拾参 耳飾り
「着いた…。都、初めて来た」
想像していたより人が多い。
活気のある街並み。通りには人が溢れ返り、お洒落をした娘が、帯刀した堅いの良い男衆が、昼間の井戸端会議に花を咲かせる主婦が、新鮮な食材を掲げながら商いに精を出す商人が、都子には新鮮な光景で目がチカチカする。故郷の伊代国の都でさえ出向いたことがなかった都子にはあまりの人集りに圧倒され、足がすくんでしまった。
「わぁぁ、凄いや〜人がいっぱい!!」
そんな都子の心境を知ってか知らずか、相変わらず新鮮な光景に無邪気にはしゃぐ飛虎と何故か妙にそわそわしている仔狼を横目に都子は賑やかな街に足を踏み入れた。
「…………う''っ…」
突如強烈な吐き気が込み上げる。都に着いた時から軽い吐き気はあったもののこんな大きな街だ。瘴気が全くないなんてことはないと分かってはいたけれどそれでも病み上がりには堪える。
足元がふらつき、近くにあった木に倒れ込むように寄り掛かった。
「都子、大丈夫!?」
飛虎と仔狼が慌てて都子の傍に駆け寄る。
都子はゆっくり膝をつき、荒くなった呼吸を落ち着かせる。
顔は青白く、吐き気が治らない。気分は死ぬ程最悪。
仔狼に背中をさすられながら何とか顔を上げて街を見渡した。
(多すぎ…)
街の至る所に蠢く黒い影。害のないような大人しい霊もいるが、いつ襲ってくるか分からないような怨念だだ漏れの明らかにやばい奴までいる。あの呪われた村より遥かに多いのは一目瞭然。人も多ければ悪霊も多い。それでもあの村のようになっていないのはこの都には祓い屋の本家があり、祓い師がちゃんといて、定期的に除霊作業を行っているからだろう…けれど。でもこの悪霊の数を見て、除霊が全く間に合っていないことはひと目でわかる。流石に本家を置く街くらいは多少なりとも綺麗に保てていると思っていたが考えが甘かった。
祓い師の数が足りていないのか?それとも単に力不足?
これはもう多いというより溢れ返っていると言った方が正しい。
都子はうんざりしながら長いため息を吐いた。
(ああ、きっつい…)
唸りながら蹲る都子の背をさすりながら、仔狼は都子の体調が気が気ではなかった。都にやって来たばかりの時に感じていたわくわく感なんてとうに吹っ飛び、眉は力なく下がっていた。
どこか休めそうな場所はないかと辺りを見渡すが、悪霊が所々に蔓延っていて、どこもかしこも瘴気が濃すぎる。この状況は都子にとって拷問でしかない。
都へ向かう道中、飛虎が都子に神威をかけるかどうか尋ねていたが都子はそれを断っていた。どこかに行く度に使っていたら本当に必要な時使えなくて困ることになるからと。神様の力は貴重なのだから重宝するに越したことはないと。だが仔狼は思う。今が必要な時ではないのか。こんな辛そうな都子を見ているのは正直辛い。何もしてあげられない自分の歯痒さに仔狼は悔しそうに唇を噛んだ。
都子の身体が特殊なのか、それとも人より虚弱体質なのか、それは分からないけれど見えたり感じたりするだけでここまで負担になってしまうのか。自分の身体を取り替えた時にも感じたことだったが、都子の脆さに改めて唖然とさせられてしまった。
「都子、やっぱり先に宿に戻って休んでる?」
飛虎が尋ねる。
一応、都子の体調面を考慮して予め街から少し離れた林近くにあった宿を取っておいてあった。
「あ……いや、行きたい所があるからそこだけ行ってくる。用事が終わったらすぐ宿に帰るよ。悪いけど買い出しは二人に任せても大丈夫?」
いつになく弱々しい都子の姿を見て二人の不安は膨れ上がる。
何百年と生きている神様の飛虎と、たくさんの呪いを抱え込んだ仔狼にとって、たかだか十数年しか生きていない少女はあまりに小っぽけで弱々しい存在に見えてしまうのだ。お祓い様の力という圧倒的な力を持った子ではあるけれど、それでも一人の人間であることに変わりはない。刃物で刺されれば死ぬし、腕力も人並み、病気にだってかかる。
ただ、そんな小っぽけな少女が二人の中ではとてもかけがえのない存在になってしまっているのだから厄介なのだ。
「じゃあ買い出しは仔狼に行ってもらうから僕は都子に着いて行くよ。良いでしょ?仔狼」
「ああ、それが安心だな」
しかし、都子は首を横に振った。
「飛虎は仔狼と一緒に行って」
都子は少し声を潜めて飛虎にそう言った。
ここは日雛の都、北条家のお膝元だ。どこに祓い師がいるか分からない。他人には視認できない飛虎と無用心に話すものではない。
飛虎もそのことは分かっているのだろうけれど、都子の今にもぶっ倒れそうな顔色を見て、焦りが勝ってしまう。
「な、何で?こんな状態の都子を一人になんてさせられないよ!」
「大袈裟だって…私は大丈夫だから。瘴気で気分が悪くなるのなんていつものことだし、行き先も資料館だから静かだろうしこれ以上悪くなることはないと思う」
「でも…」
「周りからは姿が見えない飛虎には街の様子を見てきて欲しいの。ある程度で良いから。飛虎なら怪しまれることなくできると思うから」
街の様子…。そんなこと言って、本当は一人になる口実を作るために敢えてそんなお願いをしているんだと飛虎は感づいていた。
偶に都子には見えない壁を感じる時がある。隠したいこと、誰にも言えない後ろめたいこと、それは誰しもが皆持っているものだし、それを何が何でも知りたいとか無理に踏み込もうとかは思わないけれど。
(何だろう…何ていうか…)
少しでも目を離したらどこか手の届かないところに行ってしまうような気がする。
(僕では力不足かもしれないけれど…)
せっかく一緒に旅をしている仲間なんだから、一緒に背負わせてほしい。何があっても、どんなことがあっても都子のことを嫌いになんてならないのに。
「…分かったよ。街の様子を見てくるだけで良いんだよね?」
「うん。…我儘言ってごめんね」
「本当だよ…都子の馬鹿…」
「うん、ごめん」
そう言って都子は申し訳なさそうに笑った。
その顔を見て馬鹿と言ったことを少しだけ後悔する。
少し休んだお陰で多少回復した都子を見送り、完全に姿が見えなくなると飛虎は仔狼の足に勢い良く飛び付いた。
「よし、じゃあ行こう!」
とりあえず早めに用事を済ませて都子の元に帰らなくては。
飛虎と仔狼はまず食料を調達することにした。
賑やかな商店の通りを進む。
通りには甘味処や呉服屋などが立ち並び、人で賑わっている。煌びやかな着物を着て玉簪を刺した年頃の女子が流行りの小物を取り扱っている店に群がって洒落た簪や櫛、紅など贅沢品を買い漁っている。
「あれ、都子に似合いそうだ」
仔狼は店を眺めながらそう言った。
都子の服装は継ぎ接ぎだらけの粗末な着物に老婆から譲り受けた襟巻きだけ。襟巻きは鮮やかな赤い色をしていて都子にとても良く似合っている。都子も襟巻きをとても気に入っているようだった。だから綺麗な簪や流行りの着物、化粧品に興味がないわけではないだろう。
仔狼が都子に似合いそうと言っていた物は糸や紐を束ねた房状の耳飾りだった。頭部分には色とりどりのの玉飾りがきらりと光っていて、その下に房がぶら下がっていた。見た目もとても華やかな品だ。
「ねぇ、仔狼!都子に一つ買って行ってあげようか」
「それは良い考えだ!」
花が咲いたように笑う仔狼を見て釣られて飛虎も笑った。
娘等が群がる店内へ躊躇いなく入り、仔狼は迷うことなく目当ての品が置かれた棚に移動した。
耳飾りは房が紅、水、藤、翠、山吹の全部で五色が並んでいた。
「どれが良いだろうか」
「うーん、都子には赤が似合うからこの中だと紅色だけど着物と襟巻きが赤系統で固まっちゃってるから耳飾りまで赤いと少し派手すぎるかも」
「なるほどな」
紅色が駄目なら山吹色はどうだろう。玉飾りの色は落ち着いた深緑で色の組み合わせ的にもしっくりくる気がする。
そう考えながら仔狼は山吹色の耳飾りに手を伸ばした。
「どの色にしたの?」
「この色にしようと思うんだがどうだろうか」
飛虎に見えやすいようしゃがみ込んで選んだ耳飾りを飛虎の前に差し出した。それは飛虎はまじまじと見つめて、一度大きく頷くと肯定するかのように笑った。
「うん、良い色だね。きっと都子に良く似合う」
自分が選んだ物にそう言ってもらえるのは素直に嬉しい。仔狼は耳飾りを持って店主の元に向かった。
その途中都子がこの耳飾りを付けた姿を想像して更に嬉しくなった。ああ、早くこの耳飾りを付けた姿が見たい。きっと自分が想像するよりずっと可愛いに違いないからだ。
勘定を済ませ、蝶の模様が入った包みに包んでもらう。
その包みを受け取り、大事にそっと懐に仕舞い込んだ。
(…渡すのが楽しみだ)
仔狼が誰かに贈り物を買うのはこれが生まれて初めてのことだった。
***
「…あああ、分からん!」
人気のない埃っぽい資料館に訪れた都子は、少し閲覧室の椅子に座って体調を整えてから資料館の館長の元に向かった。お祓い様関連の本の場所を聞き、案内して貰う。本棚に並べられた本の背表紙を見ても良く分からなかったこともあって手当たり次第本棚から引っ張り出して机に積み上げていっていた。
何冊かぺらぺら頁をめくっては唸り、別の本を開いてはまた唸るを繰り返す。
字が読めないのに本を読もうとするのは無謀過ぎたかもしれない。何が書いてあるかさっぱり分からない。
「絵が書いてある本とかがあれば分かりやすいんだろうけれど…」
お祓い様について書かれている本はどれも小難しい内容で字も細かくて分かりづらい。
「はぁ…駄目かぁ」
都子は本を閉じてため息を吐いた。
日雛国の資料館であればお祓い様の情報を多く取り扱っていると期待し、少しでもお祓い様のことを知れたら良いなぁという思いで訪ねたが、流石に急ぎすぎたようだ。
当たり前だが、まずは字を覚える為に勉強することから始めるべきだろう。
勉強…勉強か…。勉強という言葉の妙に気分が落ち込むこの感覚は一体何なのだろう。
都子には幼い頃の記憶がない。父からは事故で記憶を失ったのだと聞かされていた。当時はそれを信じていたが、今は少し疑っている。北条家の一族とその分家にしか宿らないお祓い様の力が自分に宿っているという事実。全く血の繋がりもない赤の他人がお祓い様になることなど本当にあり得るのだろうか。父は何かを知っていて敢えて都子には話さず隠していたのだろうか。もし、そうだとしたら。
「…帰ろう」
都子は席を立ち、机に積み上げた本を抱えて棚に片付けた。
「…ん」
くらりと眩暈がした気がした。
体調が悪い、とは何か違うような。
「…眠い」
突然、強烈な睡魔に襲われる。足元がふらつき、視界がぼやける。
(疲れ、てるの…かな…?)
目を擦りながら、取り敢えず座っていた椅子に戻ろうと踵を返す。重い瞼を懸命に上げながら進もうと足を踏み出そうとした瞬間、ぐにゃりと視界が歪んだ。
「……」
視界が反転する。
突如、強烈な痛み、打撃音。床の冷たい感覚が頬に伝わる。しかし、そこで意識は途切れた。
拾参話でございます。
都子だったり都だったりややこしいですね。
どうにかならないものか…。