拾 小さな狼
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね。あんた名前あるの?」
埋葬が済んで都子たちは暫しの休息を取っていた。
この三日間、ずっと三人で一緒に作業をしていたからか、都子は当初男に距離を置いて敬語で話していたこともすっかり忘れて気安く話せる間柄になっていた。男の方がずっと年上だし敬う必要があるのかもしれないが、男は仲良くなれたと感じたのだろう。何となく彼の声色に弾むような明るさがあった。
それと、都子の方も随分と大人しかったが作業をこなしていく内に本来の性格であるサバサバとした感じが戻ってきたようで飛虎も表情を綻ばせた。
男は桑を木に立て掛けると袖口で額を拭った。
「名前か、ないぞ。他の妖怪からは犬神だとか犬っころって呼ばれてたな」
「ふーん。じゃあさ、何か呼んで欲しい名前はないの?名前ないと不便じゃない?」
「そうでもないな。今まで特に困らなかったし」
「私が困るの!!毎回''ねぇ''とか''ちょっと''って呼ぶの個人的に嫌なんだよね。だから、名前考えようよ!呼んで欲しい名前があったら教えて」
我ながら良い案だと意気込む都子だったが、男はうーんと腕を組んで悩み、唸った。
「………ない…な」
「ええー!じゃあ私が決めても良い?犬っころから取って''ころ''でいいじゃん」
「こ、ころ……??」
犬ならころかぽちかはちだろう。犬に付ける名前なんてそんなものだと相場が決まっている。
結構良いじゃんと、個人的に気に入っていると、当の本人は納得がいっていない微妙な顔で渋っている様子だった。
「嫌?」
「嫌ではないんだが…こう…勇しくないというか…格好良いというより可愛い感じがして…」
「えぇ??」
勇ましいとか格好良いなんて気にする性格だったのかと、失礼なことを考えつつ、都子は一気に名前を考えるのが面倒臭くなってきた。
「ねねね、じゃあさ」
飛虎が二人の間に割って入って、地面に『仔狼』と爪で文字を書いた。この文字で『ころ』と読むそうだ。
「これは?狼って字!犬と関連性もあって良いんじゃない?」
「…ええ?そう?」
「格好良い!!!!飛虎は天才だ!!!!」
「だよね!我ながら良い案だと思ったんだ!!」
二人で勝手に盛り上がるのを横目で見ながら都子は地面に書かれた文字を見て首を捻る。
「かっこ…良いか?」
飛虎によると意味は『小さな狼』。妖怪としてはまだまだ歳は幼いらしく、動物の子という意味を持つ『仔』を当てがったのだという。
「うーん…」
字面を見ても格好良さが伝わらないが、二人が気に入っているならそれで良いやと、都子は考えるのをやめた。
「それにしても埋めるだけだったけど結構時間かかっちゃったね」
都子はそう言いながら地面にゴロンと転がる。
「都子、汚れるよ?」
「もう汚れてるから良いのー」
「二人共、本当に何から何までありがとう」
都子と飛虎は顔を見合わせ照れ臭そうに笑い合う。
「そんなことないよー!一緒に釜の飯を食べた仲じゃない!!ねぇ、都子」
「うん。せっかく仲良くなれたんだもん。最後まで手伝わせてよ」
「…っ…。ありがとう…ありがとう」
そう言って、彼はくしゃりと笑った。目には少し涙が浮かんでいた気がしたが、それを口にするほど野暮じゃない。都子はそのことを心に留めて、笑い返した。
***
男改め、仔狼の体にガタがきて動けなくなったのは都子たちが身支度を済ませ、出立しようとしていたその時だった。
ぷつりと糸が切れたように崩れ落ちる様を見て、都子は自分のことのように冷や冷やした。
「あー…流石に駄目だったか」
機能を失った体が打撲をした痕のような紫色に変色していく。首から上だけが元気なのが妙に不気味だったが、この犬神の本体、命がこの頭であることはこれで分かったので、身体が腐っていくのは問題ないと思う。代わりの身体を探す手間が増えたけれど。
「…うわぁ!?」
ごろり…と都子の足元に仔狼の頭が転がってきたのが目に入って鳥肌が立った。身体の機能が失われたせいで首と胴体を繋いでいた妖気が途切れてしまったのだろうか。
「早く新しい身体を探しに行かなければ不便で仕方ない!!」
「え、ま、待って…。ごろごろ転がって移動するつもり…??」
「それしか手段がないだろう?」
馬鹿だ。この犬、とてつもなく馬鹿だ。
「そんな移動、流石に無理があるでしょ。あっほらぁ、鼻に傷ができてるよ」
転がったせいで土で髪が汚れ、落ちている小石で鼻をぶつけ、すりむいた痕ができていた。
都子は腰に手を当てて呆れたように仔狼を見下ろしていたが、仔狼はやはり心配されたことが嬉しいのか一人で表情を崩している。
「都子、持ってあげてよ」
「…は??」
「流石に仔狼が転がりながら僕たちについてくるのは無茶だと思う。都子に生首を持たせるのはちょっと気が引けるけど僕が持つには大きすぎるから。…嫌だったら断って良いからね。無理なお願いなのは分かってるから」
「俺は別に転がっても構わないんだが…」
「駄目だから」
「…おうっ…」
飛虎の渇望の眼差しを一身に受ける。この中で断るのは申し訳ないような気になるが、こればかりは無理な相談だ。
「な、生首を持たされるのはちょっと…。ごめん」
「いいよ。じゃあ紐を一本探してきてくれる?仔狼の頭を僕の体に縛り付けよう」
「え、飛虎が運ぶの?」
「転がしていく訳にはいかないし、このまま置いていったら死んじゃうでしょ?」
ぽかんと、口を開けて固まる都子。
飛虎がそこまでする理由を理解するのに時間がかかった。
「あ、ああ…そっか。死んじゃうもんね。それは助けてあげないと」
「都子?」
都子は『死』に対して人より鈍感だった。単純に死ぬことが怖くないのだ。痛いのは嫌だし、凶悪な賊、妖怪に遭遇してら怖いとは思う。ただそれらに出会ったとしても、殺されることへの恐怖は一切ない。つまり、どのような形で命を失おうとも自分が死ぬ瞬間に陥ったとしても死ぬことに一切恐れを抱くことはない。それは決して揺るがない感情だと都子は確信している。
ただ、他の人はそうではないから先ほどのように偶に混乱する。この世に生きる者は皆等しくいずれ死ぬ。それは決して覆すことができない絶対の理だ。だが、それでも人は死ぬことが怖いから、死にたくないから、死を回避する術を必死に探している。
「これで良い?」
都子は家屋から紐を持ってきた。
「うん、ありがとう。じゃあそれ使って僕の背中に仔狼を縛り付けて」
都子は恐る恐る仔狼の頭を持ち上げる。思っていたよりずっしりと重たくて一瞬びくりと身体を硬直させてしまう。
飛虎の背中に頭を置き、紐でぐるぐる縛る。結構きつめに縛って欲しいと頼む飛虎の言う通りにかなり強めに縛った。
だが、頭が重いのか、なかなか位置が安定せず何度かゴトンと頭を落としてしまった。
「仔狼ご、ごめん!!」
「気にしないでくれ。これくらい大丈夫だ」
しかし、いくらやり直そうが頭が安定することはなかった。
都子は何度も眉を寄せながら葛藤する。
ふと、仔狼の表情が目に入った。
唇を噛みながら悔しそうに顔を顰めている。どうしたのかと声をかけようとして、思いとどまった。
仔狼は自分の起こした惨状の後始末を二人に任せ、埋葬の手伝いは愚か終いには腐った身体の代わりを探す手助けまでさせることになってしまった。本来なら全て自分でしなければならないのに、初対面の二人に全てを押しつけてしまう形になってしまった。
自分の役立たずさに、一人じゃろくに動けもしないこの不便な姿に、やるせない、酷く無力な己を叩きつけられている現状。仔狼が、あの優しい彼が迷惑をかけ続けているのに何も思わないわけがない。ほんの数日しか一緒にいなかったけれど彼の人柄を知るには十分だった。
死ぬ、死なないの問題じゃない。いや、それも大事なんだろうけど、そうじゃなくて。
都子は紐を地面に置き、仔狼の頭を脇に抱えた。
「都子?どうしたの??」
「やっぱり私が持つよ」
「でも、嫌なんでしょ?無理しないで」
「嫌……じゃないって言えば嘘になるけど、今どうするのが一番良いのか考えたらやっぱり私が持つのが一番良いのは分かってるんだ…。仔狼だって頭だけなんてしんどいと思うし早く新しい身体探してあげないとね」
「…都子!!」
ぱあっと飛虎の表情が華やぐ。
「娘さん、ありがと…」
「いつまで娘さんって呼んでるの?」
「へ…?」
仔狼は何を言われたのか分かっていないのか、表情をきょとんとさせる。
「…都子でいいよ」
「…!……ああ、ありがとう都子!!」
ふわりと満面の笑みを浮かべる仔狼を見て、彼は本当に子供みたいな笑い方をするよなぁと都子は思った。
そんなことは兎も角、たいして量もない荷物を片手に持ってもう片方の腕で仔狼を抱え直すと、飛虎を見下ろして言った。
「飛虎、行くよ」
「うん!!」
妙に上機嫌な飛虎を引き連れて村を後にした。
何だか空がどんよりしていた。これは一雨くるかなぁとか思いながらも進む足は止めずにいつもより少し早足で一本道を歩いて行った。
お読み頂きありがとうございます!
次は身体を探しに行きます。その次は新しい町に行きますよー!