は買い出しが思いの外早く済んだことに安堵の息を漏らす。早めに宿に戻って夕食の支度をしておこうと思う。恐らく都子はぐったりして帰ってくるだろうから軽めのものが良いだろう。
「飛虎、悪いんだが一つ付き合ってくれないか」
「え?何か欲しい物でもあった?」
「ああ、刀が欲しいんだ」
「そういえば仔狼は刀を扱えるって言ってたね。買い出しも終わったし、良いよ。行こう!」
確か武器屋は呉服屋の向かいだった筈だ。ここから距離はそんなに離れていない。相変わらず人通りが多い通りを掻き分けるように進み、目当ての店に向かった。
「活気があるよね」
「だな」
都からも近い村々が瘴気や霊に苦しんでいるというのに何故だかこの都で生活している人々には村人たちの宿していたような苦の表情が一切見られない。それどころか安堵しているような、安心し切っている落ち着いた雰囲気すらある。この飲み込まれてしまいそうな程の平和ぼけの不気味さが都には常に漂っている。
「ここだね」
目当ての店に到着した二人は黒い暖簾を潜って店内へ入った。
店内はこじんまりとしていて品数はそこまで多くはなかったが刀の他にも模造刀や木刀、他にも弓矢、槍など一通りの武器は揃っているようだった。その中でも特に刀の本数は他の武器に比べて品数が多かった。
「選び放題じゃん!あ、この刀格好良いよ!」
持ち前の無邪気さで店内を走り回る飛虎。
仔狼は刀が置かれている棚まで移動し、何本か物色する。
「…いらっしゃいませ」
嗄れた声が聞こえ、二人は顔を上げた。店の奥から白髪頭の老人が出てきた。遠目からでも良く分かるがっしりとした体格。歳をとってなお、衰えていない肉体美にかつてこの人が腕の良い剣士であったのだろうと推察できた。
「何をお探しで?」
「刀を買いに」
「ご希望はお有りですかな?」
「えっと、今手持ちが少なくて。できれば安くて切れ味の良い刀が欲しいんだが難しいだろうか…」
「ふむ…」
店主は店頭に並んでいる刀を見回しながら考え込むような仕草をした。そして、仔狼の傍に歩み寄り、「失礼」と一言断ってポンッと肩や腕に触れてきた。
「…?」
「…随分と細い身体ですねお客さん」
「あ、あぁ。鍛えても筋肉がつかないんだ」
仔狼の身体は死体なのだから当然だが、どれだけ鍛えても肉体が強化されることはない。細い身体は細いまま。食事を取っても空腹は満たされるが栄養が補給されることはない。
「であれば、こちらの刀は如何ですかな」
店主は仔狼に赤い柄の刀を差し出した。仔狼はそれを受け取って少しだけ鞘を抜いてみた。
刀身は思ったほど長くなく、刀自体の重みもそこまでない。刃先は鋭く良く斬れそうだ。
「振ってみなされ」
「良いのか?」
「構いませんよ」
お言葉に甘えて、仔狼は飛虎と店主から離れた位置で間合いを取る。刀を構え、短く息をひと吐きすると、刀を持つ手に力を込め、次の瞬間、大きく振りかぶった。
ブォンッという風を切る音が響く。
再度刀を構え直し、何度か素振りを繰り返した。
中々様になっていた仔狼の姿に飛虎は瞳をきらきらさせながら興奮気味に見つめた。
暫く素振りをしてから、ふぅと短く息を吐いて刀を店主に返した。
「如何でしたか」
仔狼は眉を寄せてうーんと唸る。
「悪く、はない…のだが、いまいちぴんとこない」
何ともあやふやな理由。
随分と時間をかけて刀を物色していたから色々考えていたものだと思っていただけに理由を聞いて拍子抜けしてしまう飛虎。
店主はそんな仔狼の発言に納得したのか、棚に刀を戻して、別の棚から今度は灰色の柄の刀を手に取った。
それを仔狼に渡す。仔狼は再度刀を物色する。
刀の刀身は先程と同じくらいか、重みは先程よりやや重め、鍔が四葉を形取ったような複雑な紋様をしていた。
仔狼はその刀を軽く振ると、無言で首を横に振った。この刀もぴんとこなかったというのか。
「仔狼、どんな刀が良いの?」
「俺にも良く分からないんだ。ただ、ビビビビッとくる刀に出会いたいのだが…」
「そんなのすぐには無理じゃない?」
つまりこだわりたいと。
まぁ、自分の相棒となる刀を選ぶ訳だから気持ちは分からないでもないけれど。
その後も何度か店主が選んだ刀を吟味していたが、残念ながらその中に仔狼がお気に召す刀は見つからなかった。
店主は嫌な顔一つせず、次々に刀を持ってきては仔狼に見せているが、流石の仔狼も長時間店主を付き合わせることに罪悪感が芽生えてきたのか、一番最初に見せて貰った刀を取ろうと手を伸ばしかけたところを店主に止められる。
「お待ちなされ。もしかしたらあれが良いかもしれません」
「あれ…?」
あれとは何だろうと飛虎と仔狼は顔を見合わせた。きょとんとしている二人を残して店主は店の奥に消えた。暫くして店主は包帯でぐるぐる巻きにされた刀を戻って戻ってきた。包帯には何十枚とお札が貼られていた。
──その瞬間、二人は何かの気配を感じて後ろに後退った。その気配は店主の持つ刀から発せられているようだ。刀にあるまじき酷く禍々しい気配を漂わせている。二人の間に緊張が走り、鼓動が速くなる。飛虎の産毛が逆立ち、無意識に身を守る為刀に威嚇をしていた。あの刀の異様さを本能で感じ取ったのだろうか、身体全身が拒絶しているようだった。
「この刀は相当厄介な代物でして。我々の間ではこれを''妖刀''と呼んでおります」
「妖刀…」
仔狼が呟く。
「儂にも良く分からんのですが、この刀には他にはない神通力が働いておるようです。この神通力が厄介でして、半端者が安易にこの刀に触れてしまうと精力が吸い取られ、自我を乗っ取ってしまうと言います」
「それは大変じゃないか!」
「ですから普段は誰にも触れられないよう、暗所に仕舞っているのです。今までにこの刀を所持して無事でいられた者は一人としておりませんでした」
成る程、だからあの刀には包帯が巻かれていて直に触ることを防いでいるのか。
つまり、この刀に自我を乗っ取られてしまえば最後、己の意思とは無関係に動き出してしまうということで、精神が軟弱な者は少し触れただけでも自我を乗っ取られてしまう。これは自分と妖刀、どちらの自我がより強いか賭けるということになる訳だ。
禍々しい気配に仔狼の血がザワザワと興奮気味に熱くなるのが分かった。
「これは面白い!」
「ええええ!?!!?」
仔狼は得意気な表情で何の躊躇もなく店主から刀を受け取る。
「すまない飛虎。札を取ってもらえないか」
仔狼は店主に怪しまれないようサッとしゃがんで小声で飛虎に声をかけた。
「うぇぇ…やだなぁ…」
呪いの塊である犬神の仔狼は封印のお札に触れることができない。仕方なく飛虎が嫌々取ってあげた。
「万が一自我を乗っ取られても僕のこと斬らないでね」
「乗っ取られたら保証はできないな。その際は俺を置いて店主を連れて逃げてくれ」
「いや、無理でしょ」
飛虎の姿が見えない店主をどう連れ出せというのか。
仔狼は楽観的に笑いながら刀を巻いている包帯を一気に解いた。
「ひぃっ…!」
思わず目を瞑って身を丸くする飛虎。
仔狼は妖刀の柄を右手でしっかりと掴み、包帯を床に落とした。
刀を鞘から引き抜き、軽く吟味し、スッと構えの姿勢を取る。
「ほう…自我を保ちますか。お見事です」
「……仔、仔狼、大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫そうだ。大して強い呪いじゃないようだ。呪い同士がぶつかり合って打ち消し合っているのかもしれないな。何となく血が熱い気がする」
刀の方は仔狼の精神を乗っ取ろうと奮闘しているようだが、仔狼自身が呪いに耐性があり過ぎたせいなのか、それとも仔狼自身が呪いの具現化のような存在だからなのか、妖刀の呪いを打ち消してしまったようだ。
仔狼は刀を二、三度振り、満足気な表情を見せる。刀を鞘に収め、ズイッと老人に刀を見せた。
「こいつを頂こう。店主、いくらだろうか」
「お客さん、手持ちはどの程度お持ちで?」
「ん?そうだな。全部でこれくらいだ」
緑色の巾着袋を店主に差し出す。店主がそれを受け取り中から銅の硬貨を五枚程抜き取った。
「た、足りるだろうか」
「問題ありませんよ。そもそもこの刀に値段は付けておりませんから、最低価格分だけ頂戴しておきます」
そう言って店主は優し気な表情で笑い、巾着袋を仔狼に返した。
最低価格分と聞いて狼狽える仔狼に店主は笑みを深めて言った。
「その刀は五百年程前にどこぞの小さな村で作られた刀だそうです。数多の剣士が繋いで我々の一族に渡ってきたこの刀を何代にも渡って受け継いできましたが、ここまで刀身も当時のまま綺麗に残っているのは大変珍しいのですよ。余程腕利きの鍛治師が打ったのでしょう。我々の手に渡ってからも多くの剣士がこの刀を振るってきましたが一度として刃が折れることはありませんでした。この刀はたくさんの義担の剣豪を見てきたはずなのです。何の因果か刀は妖刀になってしまいましたが本来であれば刀身も無双な名剣に違いないのです。今でこそ妖刀が剣士を品定めしておりますが、やはり妖刀であれど刀は刀。これから先もずっと埃まみれの蔵に埋もれているより、闘気漲る剣士に奮って貰える方がこの刀を打った鍛治師にも、この刀自身にも本望というものでしょう」
「店主…」
「どれだけ値段を高くしようとも刀の真の価値と剣士の揺らぎなき闘気には到底及ばんのです。であるからして、その刀を求めている時に有り金が足りぬからと諦めてしまうのは誠に勿体ないことです。剣士が望む刀を差し出すことが刀鍛冶の役目。お代なんぞお気になさらんでもよろしい」
仔狼は店主の鍛治師としての誇りと覚悟を感じた気がした。
ここで彼の覚悟を断るのはただの愚鈍であろう。
仔狼は有り難く、刀を銅貨五枚で譲り受けた。
誤って誰かがこの刀に触れてしまうことがないよう、刀を鞘に収めた後、刀に巻いてあった包帯を再度巻き直して腰帯に引っ掛けた。
店主に礼を言い、店を出ると既に陽が傾き辺りは暁色に染まっていた。
「早く宿に帰ろう!きっと都子がお腹を空かせて待ってるよ」
「そうだな!行こう」
不思議とこの刀を持っているお陰なのか、辺りを蔓延る霊が刀の妖気に恐れをなして避けている気がする。見たくないものを見ないで済むのは寧ろ有難いことなので二人は気持ち穏やかに都の街を走り抜けた。
陽が落ちる前に宿に到着した。
都子はまだ帰って来ていないようだった。飛虎と仔狼は取り敢えず夕食の支度をして都子を待つことにした。
しかし、陽が完全に沈んでだいぶ経ったというのにいくら待てども都子が帰ってくる気配はなく、二人の不安が膨れ上がる。
心配した仔狼が街に戻って探しに行ったが見つからず、結局その日、都子が宿に帰ってくることはなかった。
お読みいただきありがとうございます!
主人公不在の回でしたね…笑
この話は一話分使って書いておきたかった話なのです。都子ごめんね。次話は都子大活躍だぞ!
いや、そうでも…ない、か…?