黄昏
赤い血が広がっていた。
空に浮かぶ夕日の様に真っ赤な血が。
私の目の前に、街の光に照らされて道路上に広がっていた。
血だまりの中に、歩が横たわっていた。
何が起こったのか、私には訳が分からなかった。
私と歩は部活を終えた後、校門を出て一緒に帰り道を歩いていたはずだ。
私はカラカラに乾いた喉から声を出そうとする。
けれど、声に出したい言葉を口にすることはできなくて。
「あ……ゆ……む……」
私は道路に手をついて、ただその光景を見ている事だけしかできなかった。
呆けていると私の目の前に人だかりができてくる。
大声で電話をかける人、携帯で写真を撮る人、ただその光景を見つめる人。
次第に朦朧とした意識がはっきりしてくる。
……そうだ、私は……車にはねられて……。
……いや、その直前に歩に突き飛ばされたんだ。
はねられたのは歩。
私の身代わりになって。
私は歩に駆け寄ろうとして自分の足も血まみれなのに気付く。
それどころか体中あちこちすり傷だらけだった。
あゆむ、あゆむ、あゆむっ!!
私は懸命に血だらけになった手と足で歩へと這い寄る。
あゆむ、あゆむ、あゆむ、あゆむ、あゆむっ!!
私は声にならない声をあげ血だらけの歩の体へと近づこうとする。
けれど、その手は届くことはなくて。
けたたましいサイレンの音ともにやって来た白い服を着た救命師さんに抱えられて。
歩と私は別々の救急車に乗せられて運ばれていった。
そこで私の意識は途切れた。
……。
次に目を覚ました時、私は真っ白な天井をベッドの上で見つめていた。
何か長い夢を見ていた気がする。
ハッキリとはしないけど、何故か悲しい夢だったような気がする。
朦朧とした意識の中、体を起こそうとすると体中に痛みが走る。
「痛っ」
思わず声が出る。
「翼希ちゃん?」
声のした方を見ると真っ赤な目をした母が私のベッドの横に座っていた。
「母……」
「うん、母だよ。分かる?翼希ちゃん」
言いながら私に思いっきり抱きついてくる。
痛っ!!
痛い痛い痛い痛い痛いーーーーーー!!!
何これ何これ、全身痛いんですけどっ!!
「母っ、めっちゃ痛いっ!!!」
あまりにも痛すぎて、私は抱きついている母を引き剥がす。
「だって、翼希ちゃん、丸一日寝てるんだもん……」
「へ……?」
周りを見回すとカーテンで区切られたスペースの一角の窓の外は真っ暗だ。
どこまで続く暗い空。
ぼんやりと空に浮かぶ月を見つめながら私は夕焼け空に浮かぶ真っ赤な光景を思い出す。
「母……、歩は……歩は大丈夫なの……?」
私の言葉に母は目を伏せる。
「今は自分の怪我の事を考えよう、翼希ちゃん」
「ねぇ、歩はどうなったの、母っ」
「……」
母は私の質問に答えることなく、ただただ悲しそうな瞳を向けるだけ。
私はその視線だけで悟ってしまった。
歩は、もう……。
―――
何気ない日常が続くと思っていた。
この青い空の下で、腐れ縁の幼馴染と馬鹿な話をしたりして。
親友と一緒に部活をしながら、その幼馴染を見守って。
そんな毎日がずっと続いていくと思っていた。
それがこんなことになるなんてね……。
ぼんやりと歩の居るはずの席に目を向ける。
そこには、花瓶に一輪の花が添えられている。
つまりは、そういうことだ。
なんで……。
なんで、私なんかを庇うのさ、歩の馬鹿。
私が。
私が死んでいればよかったのに。
残された方の気持ちにもなれっての……。
はぁ……。
今日も空が青いな……。
空はどこまでも青くて真っ青で、遠くて……。
私のメランコリーな気分も知らずに、太陽はさんさんと輝いている。
教室からはクラスメイト達の騒々しい声が響いている。
私はぼんやりと窓から空を見つめながら、溢れてくる涙を必死にこらえることしかできず。
青い青い空。
何処までも続いていく青い空。
今日も空が綺麗だなとしか考えられなかった。
―――
ぼんやりと過ごす日々。
ただ無為に過ごす日々。
歩のいない日々。
あれからどれくらいの日々を過ごしただろう?
高校を卒業して、なんとなく受けた大学に入学して。
ただただ無駄に生きているだけ。
ただ息をして呼吸をして、心の臓を動かし続けるだけの毎日。
こんな無駄な生を、歩は望んだだろうか。
そんなことはない。
歩は私にこんな無駄な生き方なんてして欲しくないはずだ。
頭では分かっている。
分かっている……はずなのに。
なんでこんなになっちゃってるんだろう。
なんでこんなにも、世界は普通に回っていっているんだろう。
母はもう歩の事は忘れなさいと言うけれど。
忘れる事なんかできない。
忘れる事なんてできるわけがないじゃない。
私は、歩に庇われてのうのうと生きているのだから。
私は歩の分まで生きなくちゃいけない。
そう頭では分かっているのに。
……私は、歩の犠牲を無駄にしている。
あの日を境にして。
私は歩のいない人生が、こんなにもつまらないものなのかと。
歩が居なくなって初めて知った。
知ることができた。
歩は私にとって大切な人だった。
歩を失ってはじめて気づいた。
気付くことができた。
歩は私に無くてはならない人だった。
これが好きだとか愛しているとかいう気持ちなのか、分からないけれども。
歩は、私にとって必要な人だったのだ。
歩は……歩は……っ。
はぁ……。
こんな事なら、私が死ねばよかったのに。
歩が私を庇って死ぬことなんてなければよかったのに。
そう思い続けて生きていた。
そんなある日、高校時代からの腐れ縁の親友、霧島しおりから変な話を聞いた。
「町はずれの屋敷に何でも願い事を叶えてくれる人が居るんだって」
「どんな願いも?」
あれから死んだような目をして生きている私に対しての、親友なりの配慮なのだろうけど。
「らしいよ。私の友達の友達の友達が宝くじ当てたとかなんとか」
苦笑しながらしおりは私に告げる。
「……それ、騙されてるんじゃないの?」
「まぁそうかもね。友達の友達の友達の話だし」
しおりとそんな会話をした、その日の夜。
私は今、町はずれの一軒家へとやって来ていた。
もう日も暮れているというのに明かりもついていない屋敷の前に。
なんだ、やっぱりまゆつばか……。
そう思って帰ろうと思い振り向くとそこにはかわいらしい少女がいた。
「私の家に何か用……?」
私の家……っていう事はこの屋敷の住人ってことだよね……。
「ちょっと変な話を聞いたから……」
そう私が口を濁すと、少女はフフリと微笑みながらこう続ける。
「……あなた、願い事があってここに来たんでしょう? ……いいよ、あなたの願い叶えてあげる」
私の心を見透かしたような言葉に私は少女から目を放すことができなかった。
―――
少女に招かれて屋敷の中へと踏み入れる。
少女は薄暗い屋敷の中を、電気もつけず足早に進んでいく。
私も少女に遅れまいと、ギシリギシリと軋む廊下を歩いてついていく。
少女は最奥の部屋のドアを開けると、机のランプに灯りをともしポツリとこう告げた。
「……まずは自己紹介。私は<小さな星>……」
「リトル・スター?」
「そう、<小さな星>って書いて、リトル・スター……。そう呼ばれてる」
ふむ……。
つまりあだ名みたいなものなのかな?
「……そうとってもらっても構わない」
む……?
私、声に出してたっけ?
「……私はあなたの心を読んだだけだよ、翼希」
少女は灯した明かりの前でクスリと微笑む。
私の心を読んだ?というか私は名前を名乗っていないはずだ。
もしかして、何でも分かるってこと?
「如月翼希、あなたは今、私の事を疑いながらも、興味に駆られている」
「……あたり」
そう。まさにその通りだ。
この少女はどこかで私の個人情報を知って、それを口にしているのかもしれない。
でもこんな年端もいかない少女が、私の事を知ってるはずがない。
私の事情など知るはずがない。
「あの……」
「……」
問い返すと<小さな星>はぼんやりとした視線で私を見つめている。
そしてこう告げる。
「……あなたの願いは何? 死んでしまった大切な幼馴染を生き返らせること?」
ずばり、確信に触れられてしまった。
「……うん」
私は確信をつかれ、そうとしか答えられない。
「あなたは数年前に庇われた大切な幼馴染を生き返らせたいと思っている。それがあなたの願い」
「そうだよ。その通り。叶えて……くれるの?」
「あなたの叶えたい<夢>を代償にね」
<小さな星>は言いながらぼんやりとした目つきに憂いが宿る。
「あなたの叶えたい<夢>は、何?」
「私に叶えたい<夢>なんてないよ」
歩が死んでからただただ、無意味に生きてきた日々。
<夢>なんて欠片も無い人生。
「それは、嘘」
<小さな星>は静かな口調ではっきりと否定する。
「あなたはあなたの<夢>に気付いていないだけだよ、翼希」
「私の<夢>……」
私の気付いていない<夢>……。
そんなものを代償に歩が生き返るのならお安いものだ。
「良いよ、私の<夢>をあげるから、歩を生き返らせて」
「そう……それでも良いんだ?」
「うん。私は歩が生きていればそれでいい。それだけで生きていける」
私の言葉に少女はフフリと微笑む。
「そう、それならあなたの大切な歩を生き返らせてあげる」
「ありがとう……」
それが決して嘘ではないことが何となくわかった。
叶うんだ。
私の願いが。
歩とまた普通に生きていくことができるんだ。
馬鹿な話をして、何気ない日常を送っていく。
そんな大切な日々が帰ってくるんだ。
「……それがあなたの<夢>だよ、翼希。だからその<夢>は二度と叶わない」
<小さな星>が手をかざすとランプの明かりは一層強くなり。
私は光の中で意識を失っていた。
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